純の◆姫林檎◆日記(不定期でふ)


 エッセイ……というか、実家で病気療養中男の、ただの出不精Mac日記です。
 いちばん上のものが新しいです。
 思いつきで作ったコンテンツですので、ユーザーヴィリティがはちゃめちゃです。
 すみません、そのうちなにか良い方法を考えますです。(^-^;A

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*節約と
何かが道をやってくる*(2010.8.29)

「これほどの人間を収容しておく資源はなく、経費はかさむ一方だ」
 〜カーネギー大学 アルフレッド=ブラムスタイン〜


「いたるところにこれほどの悲惨さがあるのを見ると、私は、神はお金がないのではないかと思う」
 〜ヴィクトル=ユゴー『レ・ミゼラブル』〜



『非国民通信』さんのところから、『国民の選ばせる歳出削減策…英でネット投票』という読売新聞の記事を。
決断と責任のアウトソーシング

☆☆☆☆☆☆
財政赤字削減を目指す英国の財務省が、国民から公募した歳出カットのアイデア約4万4000件をインターネットのサイト上に公表し、有力な削減策を絞り込む“国民投票”を始めた。
 国民の意見を反映させることで世論をバックに財政再建を目指すユニークな試みとして注目されそうだ。
☆☆☆☆☆☆

それで、英国の財務省に寄せられた主な歳出削減のアイデアというのがこれだ。


☆「多額の交通費や賃金を支払って必要のない役人を呼ぶ、大人数の会議をなくす」

☆「政府機関や公共団体による新しいロゴの作成や作り直しを禁止。本当に必要な行政サービスのための時間を浪費せずにすむ」

☆「コンピューターの基本ソフトの更新頻度を減らしたり、無料ソフトウェアを活用する」

☆「主要都市間を結ぶ高速鉄道計画を見直す。既存の鉄道網の改善を優先すべき」

☆「選挙で敗北した労働党政権の辞任閣僚への退職金支払いをやめる」

☆「防衛予算をカットする。ミサイルのような兵器はテロリスト対策に役に立たない」

☆「中国への資金援助をやめる。貧しい者が裕福な人にお金を渡すようなものでばかげている」



うわあ……。
日本の外でも大流行、だれもが平等に搾取される世界を求めて、「欲しがりません、勝つまでは」の

引き下げデモクラシー。
(^_^;)

私は、『非国民通信』さんと違って、「防衛予算の大幅カット」は実現すべきだ、という立ち位置だ。
また、私は、消費主義という新たな道徳的規範(大量生産システムの存続のために、借金してまでもモノを購入したまえ、というあれ)に対しても、市民は真正面から反発するべきだ、という信念を持っている。
しかし、ねえ……イングランドのみなさんには悪いが、これはひどい。これは無残だ。
「コンピューターの基本ソフトの更新頻度を減らしたり、無料ソフトウェアを活用」すべし、なんて、こんなことで社会的合理性を希求しているつもりなのか。
個々人の思いつき、頭にポッと浮かんだアイデアを充足させるという方向でしかモノを発想できなくなっている人々が、自分たち自身の声を知ろうと国民投票にかけずりまわる。ネットを使って。
いや、もちろん、彼らの関心事が「生命」「身体」「財産の保護」という点にあるのを、疑っているわけではないよ。
ただ、前もって警告させていただくが、この種の「国民的事業としての節約」は、具体的な刑罰を前提とした「管理の視点」というものが必ず求められる(節約せぬものを処罰できないなら、そもそも、国民間で議論などする必要などないでしょう?)。
そして、現在の私たちが夢中になっている「引き下げデモクラシー」という方針のすぐあとには、かならず、

「“節約”のとめどない強化」

という問題が、社会全体を覆うことになるはずだ。
つまり、堪え難いまでの貧困に苦しんでいる階層、有給労働を獲得できる見込みがまったくたたない人々、などなどを、取り締まりの対象として眺める、という現在の事態が、さらに悪化するだろうという個人的な予測だ。
杞憂ですかね?
しかし、現在の我々は、産業界の思考、行動、組織構成のパターンをまるまるそっくりそのまま支持し、しかもその自覚がない。そして、産業界というのは、「これでじゅうぶんだ」とはけっして考えないものだ。
……ウン?
まんが日本“節約取り締まり”昔話。

↑↑↑↑↑
げげえ。いや、もちろん、彼女らの関心事が「生命」「身体」「財産の保護」という点は確かなわけですが……!

