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※お知らせ。
新刊『学級作り アイデア情報事典 4年生』2200円。



ルック出版さんの新刊本『学級作り アイデア情報事典 4年生』の装幀などいたしました。
これはシリーズで、他の学年の本も随時出る予定。
付録に手遊びCDなるものも付いております、ものすご気になるっしょ。
小学校の先生をなさっているかたは、いちど手に取ってみてはいかが? 学級作りのお役にたつこと、請け合いでございます。





*キアロスタミかく語りき*(2006.11.22)

水が葡萄酒になったり死人が生き返ったりはしないが、それに匹敵するほどの奇跡を映画で起こしてみせる怪物監督、アッバス=キアロスタミは、日本人についてこう語っている。

「移動中の列車の内部で、ヘッドホンをつけて雑誌や新聞や漫画などを読みふけっているか、座席で眠っているひとたち」

……。
心の準備を何もしないままに、このような重い言葉を受け止めきれるほど私は強くない。
(^_^;) シバラクオマチクダサイ。
深呼吸が必要だ。
そうだ。まさしく私たちは、「移動中の列車の内部で、雑誌や新聞や漫画を読みふけっているか、座席で眠っているひとたち」以外の何者でもなかったし、今日から私は、そういう自分をはっきり自覚しながら生きていく。個人が孤立した状態を自由と呼び、消費と人間的営みとをイコールで結びつけたままなんら疑問を抱かずに日常を過ごしていくひとびとを日本人と呼ぶならば、私たちは
「移動中の列車の内部で、雑誌や新聞や漫画を読みふけっているか、座席で眠っているひとたち」
でしかない。今日もまた、目も回るような勢いで、ごうごうと流れていく現実にぺたりと張り付いたように生きていく。
だから私は、半分ほど読みかけたまま紛失していた文庫本をカバンの底から発見したのをよいことに、これまでどおり極めて日本人らしく、電車での移動中にそれを読みふけった。
ダクラス=アダムスの
『銀河ヒッチハイク・ガイド』
というSF小説だ。

●●●●●●●

「惑星・地球では、人類はずっと自分たちのほうがイルカより賢いと思い込んでいた。」

●●●●●●●--☆

「なぜなら人類は多くの偉業をなし遂げ、車輪を発明したりニューヨークを築いたり戦争をしたりしてきたのに、イルカは水のなかでむだに時間をつぶし、ただ遊びほうけているばかりだったからだ」

●●●●●●●---☆

「興味深いことに、イルカたちは惑星・地球の最期が迫っていることに早くから気づいていて、人類に危険を知らせようと数々の努力をした」

●●●●●●●--------☆

「イルカが最後の最後に残したメッセージは、米国国歌を笛で吹きながら後方二回転宙返りをして輪をくぐるというあっと驚く高度な曲芸と誤解されたが、ほんとうはこういう意味だった」

●●●●●●●--------------------☆

「さようなら、いままで魚をありがとう」


目覚める一瞬前、意識が立ち上ってきたそのとき、私はよくこう思う。

「今日はもっと仲良くできるかな」

私はバカなんだと思う。



*『明日へのチケット』*(2006.11.17)

日本人が二言目に口にする「現実」から逃避するために、梅田まで出張って映画を観賞してきた。
『明日へのチケット』
という映画だ。
例によって、弟に教えてもらったのだ。
「おい、おっさん(弟は私をこう呼ぶ)、『明日へのチケット』最終日だぞ?」
「なんだ、その『明日へのチケット』って?」
「おっさん、あほか、ケン=ローチ、アッバス=キアロスタミ、エルマンノ=オルミの巨匠三人が撮ったオムニバズだよ!」
ゲブッ!!

なにい〜! 仕事なぞしてる場合じゃない〜!

(;^_^ A
こういう映画をひっそりと上映するのは、犯罪だ。
とくに私のような人間には、現実よりも映画や小説や詩を好む人間には、そして、新しいビジョンを必要としている人間には。
3部作の第1作はエルマンノ=オルミで、電話帳かはたまた階段のように、重くて丈夫で杓子定規な現実から何とか生き延びようとするある個人の「詩情」についての物語だ。主人公の初老の男は、ヨーロッパを横断する特急列車に乗り込む。込みあった食堂車の片すみで、ノートパソコンのモニターと向き合いながら、彼の心はここへはないどこかへと解き放たれていく。雑然とした食堂車の風景を映画的に再編成して、それはまるでショパンのピアノ曲のように(本当に映画のなかでショパンのピアノ曲が流れる、ポリーニの演奏)この世ならざる美しい場面となっているのは、映画監督から私たちへの素敵な提案だ。
詩的で美的な、新しい生き方のアイデア、と言ってもいい。
しかし、そこに、不審物捜査のために軍人たちが乗りこんでくる。
迷彩服と毒のおもちゃをいくつも身に付けた隊長が、初老の主人公と差し向かいに座る。「現実」とは、生き延びていくことへの具体的な危機だ。初老の男の視線は何度も100光年先を見つめ、それはまるで、兵隊がいないかのようでもあり、銃をかまえるハンターの姿に気づかずにまぬけに頭を出しているキジにでも例えることができるだろう。私たちが知っている現実・人生!
とてもとても上品な映画だ。
あまりにも上品で、それから、映画の内容が今の私の想いと重なりすぎて、映画が始まってすぐに、私は、映画の中に迷いこんだままどこにも行きたくないと強く感じた。
冷酷・残酷・強力な現実から自分自身を守ろうとするとき、究極的な方法として自殺という選択肢はありうる。話はそれるけれど、『ハウルの動く城』の本当のラストは、ハウルの自殺、もしくは心中だと、私は思っている。
しかし、私たちが守らなくてはならない私自身とは、「現実」にぽつんと放りだされたモノどうしが感じあう小さな親切であり、それを実行するけっして小さくはない勇気だ。物語のラスト、ひとつの何気ない行為が「現実の質」を一瞬にして変えてしまう魔法を確認して、映画の内部を列車は走り続ける。
列車は走り続け、ひとつの物語がフェードアウトし、それをキアロスタミの担当する物語が引きつぐ。

「キアロスタミ、君の映画はただのひとつも見逃せないよ!(←映画『アマデウス』のサリエリのお言葉)」

ジャン=リュック=ゴダールは

「映画はD=E=グリフィスで始まり、アッバス=キアロスタミで終る 」

と言い、スコセッシは

「キアロスタミは映画が表現しうる最高水準の芸術性を具現化する 」

と言った。
私は、彼が私たちに魅せてくれる作品が、映画だということすら信じられないくらいだ。
現代人の私たちは、ロケットを発明して月までも飛んでゆくが、キアロスタミは

映画で月まで行く!

いや、冗談ではないのだ。真面目な話、彼は地球人ではないのではないかと私は疑っている。
今回のオムニバズでは、三本の映画のちょうど真ん中の作品をキアロスタミは担当していた。映画を観ていないひとはなんのことかわからないだろうけれど、私に何が語れるというのか。
水の上を歩いたとか、産まれたとたんに「天上天下唯我独尊」と言い出したとか、触れないのにスプーンが曲がってスープが飲めなくなったとか、そういうたぐいの話じゃない、彼の映画は奇跡そのものなのだ。奇跡とはなにかを知りたければ、残念、私にはとても語れない、彼の映画を観て下さい。私の言っていることが、大げさやホラでないことがわかるだろう。
赤いドレスを着た女性が現れる場面! 映画で空中を舞い、3回転して上体をひねりながら、片足で着地してみせるキアロスタミを私は確認した。
曲芸をみせることが映画なのか?と問われれば、もちろん違うと答えるけれども、巨大なつり目の宇宙人に宇宙船の内部を案内されたら、やっぱり
「そんな、ありえない、どうなってんの?」って、言うのではないだろうか?
ねえ?
ラストは、ケン=ローチだ。
内容的に、映画的にもっとも評価されるべきは、この物語だろう。
この小さな物語を、なんとたたえたら良いのか……。
少なくとも、スコットランドのサッカーチーム、セルティックのファンはこの映画を観るべきだ!
それから、スウェーデンのFWヘンリク=ラーションのファンも観るべきだ!
自チームも相手チームも同じサッカー共同体を支える仲間で、だからもちろん、世界のサッカーファンが観るべきだ!
私たちがどうして「ここ」にやって来て、どこに行くべきなのか、知りたい人はぜひとも観るべきだ!
戦争をできる国にするために教育基本法を改正する、と日本の政府が決め、そのような提案がやすやすと国会を通過した。
まさにその日、私は、国籍や民族や宗派や性別といった排他的所属意識を遠く置き去りにして、映画という非現実の空間の中で、現実が浄化されていく瞬間を見た。
……映画を観ていないひとには、なんのこちゃかわかんないよね。
(^_^;)
しかし、これは冗談でも大げさでもなく、映画館の座席に座っていたすべての人が、涙を流していた!
上映が終了した後、多くのかたがたが、映画館の従業員に
「素晴らしかった」
「良かった」
と声をかけていた。

シャイな日本人としては、これだけで、尋常ならざる事態ではないだろうか?

だから私は、映画の感想文としては意味不明でも、なるたけネタばらしをひかえて、ひとりでも多くの人に観てもらいたいと思っている。それだけの価値がある。
ローマ駅で、セルティックとローマのサポーターたちがエールを交換するシーンは、ローチが私たちに提案する新しい形の現実だ。それがあまりにも洞察するどく、私たちの人生を肯定するので、それは例えば、妥協することが現実ではないという実に当たり前の気づきでもあるだろうし、それからやはり、さまざまな違いを受け止めつつ、それを祝福する純然たる歓びそのものでもあるだろう。映画という形で提案されたそのアイデアは、ほとんど抗しがたいまでの生理的快感となって、映画を観ている私たちの涙腺をバカにしてしまったのだった。
今の日本という国のベクトルは、1935年あたりのドイツとほとんど変わらない。
正直、お先真っ暗だ。
しかし、私たちは、

イスラム教徒や北朝鮮人民と自分たちを比較したうえで、向こう側を寒々しく感じつつこちら側の日本民族を愛するために生まれてきた……わけじゃない。

たとえ私がスコットランドの産湯につかり、したがってセルティックのユニフォームを着ていても、そしてわれらが英雄ヘンリク=ラーションを愛していても、チャンピオンズリーグではASローマにエールを送るだろう。


「我々は病気だった、けれどもうすっかり良くなって、今はやらなければならない仕事がある」
  〜カート=ヴォネガット『タイムクエイク』〜


我々はヒドイ病気で、しかも残念ながらどんどん病状が悪化している。とはいえ、我々にはやらなければならない仕事がある。
 〜姫林檎日記〜



井戸を掘らないか、10万人生ほど(2006.11.14)

馬鹿げた戦争をおっぱじめて、とりかえしのつかないやっちゃったをしでかしたアメリカ国民の皆様であったわけだが、このたびようやく、ブッシュ共和党を大敗させたようだ。
……遅いよアメリカ人。
イラクの子どもたちだけでも、おそらく50万人以上が死んだんだぞ、バカ。
外崎則夫氏のサイト
『N.TONOSAKI's Personal Station』
の大人気コラム
『がんばれ!!ゲイツくん』
最新号でも、この話題にふれられております。

「いや、例の大問題がある電子投票なんてシステムのおかげで共和党が投票操作をして今回もブッシュが勝つんじゃないかなどとまことしやかに言われていたのですが、そんなものをものともしないほどの負けっぷりだったようです。ま、あんな何十万人も殺した戦争を起こしておいて「勘違いでした」で済ますような人間ですから負けるのは当たり前ではあるのですが、とりあえず退任後はイラクで一生井戸掘りボランティアでもやっていただければ良いかと思います。次に生まれ変わったら今度はアフガニスタンで井戸掘りで、これを10万人生くらい繰り返せばやっと罪滅ぼしになるくらいでしょうか。 」

キリスト教の地獄は永遠・無限だけど、

10万人生の井戸掘り

もなかなかキビシーおしおきだよね。
(^_^;)
人類共同体に破壊行為を働いたんだから、10万人生の井戸掘りくらいは、ビッとやってもらわな、な。

自己責任

ちゅうことで。

それにしても、ワシ、このコラムを読むのが楽しみで楽しみで。
この世には、ワシと似たようなことを考えるひとが少なくともひとりはいる、と知るだけでも、なんとなく嬉しい。そう思って読んでおります。
例の教育改革やらせ問題についても言及なさっておられる。


「日本は日本で例のタウンミーティングのやらせ問題が話題になっていますが、あれ結局文科省がやらせ質問のシナリオを作成して内閣府に指示していたというのだから凄いですね。で、その結果をもとに、「タウンミーティングで出た意見を元に教育基本法を改訂する」なんて文科相が国会で発言していたというのだら開いた口が塞がりませんよ。」

「教育基本法改正で愛国心を植え付けるなんてことをやる前にそもそも政府に対して根本的な教育が必要のように思いますが(:-P、こんな国に愛国心を持てなんて言うとはちゃんちゃらおかしいです。シンゾー君もこの件に対して「残念です」なんて人ごとのコメントを出していますが、総理大臣になっても自分の責任は全く考えない所がボンクラ二世議員の本領発揮といった所ですね。」


いやもう、こんな腐った国を強制的に愛させられる子どもたちの不幸を思うと、ほんと、不憫でならないデス。
(^_^;)
しかし、不憫なのは子どもたちだけではないぞ。


「最近でも政府がNHKに報道内容について命令したなんて話題もありますが、いやはや一体何処の国の話なんでしょうね。まぁさすが貧困率が世界でもトップクラスの国、政府のトンデモぶりも抜きん出ているようです。 」


公的年金控除の縮小や老年者控除の廃止、低所得高齢者の非課税限度額の廃止によって増税額は、年間なんと

3970億円!!