基本的なことを言うなら、本来、我々が解決のために取り組まなければならない問題は二点だ。
ひとつ、巨万の富は不公平に分配されている、ふたつ、仕事の獲得も公平に行われていない。
これは、明白な事実ではなかろうか?
そういう明白な事実がありながら、産業界、財界を批判の対象外としようとする結果、「大人数の会議をなくす」などという珍妙な改革案に耽溺せざるをえなくなる。
まあ、自分自身を批判するのは、もっとも難しいことではあるがな。とくに、それが、「自明である」と受け入れられている事柄については、とくに。
まあ、「大人数での会議を減らす」のは、悪くないアイデアかもな。
うまくいけば、コーヒー代くらいは浮かせることができる!
(^_^;)
最後に、『村野瀬玲奈の秘書課広報室』さんから、
国民参加型の社会保障って何??

☆☆☆☆☆☆
「長妻昭厚生労働相は二十七日の閣議に、二〇一〇年版厚生労働白書を報告し、了承された。冒頭、年金記録問題や薬害肝炎問題に関し、おわびの文章を掲載。また国民に労働市場や地域社会などへの参加を促す「参加型社会保障」への転換を提唱した。」
☆☆☆☆☆☆

無内容のイメージ言葉を振りかざすのは日本の政治のトレンドになって久しいが、今度は「参加型社会保障」だと。
よくも、まあ、ほんと。






 

 



マイケル=ムーア・インタビュー(2010.8.25)

「彼は、この国でわれわれが得意とするたぐいの、見事に包装された“お手軽な答え”のひとつを押しつけようとしているにすぎない。彼は、あなたが自分で非常に速く飛べると思うのなら、そう、速く飛べるのですよ、と言っているだけである。にっこり笑いさえすれば万事うまくいく、世界中が幸せになる。あなたが微笑みを浮かべれば、カンボジアで壊疽で死にかけている男も、バングラディッシュで飢える四歳の子も、隣に住むガンを病む女も、みなずっと幸せな気分になり、彼らのほうでもにっこりするだろう、というわけだ」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『夜の言葉』〜


「個々のケースに適用できる簡単な対応策はないということである。これは、否定的に聞こえるが、それが狙いである。解決策があるようみせかけることは、逆効果になる。正しい答えがあるという主張の背後には、隠れた利害が潜んでいることが多い。残虐行為に対する対応策として多くのことがなされているが、実際には、それがさらに残虐行為を増やすことになっているのである」
 〜ニルス=クリスティ『人が人を裁くとき』〜



夏風邪をひいて、朝から晩まで咳が止まらない。生きる騒音公害と化した私。
……振り返れば幸薄い人生だった。
(^_^;)

『デモクラシー・ナウ ジャパン』に、マイケル=ムーアのインタビューがアップされたのでご紹介。
マイケル・ムーア 医療保険制度改革法案は「資本主義にとっての勝利」


☆☆☆☆☆☆
「「善良なうわべをとる悪は、見るからに忌まわしい悪よりも たちが悪い」と、ムーアは共和党と民主党の政治を比べます。民主党はしばしば好感の持てる仮面をかぶって国民の味方のふりをする。 選挙では公的に運営される国民皆保険を訴えていたオバマですが、実際には民間保険企業と対決する気などさらさらなく、公的保険のオプションは最初から巧妙に退けられていました。大統領候補になった時からオバマには医療業界から上院議員中最大の献金が押し寄せていたのです。こんなオバマには、医薬品業界や金融業界への規制を強化するつもりもありません。口先だけの改革を説いて、ブッシュ政権との違いはほとんどありません。」
☆☆☆☆☆☆

なんか、インタビュー全体を通じて、いつもの元気ないな、ムーア。
オバマみたいなのに期待するから、騙されたとガックリくるんだよ。

仲間に平気で嘘をつく、仲間に対してとことん冷酷になれる、という才能を示し続けることで、アメリカ大統領の座にまでのぼりつめたという点において、ブッシュもオバマも変わらんのよ。

いや、実際、そうだったでしょ?
(^_^;)
チェンジ、チェンジと繰り返す数はいつも偶数回。

反対の反対は賛成なのだ〜!