がはは、そのかわり、大企業の減税額が


3700億円!!

プラス270億円の儲けで、ただいま、

日本は未曾有の好景気

なんだそうだ。
(^_^;)
日本の企業の国際競争力をつけるため、貧乏なお年寄りから3970億円ぶんどって、3700億円減税いたしますよ〜っと。
ほら、それでも270億円もの黒字!
わあ、すっごい〜。不思議〜。
経団連会長は、まだまだ競争力をあげなくてはならないと、消費税率アップなどの税制体制の抜本的見直しを早急に進めるべきだとおっしゃっております。
ニッポンは、まだまだ好景気にわく所存なんだと。

未曾有の好景気でワシら餓死だな。

好景気の恩恵を受けるのは、「法人」という実体のない人間だけ。政府は、競争力を永遠にアップし続けなくてはならない「法人」に仕える血も涙もない

借金取り

と化して、なんかもう、ニッポン全国ナニワ金融道。
お年寄りのしかも低所得者層から、3970億円とりたてるんだぜ?
●●銀行や○○自動車の株主を喜ばせる、そのために!
ワーオ!

♪シンゾ〜、君の名を呼べばボクはせ〜つないよ〜♪
♪国を愛すればこその苦言も届かず 非国民の想いがカラまわ〜り〜♪
♪ジュンイチロ〜、君の名を呼んでもボクはせ〜つないよ〜♪
♪自殺者と犯罪発生率ばかりが増えて格差社会 痛みに耐えてカラまわり〜♪
♪アメリカ政府のポチと呼ばれて、日本国民はせ〜つないよ〜♪
♪米軍基地のお引越しに税金使って 町の郵便局は消え公共福祉カラっぽだ〜♪

お先、真っ暗。
(T△T)


「俺は神を認めないわけじゃないんだ、アリョーシャ、ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ」
  〜ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』〜


私は、イワン=カラマーゾフと違って、神は認めていないし、日本は神の国だなんて聞くとアフォか、と思うのだけれど、しかし、そんなことはどうだっていいんだ。
慎んで切符をお返しする、それだけだ。
美しい日本の土着的民族主義なんて、ケッコー!!
キッパリ言っとく、犯罪者にだけはなりたくない。
……。
10万人生にもわたって、井戸掘りはやだよ。
(^_^;)
(ちゅうことで、赤い服着たお姉ちゃんたちが配っていたヤ●BBのルーターもらわなくて良かった!)


*ゼロではなかった、そしてユニばあさん*(2006.11.12)

先日、文部科学省が世論を誘導するために教育改革タウンミーティングで「やらせ」をやっていたことがばれたわけだが、今度は

「文部科学省、いじめ自殺「0」修正へ…16件を再調査」

などというニュースが。
(^_^;)
つまり文部科学省は、1999年から2005年度までの期間においては、いじめを原因にした自殺した子どもはゼロでした、とワシらに報告していたわけなんだけれど、「1999年10月にいじめをほのめかす遺書を残して自殺した堺市の市立高校1年の女子生徒」さんや、「昨年9月、北海道滝川市で自殺を図り、今年1月に死亡した小6女子児童」さんは、いじめ自殺じゃなかったのかとつっこまれて、

いくらなんでもゼロはまずかったかと

数字をちょこちょこっと変更することになったという塩梅だ。
いじめ自殺がゼロと言っておけばどこからも文句は言われないだろうと思ったら、現実とかけはなれすぎて誰も信じなかったというわけ。
それではと再調査して、「本当は○○人ほど、自殺してました〜、ちゃい!」と訂正する。
肝心なのは、多すぎす少なすぎずの数字を割り出すことで、これは入念な再調査が必要になりますわな。
がはは。

マーケティング調査のノリで教育にたずさわってやがる。

さらに悪いことに、

粉飾決済の雨あられ。

再調査してみますと、あらまびっくり、いじめ自殺はぜろではありませんでした、なんということだ、これはやっぱり教育改革だあ〜」
と言うんだろうなあ、結局。
あのなつかしくも素晴らしい《富国強兵☆男尊女卑》明治時代教育を復活させるために、手段を選ばずがんばっておりま〜す。選挙のさいはゼヒよろしく。

今日の一時限目は道徳の時間です、ニッポン帝国は強いよ正しいよ、父さん母さんありがとう、今日も元気に挨拶します。先生おはようございます、みなさんさようなら、兵隊さんよごくろうさん、天皇陛下ばんばんざい。富める者も貧しき者も、ともに支えるニッポン帝国。チョ●コもチャン●ロも、私たちニッポンに指導されて進むアジアの連帯、大東亜共栄圏。地球上のあらゆる場所にお子様ランチのように日の丸国旗がちょこんとつきたって、石油が掘れるのはどこですか? 将来はいつかきっとわたしも爆弾三勇士!
21世紀にもなって、マジでこんなこと言っている文部科学省の科学って、なに?
自殺した子どもたちも、ほんと、うかばれないぜ。



--☆---

奈良から大阪にでて、

ユニばあさんスタジオを通りすぎ、

枚方パークというところに行ってきました。枚方に住んでいたときは一度も行ったことなかったくせに。
f ^ ^ *)
中国少年少女雑技団の演技を観にいったのだ。
ぴゅーぴゅー寒風吹きすさぶ屋外ステージで、体中にワイングラスをのっけて猫のようなポーズを決める中国少女。試練、試練だな〜!
たっかいところで布ヒモにぶら下がって、風にゆられて演技してんの。
落ちたらどーすんのさ。
ほかにも、ものすご高いところにあるワッカを飛びくぐる男の子とか。飛ぶだけでもすごいのに、どうやったらあんなちっこい輪の中をくぐるん? ドラえもんのガリバートンネルじゃああるまいし。
サーカスはサーカスでも

ふつうのサーカスでライオンとかの動物が担当する演技を人間がやってるのだ!

タネも仕掛けもないから、これが本当の超能力だね。
それとも、もしかしたら、人間の着ぐるみを着た別の生き物なのかもしれん。

 


*美しいやらせで教育改革、拾った貝がら*(2006.11.10)

我が国の最高責任者であるアヴェさんと、自称親衛隊若手議員のみなさんは、
「日本の子どもたちがおかしい、キレルわ、ひきこもるわ、その他ようわからんけど悪いことがおこりそうな気がするわ! なので、教育改革だ〜!」
と、さかんに訴えております。
高校の「履修科目偽装問題」なども新聞テレビをにぎわしておりますし、このさい、教育システムの根幹から、《古き良き美的な民族主義☆月月火火木木金金☆欲しがりません死ぬまではマッチョ教育》にゆりもどそうではないか、というのが彼等の主張。ほらほら、お母さん、あなたの子どもがキレル子どもになってからでは遅いんですよ〜by飛鳥了。
具体的には、教育基本法を改正するのだそうで、加熱する受験戦争のゆがみから起きた「履修科目偽装問題」などを是正するのに、

「子どもたちを二度と戦場に送るな」という自虐的声明を真っ先にポイするべき

だと、こうおっしゃっておられるようです。

ぷっ!