で、結局なにも変わらない。

♪チェンジと言われて素直に飲んだ〜♪
♪夢を語られ〜その気になったぁ〜♪
♪バカな戦争〜 利口と強弁♪
♪よせばいいのにぃ、銀行救済♪
♪オバマ〜節だぁよ、今度の、今度ぉの〜♪
♪嘘吐きワー♪


-☆---


『MARYSOL のキューバ映画修行』さんのところから、
マイケル・ムーア、キューバ映画と人を招く

この人の、こういうところは、大好きです。


 

 



見えない手・見えない音楽(2010.8.22)

「空をごらんなさい。
そしてあのヒツジは、あの花を食べただろうか、と考えてごらんなさい。
そうしたら、世の中のことがみな、どんなに変わるものか、おわかりになるでしょう……。
そして、おとなたちには、だれにも、それがどんなにだいじなことか、けっしてわかりっこないでしょう」
 〜サン=テグジュベリ『星の王子様』〜


「人間に理性と創造力が与えられているのは、自分に賦与されたものを増大するためである」
 〜チェーホフ『ワーニャおじさん』〜



夏風邪をひいて、うだうだと将棋のネット中継など追いかけていたのだが、ところが偶然、とてつもない一手に出くわすこととなった。
思いもかけない喜び、とでも言えばいいのか、ただならぬ出来事に遭遇した驚き、とでも言えばいいのか、とにかく、その瞬間はかなり興奮した。
『俺の邪悪なメモ』さんが、まったくのシロウトさんにもわかるようにくわしく説明して下さっているので、ご紹介しよう。
羽生善治、神の一手!

『俺の邪悪なメモ』さんの、最後のコメントが素晴らしい。


「間違いなくそこにあったのに、人々の認識の外にあり、誰にも気づかれなかった一手。一人の男が、わずかに指先を動かしただけで、それは誰の目にも見える形で顕れ、多くの人の度肝を抜き、ある者には感動を、そしてある者には恐怖と絶望を与えたのです。
──これは、この21世紀に確かに存在する、魔法です」

確かに。
確かに、これは、魔法だ。

人間存在の、目もくらむほどの広大さ、不可思議さ、途方もなさ、豊かな創造性と可能性、そういういっさいがっさいにイエスとテレもなく言える、そんな瞬間だ。

とかまあ、クサイことをすぐ口走る私ですが、今回の一手は、すごかった。


-☆---


話は思いっきり変わって、クラシック音楽の話。
ヴァントとケルン放送交響楽団の組み合わせで、ブルックナーの交響曲の全集が発売される模様。
『Blue Skay Label』さんのところから、
交響曲全集ヴァント&ケルン放送響(9CD)

闘う男、ヴァントのブルックナー全集かぁ……。
ヴァントがいったい何と闘っていたのか、そういうことに思いをはせるのは、私にとっては本当に大切な時間。
私は、そのために生きている。


 

 



爆撃(2010.8.18)

「東京への焼夷弾爆撃の後、マクドナルドは書いた。「相当な発行部数の米国の新聞や雑誌のどれにも、恐怖や怒りの表現は見当たらなかった。わたしたちは大量虐殺に鈍感になってきている」。マクドナルドは『ネーション』誌や『ニューリパブリック』誌の爆撃擁護派を指して「全体主義リベラル」と言った」
 〜ハワード=ジン『爆撃』〜


「日本人が犯した残虐行為のことを聞いて、どんな正気の人間がこんなことを言うだろうか……「やつらを、男も女も子どもも一人残らず一掃してやる。地球上にただひとりの日本人も残ることはない」などと。このような短絡的な報復渇望に触れると、わたしはこうした……残忍さに背筋が寒くなりながら、心ならずも畏怖の念に襲われた」
  〜リチャード=バートン〜



『デモクラシー・ナウ!ジャパン』に、世界中を震撼とさせた“例のビデオ”が日本語字幕つきで紹介されている。
まあ、ご覧くだされや。

ウィキリークスのイラク民間人爆撃ビデオ 米兵の行動は訓練どおり

「2007年バグダッド郊外で米軍ヘリが民間人を襲撃し12人を殺害した現場が映っています。犠牲者の中にはロイター社の職員もいましたが、肩からカメラ機材を下げていただけで武装していると疑われ、明らかに丸腰だった周囲の人々とともに爆撃を受けました。たまたま現場を通りかかり、道に倒れている負傷者を救出しようとしたトラックも爆撃され、運転手は死亡、乗っていた彼の子供2人も大ケガをしました。ヘリコプターの兵士たちと地上部隊との交信も記録されていますが、そこにはイラク民間人を人間とみなしていない冷酷な会話が聞き取れます。」

民間人を戦車で轢いてうしゃしゃと笑う、これが私たちの“無限の正義”というやつだ。

ちょっとヒリヒリするけど、たいしたことはこざいません軍曹殿!