わかりやすいというか、なんというか、結局、戦争なんだなあ。本当に戦争がしたいんだなあ。
アヴェさんたちの気持ちは、よーくわかるんだけどね。
戦争ほど儲かる商売はないけれども、兵隊がいなくちゃ戦争できんもん。
教育改革は急がなくちゃいけないよね!


「今の日本は人間がおかしい。それも世間では子どもたちがおかしいと言われているが、実は大人がおかしい」

と看破したのは、私たちの英雄、サッカー日本代表監督のイヴィツァ=オシム御大でございますが、

「おかしい大人」とは誰なのか、数人の具体的な顔がはっきりと思い浮かぶ今日このごろでございます。

(^_^;) 美しい日本のおかお。
産まれた土地が日本国なら実にご立派、選ばれた民族、顔色もぴっちぴち。
もちろん、人間を観察するときは、そのヒトが何を語っているかよりもどのように行動しているかを注意深く見ていかなくてはならないのは当然で、銀座の飲み屋で勇ましく酔っぱらいつつ軍歌を歌っているような連中の言う「美しい日本の教育」など、どういうたぐいの代物か、とうに想像はついているのであります。
実際のところ、アヴェ式教育改革は内容もメッキのごとく美しければ、手段も涙がちょちょぎれるくらいに美しいわけでして、このような記事だって、普通に発見できたりするわけです。


「今年9月に青森県八戸市で開かれた政府主催の「教育改革タウンミーティング」で政府が教育基本法改正への賛成発言を依頼していた問題で、内閣府は9日、八戸市を除く過去7回のタウンミーティングのうち、4回で同様の質問依頼があったとの調査結果を衆院教育基本法特別委員会の与野党理事に報告した。

 03年12月から今年9月まで8回開かれた教育改革タウンミーティングのうち、5会場で政府が賛成発言を参加者に振り付けていた「やらせ」の実態が浮き彫りになった。」


うっつくし〜。
どれだけ美しいか、底が想像できん。
(^_^;)
ちゅうか、子どもたちを美しい国民として教育して、戦場に送りたいというのなら、そうしてみなさいよ。与謝野晶子みたいに「きみ死にたもう事なかれ」なんて言わないからワシ。
そのかわり、あんたも鉄砲担いで戦場に行きなさいな。
アンタの子どもも、孫も。
実に美しいことじゃろ。
「私たちの家族は美しさは遠慮します(←謙譲の美徳)、指も切れそうな新札の束で我慢します」
なんてのは、なしよ。
と言ってみたところで。
日本という国は、ものすごい勢いで美しくなっていっております。私のような、清流でしか生きれないか弱いお魚さんのような人間が、時代の空気に思わず窒息死しそうなほどに美しくなってきております。
ごほごほっ。あ、たんに血がまじってる(笑)。
「大人がおかしい」とズバリと言い切ったオシム監督も、このままじゃあ

第二のゾルゲ

のようなあつかいを受けて、追い出されることになるかもな。
その前に自分から出ていくだろうけど。
(^_^;)
排他的民族主義の美的センスが、私たちからオシム監督を遠ざけてしまう、そんな日も近い。
千代に八千代に不滅たらんとするその盲目的美意識の、人類共同体に破壊的なことと言ったら!
私たちが死ぬように、日本国も日本民族もいつか亡びる! ずいぶん先のことだけど、太陽の火は消えてただの冷たい石になり、地球もただの石になる! 永遠に栄え続ける日本民族など、うそんこ。
ホーキング先生に聞いてみ?
SFを読め、親切であれ、人生は短く、しかも一度きりで、なのに浜辺で拾った貝がらの、なんというキテレツで美しいことか! と私は思うのだ。
朝の風の……運んでくる匂いとか、心地よさを感じる私は、なんとか今日は生きてる! すげい、すげい。
……そもそも私には、国歌や国旗の存在する意味を理解することができんのであります。だって、さ。
同じ模様の貝がらなどひとつも発見できなかったのに、貝がらのどれも完ぺきだったのだから!


「みんながめいめい自分の神さまがほんとうの神さまだというだろう。
けれどもお互い他の神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう」
〜宮沢賢治『銀河鉄道の夜』〜

 


*おかげさまです、ラジオ宅急便*(2006.11.6)

例によってバタバタしているところですが、ちょっと宣伝。
溝江玲子のラジオ番組
『おかげさまです。ももっちおばちゃんのラジオお昼便!』
に、11月8日と15日の2週にわたって、ワシがゲスト出演しております。
13:00〜13:10なのだそうです。

故・高山千津子先生に韓国女子高生Dちゃんという豪華ゲストの次が、息子のワシとはずいぶん番組ゲストのレベルが下がったかもしれないね、申し訳ない。
……なんかよーわからんけど、気がついたらそういうことになっておったのだが、公共の電波に乗せて、ワシの子どものころ書いた詩の寄せ集め『ドウガネブイブイ』について語っておるはずです。
77.8MHz「FMわいわい」です。
(^_^;)
どうだろう……ちゃんと日本語がしゃべれておったろうか?
「キーくん、ひよこじゃないっぴー」
とか口走らなかったろうか? 正直、自分の声がラジオから聞こえてくるなんてぞっとしないわけであるが、それが自分の母親の番組となればなおさらだ。しかし、出演した手前……やっぱ告知しないと「FMわいわい」にもDJの金千秋(キム=チアキ)さんにも申し訳ないわけでして。
この放送は、インターネットでも放送されているそうです、とさらに宣伝。
私のパソコンにはリアルプレーヤーがインストールされていないから聞けないわけだけど、運動図をお使いのみなさまは、ばっちり聞けることと思います。
みなさん、「FMわいわい」ならびに番組『おかげさまです。ももっちおばちゃんのラジオお昼便!』を聞いてね。
ワシの声は聞かなくてもいいからね。



--☆--


ケン=ローチの新作映画が今秋やって来ると聞いていたのに、ぜんぜん情報が入ってこない。
どうなってんじゃいとネットで検索していると、国富建治さんのこういうページを見つけました。

映画界の「巨匠」は確信に満ちた革命的社会主義者だった』

(;^-^ゞ いい映画撮るなあと思っていたら、そゆヒトだったのね。


「「アイ・アム・ケン・ローチ」という電話がかかってきた。聞いてみると「日本の産経グループがスポンサーになっている賞を貰うことになった。産経が反動的メディアであるということは聞いており、ナカソネや皇室がバックにいる賞だということも知っている。ついてはその賞金の一部を日本の闘う労働者にカンパしたいのだが、どこがふさわしいのか推薦してほしい」というのだ。」


よく知ってるなあ、わしら日本人よりも日本のこと。
(;^_^ A
彼の映画作品を観ればわかるけれど、ケン=ローチは、

確信に満ちた革命的国際人

だからな。
しかし、私にとっての新しい発見は、彼の


「マスメディアが体制にからめとられている状況の中で、反戦運動などの社会的アピールをどのように取り上げさせていくか、という質問についても彼は真剣に答えてくれた。
 「メディアが社会運動の主張をなかなか取り上げないという現実は、日本でもイギリスでも同じだろう。」


という発言で、つまりなんと、ケン=ローチもまた私と同じように

テレビ陰謀論者だったことが判明したっ!

(^_^;)
私は、ユダヤの陰謀やロスチャイルドの陰謀やロックフェラーの陰謀やフリーメーソンの陰謀なんて全く信じないが、ゆいいつ、テレビの陰謀は本気で信じてるんだよね。
テレビは人類の敵だっ!
(^_^;) トンデモ陰謀論……でもケン=ローチとお友達だもんね。
もちろん、ケン=ローチは私のように悲観主義が趣味という人間ではないから、こういうお話も語っている。


「しかし個々のディレクターやレポーターの中には、運動に理解のある人びとがいる。社会運動の側でも、メディアとの関係で短い時間で印象的な画像を伝え、インタビューに的確で簡潔なコメントを発することのできる『プロ』を作らなければならないよ。しかし左翼の側は発言を求められてもステロタイプ的な回答しかしない例が多い。それではメディアを遠ざけてしまう。どうすれば引きつけられるかという自覚的なプロジェクトを持たなければ」」


21世紀の革命家は、確信的にテレビ映りがよくないといけないと。

ラジオ番組であわあわ言いっ放しの私はどうなるんだろう。
(;^-^ゞ
しかし、革命を探している人って、まだまだいっぱいいるんだなあ。
彼の作品に『ブレッド&ローズ』というタイトルの映画がある。
パンとバラ。
私が最初にケン=ローチに注目したのは、このタイトルだった。
こういう美しくもヒューマンなタイトルの映画は、たいてい傑作なのだ。観ないでもわかるのだ。
ちゅうことで、

ケン=ローチの新作はどうなったんじゃあ!

……みっかりました、『麦の穂をゆらす風』
20世紀初頭のアイルランド独立戦争とその後の内戦を描いているのだそうです。
東京ではもう上映しているそーな。
知らんかった。



--☆--


漫画情報。
木村紺センセの『神戸在住』の最終巻ですが、9巻、10巻と同時に出るようです。
今月末だそうです。
サイードの遺稿が本になると聞いていたんだけど、あれはどうなったんだろう? あ、漫画じゃないや。

 


*格差社会inアンチマッチョSF名言集*(2006.10.31)

最近ちょっとバタバタしておりまして、結局それは私がなにをやってもヒト7倍くらいトロイのが原因なんだけれど、今日は何としても『特上カバチ!』の新刊を読みたいと思いますので、今回の日記は、よそさまのブログ紹介でお茶を濁すことにしておこうと思います。
きっこさんのブログ『きっこのブログ』から
「またまた出ましたアベスキャンダル」
というの記事。


「総理に就任する前から、安晋会絡みの悪いウワサ、ホニャララ団絡みの黒いウワサ、慧光塾(えこうじゅく)や統一協会絡みの呆れたウワサなど、スキャンダルまみれのアベシンゾーだったけど、いよいよお尻に火がついた。統一協会への祝電問題や慧光塾の広告塔問題は何とかゴマカシて来たけど、今度のアパ問題で身動きが取れなくなったところに、さらに追い討ちをかけたのが、実の兄、安倍寛信にまつわる訴訟問題だ。そう、アベシンゾーが、地盤の下関市のホニャララ団と結託して行なった三菱商事による「不正な競争入札」に対して、地元の優良企業、「原弘産」の原將昭(はらまさあき)社長が立ち上がり、「絶対に無駄な税金は使わせない!」って言って訴訟を起こしたのだ。」


(^_^;)
大手新聞・テレビがけっして報道しないアヴェ式

美しい日本〈ワケアリ〉の真実。

美しすぎて目がつぶれる〜。
無邪気で他愛ない国粋思想と排他的民族主義を土台に「明治時代の富国強兵的☆一億総マッチョ復活!」の再現を国民に呼びかけた、アヴェさんが書いたあのベストセラーのタイトルな。たぶん見えない字でこう付け足してあるんだと思うよ。

『美しい日本仁義なき闘いゴニョゴニョ

彼の言う「失われた日本の美意識」って、結局のところ、あれだ、財閥復活で経済大国!『あゝ野麦峠』みたく、

ワシ儲けるヒト、おまえら清貧に耐えて23時間労働をやらかすヒト、

という世界なんだな。
『あゝ野麦峠』で悪ければ、『蟹工船』だよ。

♪昔の日本は素晴らしかった♪
♪貧乏人も文句を言わず(言えば騒乱罪でオリの中〜)♪ 
♪日本民族の誇りを胸に(となりの中国人民をチャンコロ呼ばわり〜)♪
♪目上の人を敬って(天皇陛下は生き神様です〜)♪
♪究極☆清貧の禅思想(根性棒だケツだせよ〜)♪
♪こざかしく権利だ人権だなどと言うやつおらず(23時間労働をやらかして、あなたにあるのは自己責任)♪
♪永遠不滅の日本国のために命を投げ出す若者たち(沖縄は都合の良いときだけ日本国!)♪
♪少年少女は礼儀正しく(根性棒パート2)♪
♪財閥たっぷり金儲け(あの大量の麻薬はなんだったの?鉄道会社の満鉄さん?)♪
♪女性は男にかしずいてナンボ(大学行っている暇があったら子どもを産まんかい)♪
ヒトの命は短いけれど♪
♪千代に八千代にコケのむすまで日本国♪
♪自由・権利意識・女性の社会進出、そして大学教育が日本を駄目にしたよアヴェ式改革♪
♪ああ〜、失われた明治・大正ロマン♪
♪美しい日本の仁義なき闘いゴニョゴニョ


「総法廷の場で、このトンチンカンな採点をした外部委員会のメンバー1人1人を徹底的に追及して、誰から不正を依頼されたのか、いくらワイロをもらったのかを全国民の前でハッキリとして欲しい。ま、アベシンゾーのスキャンダルに触れるのは、マスコミはご法度らしいから、新聞やテレビの報道には期待してないけどね‥‥なんて思う今日この頃なのだ。」


と、きっこさんはおっしゃっている。
てなわけで。

ここにまた、私は、テレビ陰謀論者の同志をネット上に見いだしたのだった。
(´▽`;)
しかしな……。
いくらテレビや新聞が事実を報道しないとはいえ、こういう連中に選挙のたびに投票するわしらも、いいかげん、アホすぎなのだ。