-☆---


8月15日“敗戦”記念番組の、各ブログの感想集。
『たかしズム』さんから、
戦争を考える季節2010

『アンチナショナリズム宣言』さんから、
”終戦記念日特集”の気持ち悪さ

『きまぐれな日々』さんから、
NHKドラマ「15歳の志願兵」を見て思ったこと

私は、8月15日は、本を読んで寝て過ごした。
夏風邪をひいておりまして……。
(´▽`;)
ハワード=ジンの『爆撃』を読んで過ごしました。
ゴホ、ゴホッ。
咳が止まらんのです。


 

 



こちらコチャバンバ、WISCONどうぞ(2010.8.14)

「ひとりひとりの個人の運命を改善することなくしては、よりよき社会の建設は不可能です。ですから、各人が自分の運命を切り開いていこうと努力しながら、しかも同時に全人類にたいして責任をわけ持たねばならないのです。
 なぜなら、自分が一番役にたってあげられる人々を助けることは、私たちひとりひとりの義務だからです」
   〜キューリー夫人〜


「デューイいわく、生産の「究極的目標」とは、商品の生産ではなく「平等な関係でお互いが結びつきあう自由な人間」の生産であるという信念である。ラッセルいわく、教育の目標とは、自由と「個人の創造性」が開花し、働く人びとが生産の道具ではなく、自分の人生の主人公になるような「自由なコミュニティの賢明な市民」の創造を促すために「支配以外の価値観を与える」ことである。」
  〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜



『SFマガジン』9月号の“世界唯一のフェミニズムSF大会”『WInCon2010レポート』で知ったのだが、

よしながふみセンセの『大奥』がジェイムズ=ティプトリー=ジュニア賞を受賞したそうだ。

ぶらぼー。

「江戸時代に流行した病のために男性の生存率が激減し、将軍も大名も女性ばかりになった世界で、大奥に住まう男性はたちは「弱く美しい存在」であることに価値があるとされている。にもかかわらず、政治の世界では「マスキュリティ」(男性性)が女性たちによって戦略的に演じられ、女将軍が、政治のオモテ舞台とプライベートで性差をさまざまに使い分けていく様子が浮き彫りになる。単に男女をひっくり返しただけの異世界ではないところに選考委員たちが強くひきつけられている様子が伝わってきた」

という現場報告でした。
再度、ぶらぼー。

-☆---

めっさかっこいい女性、エイミー=グッドマンは、Macユーザーですね。
( ̄▽ ̄)
『デモクラシー・ナウ』から
コチャバンバ「水戦争」から10年 民営化阻止の民衆闘争をふり返る

「ボリビアのコチャバンバでは10年前、最も大切な天然資源である水をめぐり、壮絶な「水戦争」が起こりました。その数カ月前にはシアトルで、WTOへの抗議行動で総会が中止になっており、時を同じくして米大陸の南北で企業中心のクローバリゼーションに対する民衆の抵抗を象徴する事件が置きました。コチャバンバ市では政府が米国企業ベクテルに水道管理権を売り渡したことに危機感を抱いた民衆が一斉に立ち上がり、契約取り消しをもとめて広場を占拠しました。政府は軍を投入し、戒厳令を発令して弾圧しましたが、「水の権利」を守ろうとする民衆の反乱には勝てず、結局は民衆の要求に屈しました。2月と4月の二度にわたる壮絶な街頭闘争の結果、ボリビアの民衆はベクテル社を追い出しました。水戦争の当時、住民側の組織で重要な役割を担当したはたしたマルセラ・オリベラに当時の話を聞きます。」

だそうです。
あれから10年かあ……。

映画『ザ・コーポレーション』から。



 

 



*私は彼の私*(2010.8.11)

「その知的水準は、宣伝が目指すべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整するべきである。それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、純粋の知的高度はますます低くしなければならない。
大衆の受容能力は非常に限られており、理解力は小さいが、そのかわりに忘却力は大きい」
 〜アドルフ=ヒトラー『わが闘争』〜


「ヒトラーにとって、宣伝の対象は大衆であることが明確に述べられている。ヒトラーの演説に特懲的な、一つのことを執拗に繰り返す方法は、「大衆の低い理解力」に照準を合わせたということになるだろうか」
   〜飯田道子『ナチスと映画』〜



21世紀『のらくろ』発見。
『虚構の皇国blog』さんから
アノ日米軍事同盟マンガの内容がアップされていた!

いや〜!