「人類の圧倒的多数が、「二たす二は四になる可能性があると思います」といわれるよりは、「二たす二は五だ。夢うたがうことなかれ」といわれる方を好むということは、われわれ合理主義者にとって悲しい事実である。」
〜アイザック=アシモフ〜


「地球外の知性について、UFOは、まったく何も語ってはくれない。ただそれが、地球上の知性の乏しさを証明していることは確かである。」
〜アーサー=C=クラーク


「だまされるというのは不幸なことだ、と人は言うでしょう。とんでもない! だまされない方がずっとひどい不幸なのですよ。事物そのもののなかに人間のいう幸福があるとするのは、大変な誤りなのです。幸福とは、事物そのものについて人間が抱く意見しだいなのです」
〜カート=ヴォネガット〜

コイズミさんに投票し、「政治がわかりやすくなった!」と喜んでいるわしら。
(ー.ー )
それでも私は、「アヴェ式マッチョ型日本の美」なんてごめんだし、美しいどころか、全身にじんましんが出て、とにかく痒くてしかたがない。


「彼らの制服を憎みながら、何故憎むのか訝しんだが、実の所、私たちは薄々気が付いていたのだ---その辺のごろつきを包んで軍人に仕立て上げる制服、合法化された犯罪、天職に高められた残虐さ、即ち権力と暴力の結合の卑しさに」
〜佐藤亜紀〜

 


誤解と曲解の51位(2006.10.26)

「パリに本部のある国際的なジャーナリスト団体「国境なき記者団」が168か国を対象に報道の自由に関する調査おこなったそうだ。
結果はみなさんがご想像の通り。

北朝鮮が2002年以来5年連続で最下位

だったそうで、予想通りといえば予想通りだったわけだけれども、しかし私は、となりの国のことよりも、日々を暮らしている土台としての日本の報道のほうが、断然気になる人間だ。
確かに朝鮮人民共和国の人民の夜明けは遠そう。だけどな。
ワシらの暮らしはいつもカンカン照りのお日さんの下にあり、あまりの公明正大さがまぶしくて今ちょっとサングラスしてる---つもりになっているけれど、いざサングラスはずすと当たりは真っ暗け!ということになってしまってるんじゃないかと、ワシはそんな気がしてならんのよ、最近。
ちゃんと日本の順位が出ております。
発表します。ジャーン!

★日本は51位
(前年37位)

こりゃあ、ずいぶんひっどい順位だなあ。
(;^_^ A
確かに、ミャンマー164位、中国163位、イラン162位、イラク154位などに比べたらずいぶん上位のような気がするけどな。
しかし、
ミャンマーやイラクよりも順位が上ってだけでありがたがる気持ちにはならないよ、正直。

大阪人民が【大阪タイガース文化大革命☆独立戦争】でも引き起こして、「タイガースファンならずんば人にあらず」という血の粛清でも始めんかぎり、イラクやミャンマーの下にはなりません、残念(←?)ながら。
シカモ、日本のメディアの報道の自由度が、51位という低順位になった理由が


「日本については、記者クラブの存在とナショナリズムの高揚を順位低下の理由」

って、

極右勢力と排他的民族主義への無批判&礼賛をモロ指摘

されております。
……はずかしいよ。
(^_^;)
つーか、ようように考えてみれば、今年の夏に行われたサッカー・ワールドカップに出場した国が32カ国だったわけだ。そこんとこを考えると、51位という順位がどういうことかわかるというもんだ。

報道の自由ワールドカップが開催されても、日本は予選落ちして出場できないということなのだ。

確かに北朝鮮も出場できないかもしれないが、うちらだってぜんぜん出場資格がないわけで、ことは自由や知る権利や民主主義のシステムにかかわることだけに、重大である。
実際の順位を並べてみよう。

1位!
フィンランド
アイスランド
アイルランド
オランダ(優勝!)

5位!
チェコ共和国

6位!
エストニア
ノルウェー

8位!
スロバキア
スイス(ベスト8!)

10位!
ハンガリー
ラトビア
ポルトガル
スロベニア

14位!
ベルギー
スウェーデン

16位!
オーストリア
ボリビア
カナダ(ベスト16!)

19位!
ボスニア・ヘルツェゴビナ(あの悲劇の内戦を体験したボスニアも出場!)
デンマーク
ニュージーランド
トリニダード・ドバゴ

23位!
ベナン
ドイツ
ジャマイカ

26位!
ナミビア(がんばってる!)

27位!
リトアニア
イギリス

29位!
コスタリカ

30位!
キプロス

31位!
韓国(アジアから見事出場国が!)

32位!
ギリシア
モーリシャス

34位!
ガーナ

35位!
オーストラリア
ブルガリア
フランス
マリ(うわあ、日本まだ出てこない……)

39位!
パナマ

40位!
イタリア(サッカーは優勝したんだけどねえ)

41位!
エルサルバドル
スペイン(前年と比べてヨーロッパの大国は予選落ち多し)

43位!
台湾

44位!
南アフリカ

45位!
カボベルデ(すみません、どこの国ですか?)
マケドニア
モザンビーク
セルビア・モンテネグロ

49位!
チリ

50位!
イスラエル

51位!
日本


どーん!
ちなみに、自由の国、民主主義の総本山アメリカ合衆国はどこにいたんだというと、なんと、日本の下。


52位!
ドミニカ共和国

のさらに下で。

53位!
ボツワナ
クロアチア
トンガ
アメリカ合衆国

(T△T)←自由の女神の涙っ



ひー。長いよう、ようやく終わったよう。
って、チリの下、イスラエルの下って、

マジやばすぎ!!!!

(^_^;)
私の周囲では、この順位に対して、
「そうかなあ。日本ってむしろナショナリズムとは縁遠い国だから、勘違いされているんだよね。日本人はもっと民族の誇りを取りもどさなくちゃいけないくらいなんだ」
という意見が多いのだが、あの〜、それって、報道の自由度42位の

日本のテレビや新聞の受け売りですよね?