「『のらくろ』というより、むしろ『家畜人ヤプー』だよね、ヨーヘイくん?」

(^_^;)
家畜人ヤプーたるゆえん。↓↓
在日米軍の犯罪・事故が、1952年から2004年までに、20万件を超えていることが明らかになりました(沖縄返還=72年=前の沖縄分は含まず)。

まあ、ともかく。
はっきり言って、これは、この漫画については、「トンデモ漫画だ」とひと言で断じて、それっきりにしていい。
ただ、はっきりしておきたいと思うのは、

とうの昔に賞味期限が切れた日米安保が、いよいよ腐敗臭を放ちだしてきたため、防臭剤必要になってきた

という認識が、日米政府の双方にあるがゆえに、このような漫画が、このような時期に描かれ、そして世間に公表されることになった、ということだ。
この堪え難いまでの腐敗臭。それを自らの身のうちに取り込むことで起きる慢性的な下血症状。
「日米同盟」「日米安保条約」にはそれだけの価値があるのだ、と、アメリカと日本の政府は、このような子どもだましの漫画で、日本の大衆に訴えかける。


--☆---

『戦争のはらわた』のDVDがようやく再販されました。


アドルフ=ヒットラーとナチの軍勢が、モノクロからカラー映像になって(現代に)よみがえってくるオープニングシーン!



 



きみは転げ落ちていく石(2010.8.7)

「♪僕は人を殺そうと一生懸命になった、でなきゃ僕が死んじゃうと
♪でも本当に怖かったのは、敵の兵士が僕の身近にやって来て、
♪そして彼の顔を見た時、
♪僕の顔とまったく同じような顔じゃないかと気がついた時」
 〜ボブ=デュラン『ジョン・ブラウン』〜


「私は学生のグループに「キャピタル」という言葉で何を連想するかと尋ねたことがある。ほぼ全員が「お金」と答えた。私は、前日にオックスフォード英語辞典を調べておいたので、そこではお金という意味は8番目に出てくると教えたのである。一番が、首都、中心地、主要建造物で、これらのほうがもとの意味に近い。お金が、首都の場所を取ってしまったというのが、まさに我々の時代をよく物語っている」
 〜ニルス=クリスティ『人が人を裁くとき』〜



YouTubeで見つけた。
『ボブ=デュランを和訳で歌おう』。


本家。



バカボンのパパの熱唱。


ワオ!
気分はどうだい?
この新しくも自由な世界で
成功する日を夢見続ける
転がる石としての日々。





 



千里眼であれとは言わない(2010.8.4)

「作家は単なる娯楽提供者であるか、あるいは大道のハンド・オルガン奏者が曲を変えるように、ひとつの宣伝路線から別のそれへと簡単に切り替えのきく金目当ての下働きであるときめこんでいる。しかし、結局のところ、本というのはどのようにして書かれるものであろうか。ごく低級なものを除けば、文学は体験の記録によって同時代人の視点に影響を及ぼそうとする試みである」
 〜ジョージ=オーウェル『文学の禁圧』〜


「最近は、きみらの書くものしか読まない。きみらだけだよ、いま現実にどんなものすごい変化が起こっているかを語ってくれるのは。きみらのようなキじるしでなくては、人生は宇宙の旅、それも短い旅じゃなく、何十億年もつづく旅だ、なんてことはわからない。きみらのように度胸のいい連中でなければ、未来をほんとうに気にかけたり、機械が人間をどう変えるか、戦争が人間をどう変えるか、大都市が人間をどう変えるか、でっかく単純な思想が人間をどう変えるか、とてつもない誤解や失敗や事故や災害が人間をどう変えるか、なんてことに注目したりはしない。きみらのようにおっちょこちょいな連中でなければ、無限の時間と距離、決して死に絶えることのない神秘、いまわれわれはこのさき何十億年かの旅が天国行きになるか地獄行きになるのか分かれ道にいるという事実。こういうことに心をすりへらしたりはしない」
 〜カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』〜



映画評ブログ『破壊屋』さんから、“一から十までぜんぶおぜんだてされて観る映画”のお話。
彼はいま素直になれていません

実は、こういう話は、枚挙いとまがない。
映画の登場人物が、泣く、怒る、走る、歩く、寝る、話してみせる、モノローグで解説をはじめる、以外のことはいっさい理解できない、またはしようとしない、という人々は、少なくとも私の周囲では、圧倒的多数だ。
そりゃまあ、乱暴なまでにざっくりとした言い方が許されるのなら、「映画はわかるために観る」というのは間違いではない。
拍子抜けするほど明白なことだが、映画は「わかるために観る」し、音楽は「わかるために聴く」し、小説は「わかるために読む」のである。
さらに、「今わからないものは、いつかわかる時が来るまでそっと寝かしておく、などという非効率な振る舞いなど無駄の極みだ、わからないものはざっくりと切り捨て、わかるもの、自分たちがわかりたいという気持になれるものだけで世界を解釈してしまえ」というのが、昨今のトレンドなのも確かだ。
つまり、わかるものはわかるし、わからないものはわからない。

しかし、

わかるものしかわからない、というのでは、なんのために人間に生まれてきたのか。

……なんて書くと、また色々と叱られるんだなあ。
(;-_-ゞ

いや、つまり、私が言いたいのはですね、

「わかることだけをドンドンわかっていくだけ」という人の有り様は、とても恥ずかしいことだと。

よけい叱られるか。
(^_^;)
『たかしズム』さんから
日本人の「スケープゴート」好きが勝たせた「みんなの党」の正体

わかることだけをサクサクわかっていって、風呂の栓を抜いたような大崩壊へとひた走る人々の国!



 

 



死刑と民意(2010.8.1)

「わたしが死ぬ、あなたがそれをする」
 〜 トム=ゴドウィン『冷たい方程式』〜


「現代では法律、特に刑法に関わりを持つのがほとんどの政治家の夢である。理由は明らかだ。他に残っている見せ場はほとんどないからである。政党あるいは政治家の見せ場は、それ以外にほとんどないのである。人生の主要目的がお金であり、規制のない株式経済が金銭獲得への道だという考え方が大勢を占めている今、犯罪が政治にとって残された主要な舞台なのだ。この舞台では、自分を豊かな消費者と共通の価値観を持つ、投票されるにふさわしい人物としてアピールすることができるのである。
 ほとんどどこでも、自らをあるいはその政党を、犯罪と闘うリーダーであると固辞するための激しい競争がある」
 〜ニルス=クリスティ『人が人を裁くとき』〜



今日は、死刑について。
グリーンマイルで107歩。


『お玉おばさんでもわかる 政治のお話』さんから
千葉法相の覚悟と願い

『vanacoralの日記』さんから
千葉「落選大臣」の変節

『村野瀬玲奈の秘書課広報室』さんから
犯罪者の償いの心

鬼畜ブログ『郊外のカナリアもさっき死にました』さんから。
死刑執行なんか見たくもない、死刑執行についてなんか知りたくもない、とか言ってる奴で死刑制度を肯定してる奴は頭、イカレてんのか?

イカレてるというより……。
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」


 

 



ペシミストは楽園の夢を見るか(2010.7.29)

「少し以前に、わたしは一世紀も前の言葉に行き当たったことがあります。「考うべからざることを考える」これこそ、まさに、いまわたしたちがやらねばならないことなのです。われわれは、ひるむことなく事実を直視せねばなりません」
 〜アーサー=C=クラーク『あの宇宙を愛せ』〜


「われわれは、あたかも自由であるかのように生きることを強いられている」
 〜ジョン=グレイ〜



とある市民運動家の方から、かなり突拍子もない形で

「未来は明るい。未来は明るいと信じなければならないよ」

と噛んで含めるように優しくさとされた。
いきなりの書きだしだが、私自身、何の脈略もなく、いきなり突きつけるようにそう言われたのだった。
肝心の「明るい未来」とはどのような未来なのか、なにひとつ語り合うこともなく、ひたすら「信じなければならない」と言われても途方に暮れるばかりだったが、まあ、善意で解釈すると、
「事実というものはある種の結果論なのだと規定することとして、まずは、未来は明るいと信じよう! 明るい未来を信じることによって人間は、より良い社会の建設というものに献身的にコミットしていける。未来を信じるからこそ、献身が生まれるのだ。それは大きな善であり、力だ。だから君もまた、そうしていくべきだ」
ということをおっしゃりたかったのではないか。
私はその人と、身のある会話と呼べるものをそれまで交わしたこともなかったが、まあ、私の書いたり描いたりしているものを目にして、これはいけない、とか、これは間違っている、と感じられたのではないか。
「あなたはそれなりに本を読んだりして勉強をしているようだが、明るい未来を信じていない点が実におしい、そこの基本的な世界観、姿勢というものを治せば、ずっといいはずだ」なんて、おだて含みの宿題を私に課してくださったのではないか。
それに対して、
「明るい未来を信じる。なるほど」
と、その場ではうなずいてみせる。
未来は暗いよりも明るいほうがいい。
絶望よりは希望を胸に抱いているほうがいい。
抑圧よりは自由のほうがいい。
悲観よりは楽観のほうがいい。
いいものはいいのだから、それは最終的な解だ。議論の余地もない。繰り返すが、

「明るい未来」「平和」「自由」という言葉は、それ自体が答えだ。

答えであり、理由であり、出発点であり、疑問の差し挟む余地のないものであり、議論の遡上になどあげる必要のないものだ。
例えば、「人殺しは悪い」という価値観に、なにかつけ加えることがあるだろうか。「人殺しは悪い」とは、それ自体が答えだ。
美しい国を建設しよう、自由と民主主義を守ろう、暮しの安全を守ろう、犯罪を撲滅しよう、犯罪者を処罰しよう……犯罪者をこの地球上から撲滅しよう!!

「良い」ものに異議を唱えるものは「悪い」のだ……うん?そうじゃないか?
……。だけど、私はとてつもない貧乏性で、


犯罪者を撲滅するって、具体的にはどういうことになるんだ?と問わずにはおれない。

問うまでもない、明白な答えのつらなり。
ジョージ=ブッシュが「永遠の正義」を連呼したとき、コイズミが「新しい自由」の定義について語ったとき……。

「明るい未来」「自由な暮し」「テロの撲滅」「あふるる希望」「恒久平和」その他もろもろ。
こんな塩梅だから「いいものはいい」などという主張や態度に向き合って建設的な異議申し立てをするには、それなりに注意深くなければならない。でないと、偏屈者、冷笑主義者のレッテル以上の収穫はなにもない、というようなことが往々にしておきる。
なぜなら、今では、上から下まで、右から左まで、誰もが「明るい未来」なるものを一斉にがなりたてて、それが当然、むしろ健全、なによりも

議論の余地なく明白!

とみなされているからだ。
自民党が、民主党が、みんなの党が、大阪府知事が、宮崎現知事が、総理大臣が、いち市民運動家が、まるで音量を競うように
「明るい未来を約束します明るい未来を信じよう明るい未来をこの手でつかもう明るい未来はすぐそこに明るい未来でちーぱっぱ」

ひええ! これじゃあ騒音だよ!

ブブゼラじゃあね〜んだから!この「議論の余地もないほど明白なより良さ」というものの大騒音のさなかにあって、この国の国民はすでに、音の暴風による

イデオロギー的不感症と言っていい状態だ。

ところが一方で、朝から晩までひっきりなしに「明るい未来の約束」とは魔逆のメッセージとして、時代の、平和の、経済の、金融の、暮しの、ライフスタイルの、日米関係の危機、もメディアを通してくりかえし発せられる。
私たちはこの危機を乗り越えるためには、問答無用に明るい未来を目指すべきだ。他には何も目に入らぬほどに断固として、手遅れにならぬよう素早く行動すべきだ。ギリシャのようにならないために。北朝鮮に攻撃されないように。その他もろもろの危機。

考えている時間はないぞ。早く、早く! きつい、やばい、まずい、でも明るい未来はすぐそこよん。

(^_^;)
「この危機から脱出するのだ」そしてそのために「明るい未来を信じるのだ」わっしょい、わっしょい、こっちの水はあ〜まいぞ(そっちの水は辛いどころじゃねえぞ! まずは確実に死ぬな!)。

ハシモト某府知事が言う「明るい未来」。ハトヤマの言う「明るい未来」。
コイズミが約束した「改革」。オバマが約束する「改革」。
明るい未来を信じるというなら、それもひとつの立派な意見なのだろう。
個人的には、首を大きくかしげざるを得ないのだが、もちろん否定はしない。
私にとっては、より良い明日とはどのような明日なのかを市民間で議論し、学び、そしてまた議論する、という姿勢と熱意、そのための時空間の確保が何よりも大切なことであり、

信じる信じないなど、実にどうでもいい話

なのだが、だからこそ「いけないよ」とさとされることになったのだろう。
明るい未来? ほう、それはいいもんだ。少なくとも「お先真っ暗」よりはいいに決まってる。
しかし、明るい未来とはなんなのか。献身とは何に対しての献身なのか。自由というハイウェイをどちらに向いて走るのか。
いやいや! そんなことをグズグズ考えている暇があったら、速やかに行動だ。誰もがもうもうと土煙をあげてわき目も振らず走っていく。赤い車、青い車、小さい車に大きい車、それらが自由という一本のまっすぐな道を、明るい未来めがけて時速100キロで走っている。そう、ひたすら正しく。
ブラボー!と手を叩くべきなのか。いや、手を叩くまに、私も車を走らせるべきなのだと言う。
ところが私ときたら、車を止めて休憩している人を見つけて近づき、こんなことを訊ねるのだ。
「私とあなたが向かっているのは、本当に同じ目的地なのだろうか」と。


 

 



スーパー・サイズ・ミー!(2010.7.25)

「また私たちがいつの日か目覚めて、結局は市民であることが消費主義よりも重要であると悟ることを期待しよう」
 〜キャロール=リフキンド〜


「懐疑する精神も、不思議さに驚嘆する感性も、鍛え上げなくては使えない技術である。この2つが児童生徒の心の中で仲良く結婚することこそ、公教育の主要な目標とされるべきだろう」
 〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜



時間調節のため図書館に立ちより『Newsweek日本語版』という雑誌を立ち読みしていたのだが、興味を引くような記事がほとんどない。あっというまに裏表紙にたどりついた。
裏表紙は全面が新車の広告となっていた。ワイン色をした4ドアのセダンの写真。新車の広告だ。とある有名作家のエッセイ風の短文が、この広告ページの三分の一ほどを占めている。
私はこの広告文を読んだ。

「あなただけのカレンダー」
これがこの短文のタイトルだ。

「新しい人生のカレンダーを作りなさい。
若い時とはまるで違う、これからのあなたの人生のカレンダーだ。そこにはこれから自分がなすべきことを記しなさい。何をやろうか。何ができるか、ではない。これをやろう。これをやるんだと、決意を記すのだ。
私は自分のカレンダーを四十半ばで作った。
勝手な夢と希望だから今もかなわぬことばかりだ。
それでもないよりあった方がよかった。
あなたにも新しいカレンダーを持つ資格がある」

ここまで読んで顔を上げる。
なんなのか、これは。

あなた“だけ”のカレンダー?

カレンダーに記すプライベートな決意、個人的目標設定の確認、継続へのいざない、他愛ない願い、噴飯物の妄想、それらの総称を「あなただけの」と肯定的にわかりやすく言い切って、これは冒頭から早くも不吉きわまりない。
しかもその「あなただけの」は「かなわぬことばかりだ」という。
しかし、それでも「ないよりあった方がよかった」
なぜ、「ないよりあった方がよかった」のかというと、少なくても、あなたがあなたらしくあれたからだ。
締めの文章は、こうだ。

「夢はシンプルで欲張りすぎぬよう。さらに言えばこれまで着ることのなかった新しいカラーを身につけるくらいのモダンさがあっていい。やはり人生はお洒落でなくては」

やはり人生はお洒落でなくては! 税込みで380万円になります。

あくまでもシンプルな夢! モダンで新しく、しかし欲張りではなく、お洒落な人生を!
ここで売られているのはもはや車ではない。あなたのライフスタイル。

あなたの人生が商品だ。

これがどういう意味かわかるかね、未来少年。

「あなたはこの車を買うのですか、私はそれではなくてこの車を買いますよ」「あなたのテレビは地デジは対応ですか、ハードディスク録画の最大時間は何時間ですか」、そんなつまらぬ、どうでもいいことに汲々として……しかし、これこそがあなただ。
でしょう?
あなたはなんでも選べる。あなたは自由になれる。自分次第で成功することもできる。運をつかむこともできるし、限度いっぱいにまで幸福にもなれる。ただし、ひとことで成功と言っても、やはりシンプルなのがいい。あなたがモダンでお洒落なのは、あなたの両手いっぱいの自由のためだ。
商品の組み合わせは自由だ。あなたの人生の可能性は無限大だ。あなたのなすべきことに、あなた自身がすっかり魅了されて……。
運が向いてきさえすれば、ローンが組めさえすれば! そのときあなたは自由になるだろう。あなたを取り囲むあなたの所有物が、あなた自身を反映する。
すべては、あなたがあなた自身の人生を購入することから始まる。
ホラー版あなただけのカレンダー。



「自己利益を追求することの副産物としての私らしさ」が増殖きわまって、

ゾンビ化し、地獄からあふれ出した世界。
そしてこのシークエンスの肝心なところは、幸福を飛びこえてゾンビにまで身をやつしたあなたも私も、結局は金網の外側にいるということだ。


おまけ。

『非国民通信』さんから
配達の人には同情を禁じえない

謝罪のち、“あなただけのカレンダー”。あらゆる機会をとらえて。




 



冬のタイムトラベラー(2010.7.22)

「ノンマルトの海底基地は完全粉砕した! われわれの勝利だ! 海もわれわれ人間のものだ! われわれの海底開発を邪魔する者は二度と現れないだろう!」
 〜『ウルトラセブン』42話『ノンマルトの使者』〜


「それは非常に悪いことだ、われわれは兄弟なのだから戦うべきではないと言ったのだが、士官はそれに答えて、そんなことは問題ではない、アメリカ人は同じ母親から生まれた者を相手にまわしても戦うのだと言った」
 〜『わが魂を聖地に埋めよ アメリカ・インディアン闘争史』〜



時空を超えてドンパチやらかす冬の戦士シリーズ。
パート1。冬の戦士inベトナム。
『ウインターソルジャー』。


パート2。日本でのテレビ報道。