(;^_^ A

ちゅうか、この状態ではまだまだ真のナショナリズムとは呼べない、とは、なんちゅう完璧主義なナショナリストなんだ。
思わずのけ反る、すっげえ高いハードルじゃな。

一億総三島由紀夫にでもならんと許してもらえんのだな。

(^_^;) これぞまさしく、ゴーマンかましてよかですか(苦笑)。
……教育って大事だな。
しみじみ。
(^_^;)
報道の自由はどんどん順位を落とすいっぽう、独占する自由、商品化する自由、税金をパチる自由、公共の財産を民営化の名のもとに企業がクイモンにする自由は、テレビ新聞によって大々的に宣伝されております。
「儲けて何が悪いんです?自由でしょ?」
いんや。
君らのやっていることは、はっきり申し上げて、犯罪ですよ。
さて。
かんじんの新聞社のお歴々はこの順位をどう受け止めているかということですが、「日本新聞協会編集委員会・記者クラブ問題検討小委員会」というところが、2003年の時点で「国境なき記者団」にこう反論している。


「これらの疑問の大半は、誤解や曲解に基づくものです。しかし、結果として、彼らは記者クラブを「承服できない障壁」ととらえ、十分な取材ができなかった不満・怒りの矛先が<記者クラブ>に向けられる例が少なくありません。われわれ新聞協会加盟各社は「日本の記者クラブ制度は国民の『知る権利』の代行機関として重要な役割を果している」との基本認識を共有しています。」


ほー。
「これらの疑問の大半は、誤解や曲解に基づくものです」って言うけれどさあ、「彼らは記者クラブを「承服できない障壁」ととらえ、十分な取材ができなかった不満・怒りの矛先が<記者クラブ>に向けられる例が少なくありません」っていうのが実際問題大問題という話をしてるんだからさあ……。
「日本の記者クラブ制度は国民の『知る権利』の代行機関として重要な役割を果している」などと自画自賛なさっておられますが、まさしく、国民の知る権利の代行機関として新聞各社様が日々果たしている

重要な役割ってどんな役割なのか、そこんとこの具体的な内容を知りたいと思う今日このごろでございます。

誤解や曲解に基づく疑問で、頭の中がぐらぐら煮立っている私に、ぜひ説明をしていただきたい。
ぜひぜひ。熱望します。

「私とのインタビューの録音を流した何人かのラジオ記者は馘首された。私とのインタビューを流したある放送局は閉鎖された。私はメディアから完全に締め出されていた。
 私たちを欺こうとする支配階層に対抗するにも、私たちには資金がなかった。誰かが私に、「チャベス、宣伝費をどうやって支払うのか」と訊ねた。私は「わからない」と答えた。「テレビを支配している大金持ちたちに対抗して、どう選挙運動を展開するのだ」---
「わからない。どんな手段があるのか、わからない。だが、ともかく選挙をやるんだ」」
      〜ウーゴ=チャベス〜

 

 


*200万アクセス対928億円*(2006.10.19)

あろうことか日本代表監督になってしまったイビチャ・オシム監督は、どうもすごそうなんだけれど結局わかるひとにしかわからない

変化球語

(野球用語で申し訳ない)を駆使することで有名でありますが、このひとの息子、父に代わってジェフ千葉の指揮をとっているアマル=オシムさんも、けっこうな変化球語使いということが最近わかってまいりました。
(;^_^ A

「千葉・アマル監督が物申す!巻批判した川淵キャプテンに反論」

この記事には書いていないけれど、アマルさん、なんでも


「川淵さんは69歳だし、それだけ経験があって賢さがある人なら、何か言う権利もあるでしょう。」

のあとに

「しかしだからといって我々がJ=ブッシュの意見をすべて受け入れなくてはいけないということはない」


と続けて言ったとか。
(^_^;)
こういう文脈で、突然ブッシュ米国大統領の名前が飛び出すところが、

この親子の政治的立場を如実にあらわしているよなあ。

しかし、お父さんとちがって息子のアマル氏はシュート系の変化球なので、このままじゃあ日本にそう長くはいられないかと。
(^_^;)
この国は、外からの批判に対してどんどん聞く耳が無くなってきておりますし、ちょっと意見されただけで攻撃されたと激怒しはじめるので、実にモノが言いにくいです。
同意しない連中は自動的に反対勢力ですから。
というわけで、オシム親子のサッカーをこの日本で堪能できるのもあとわずか。なんとも切ないものがあるわけでございます。
てなわけで。
ふと気がついたら、トップページのアクセスカウンターが200万を突破しておりました。
やんや、やんや。
ウチは純粋にトップページ来訪者のみをカウントさせていただいておりますので、200万を超えたとなると、なんかこう、達成感のようなものがふつふつとわき上がってきたりします。
実際は、なにかを成しとげたということではぜんぜんないのですが。
(;^-^ゞ
ともあれ。
来訪者のみなさま、これからも『絵本工房』をよろしくお願い申し上げます。
さて。
私が200万という数字にひっそりとした達成感を味わっているさなか、世間では、サラ金の高金利と違法取り立てが社会問題となっております。
借金苦による自殺も大量発生。
これではいかんと、国会では、高金利を引き下げるために現行の利息制限法を改正する動きがあるのだそうです。
おお、ようやく政治家たちも動き出したのか、と、自民党の改定案をのぞいてみると……うん? なんだこりゃ?

上限金利が引き上げになっとるやん!

(´▽`;)
え〜なになに? 私が20万円借金したとすると、今までは18パーの金利だったのが、20パーになってしまうと……。
こっちの頭がパーになりそう。
あぶない高利貸しが、もっとあぶない高利貸しになるという……。
まるで刑事ドラマのタイトルのような。
(;^-^ゞ
この改正案が施行されたとすると、サラ金各社の増益は

928億円

になるとの予想が出ております。
928億円のもうけ!

これがアクセスカウンターだったら、サーバーがパンクしまくりで煙がでますぜ。

(^_^;)

サラ金各社が、政府与党の議員がたにせっせと献金した効果が、今まさに結実しようとしている瞬間であります。


個人の自由が保障される民主主義国家というけれど、現実、今の日本で自由が保証されているのって、法人という架空の人格の、利益追求の権利だけなんだな。
経済の自由化って、な〜んて素敵な世界なんでしょう〜!

トイチの利息で経済大国!
違法取り立てで国際的競争力の強化!
ワイロはこれから献金と呼ぶことにしま〜す!
わはは。

株主を喜ばせ続けなくてはいけないというシステムを維持し続けるのって、大変というだけでなく、耐えがたいまでに不幸なことだよなあ。

ねえ?
儲けている上に928億円さらに儲けて、いったい何に使うってんだろね。
(^_^;)
SF作家、カート=ヴォネガット先生のお言葉をもう一度。


「「こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。 なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積もっても、せいぜい百年ぐらいさ。 ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ、いいかい――
なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」」


コイズミさんに投票したひとたちは、政治がわかりやすくなった、と喜んでいるそうだけれど、こっちのほうが絶対わかりやすいだろ!

「なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」

勝ち組がどうしたの負け組がどうしたの、土着的民族主義で“私たちだけが素敵であれ”だの、わかりにくいよ。

「なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」

この規則は、すべての地球人が自らに課すたったひとつのルールだ……と、わかりやすく決めちゃえばいい。

「なんてったって、親切じゃなきゃいけないよ」

それに、みんながいま思っているほどには、難しいことでもないんじゃないでしょうか。
たぶんね。


-☆--


めっさ面白いコラムを見つけたので。

「ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記・2006-10-17 カザフスタンからアメリカを探検しに来た男」

すっごいね、これ。
映画にもなるんだって。

 


*美しさはわかりにくい*(2006.10.12)

ロシア政府のチェチェン人弾圧問題を命がけで取材&発表し続けていたジャーナリストが、とうとう暗殺されたそうですね。
日本の政治もじつにわかりやすくなってきているわけですが、ロシアのそれも本当にわかりやすい。
(^_^;)
今ロシアでは、暗殺が大流行中なのだそうでして、究極のわかりやすさ。
そのような状況にもかかわらず、わかりやすさの影に隠された真実を追い続けたジャーナリスト魂、本当に素晴らしかったと思います。
ご冥福をお祈りします。
そして

暗殺者は地獄に落ちろ。

暗殺されてもされても、雨後のタケノコのようにわきだしては真実を国民に伝え続けるるロシアのど根性記者のみなさん。
次から次へと暗殺されて、多くのかたがたが野ざらしの墓の中。
平面ガエルのピョン吉はシャツの中でどっこい生きているけど、殺された記者さんたちは、その根性のルポだけを残す。
……私なんかに言われたくはないけれど、日本のジャーナリストのみなさんにも、もちっと気張ってもらいたいもんだよね。
暗殺されるまでがんばれとは言わんけれど。
(^_^;)
少なくとも、社会の木鐸たる本分を肝に命じてお仕事していただけたらと。
辺見庸氏によると、日本のジャーナリズムがこうも権力べったりのフヌケになってしまったのは、

塩分の摂取量が足らないから

だそうです。
極めて斬新な説だ。
(^_^;)
ロシアからニシンの塩づけでも送ってもらおか。
いっそ、ジャーナリストの塩づけとか。
ジャーナリストの塩づけって、『勇午』みたい。



-☆--


オシム監督がひきいるサッカー日本代表の試合をテレビで観た。
テレビは人類の敵だっ!というトンデモ陰謀論を説いて回っている私としては、じつに不徳のいたすところ。
(^_^;)
しかし、イビチャ=オシムは私にとっての英雄で、芸術家で、真のスポーツマンで、そして教師なのだった。……私のような自堕落で身勝手で植物的な人間に、勝手に生徒面されては迷惑だろうけれど、英雄とは昔からそういう役割を背負わされる運命なのである(←独断的も追加)し、

ま、ようは、サッカーの試合が観たかったと。

(^_^;)
試合の結果は、インド代表チーム相手に3-0という塩梅。完勝ではあったけれども、オシム監督がジェフ千葉で魅せたような「美しいサッカー」という高みにまでは、まだまだ道は遠し、というところか。
試合日前日の共同記者会見が、英雄的でちょっと期待したんだけれど、まだまだこれからかな。


「「みなさんも先ほどのインド人記者のように、最初は4−4−2とか3−5−2とか(形に)にこだわっていましたね。システムを先に考えるという形に。しかし私の出身国にはシステムはない。政治のシステムは崩壊している。でもファシストのシステムよりはましだが(笑)。システムというのはあった方がいい場合とない方がいい場合の両方があるのだ」」

(^_^;)
「しかし私の出身国にはシステムはない。政治のシステムは崩壊している。」
彼の言う出身国とは、もちろん旧ユーゴスラビア諸国だ。
しかし、後段の

「でもファシストのシステムよりはましだが(笑)。システムというのはあった方がいい場合とない方がいい場合の両方があるのだ」

のほうは、

コメントを取材している記者たちと、その記者たちが書く記事を読む読者たちが所属している国のことなんだよな。

(^_^;)
ナショナリズムと親和性の高いサッカーというスポーツにかかわっている人間が、まんま本当のことを言うとロシアの記者さんみたいに暗殺されてしまう(苦笑)ので、オシム監督はいつも曲線的な話法を駆使する。しかし、オシム監督が話しているその相手は誰なのか、そのことに注意すると、彼が言いたがっていることはだいたいわかるのであった。
まあ実際のところ、日本人は自分たちが思っているよりも察するということが苦手で、行間を読むということもできないから、オシム監督はもう4年も日本で監督業を続けていられるし、「今の日本の社会は人類共同体全体にとって犯罪的だから、若者は社会参加などせずニートになるべきだ」と過激に主張する映画を撮った宮崎駿監督だって、暗殺されずにすんでいるのであった。
(^_^;)
オシム監督はそれでも良心的ですよ。彼は前もって言ってくれてますもん。

「私は真実を話さない」

って。
(^_^;)
なぜ真実を話さないのか、話せないのか。それ自体がヒントなんだよね。


「「でもファシストのシステムよりはましだが(笑)。システムというのはあった方がいい場合とない方がいい場合の両方があるのだ」」


ここから先は、サッカーに興味のない人にはさっぱり面白くない話なんだけれど、ちょっと頭に来たというか、失望したというか、そういうできことがあったのでちょこっと書いておく。
実は、今年の6月までオシム監督が指揮していたジェフ千葉というチームが、今、GM追い出し工作でゆれにゆれて崩壊寸前なのだ。
オシム監督が就任して以降、私はジェフ千葉のサッカーがずっと好きだった。だって強いチームは少なくとも1年に1チームは存在するけれど、ジェフ千葉はこの4年間、

日本一ひたむきなサッカーを展開していたし、

去年の夏くらいから、もっとも美しいサッカーを展開もし始めていた。
強いチームは毎年出てくるけど、美しいチームはなっかなか見れるものではない。
だから、オシム監督は私の英雄なのだ。
それが、派閥抗争の地獄のどんづまりで、4年をかけて作り上げてきたチームの美点を一掃しようという……。
「美しい日本人の誇りを取りもどす」というスローガンを掲げて、国際的に完全に孤立した今の日本の状態を正当化し、結局は日本のさまざまな美点を失う結果にもなっているという政府の有り様が重なって見えるのな。
日本という国を機能させているシステムの内部で、ジェフ千葉というチームも存在している。
実に日本的な球団運営がなされているということらしいのだ。
ほんと、この日記でまいど書いていることだけれど、あなたの言う美しいってなんなんだ、アヴェさん。
もちろん、アヴェさんにとっては、美しさなんてどうでもいいんだな。
金、権力、金、金、やっぱりお金。
星の王子様の言うとおり、大切なものは目に見えないけれど、見えないものをどうやって貨幣化する?
そして、貨幣経済社会のシステムの内部で、貨幣化できないものに価値などあろうか?
そうだ。
美しいサッカーに私たちがお金を支払えば、そのときは価値があるということになるだろうけれど、Jリーグにおいてもっとも価値のあるサッカーとは、人気チーム浦和レッズのそれなのだ。
……ごめん、ただの鞠蹴りだろう、と言われたら返す言葉もないけれど。
久しぶりにテレビ番組を観た記念に、ということで。



*わかりやすい政治と美的センスの問題*(2006.10.9)

10月3日に、外崎則夫氏のサイト
『N.TONOSAKI's Personal Station』
の大人気コラム
『がんばれ!!ゲイツくん』
最新号がアップされております。


「なぜコイズミ君を支持するのか、という最近の世論調査を見ると、最も多かったのが「政治が分かりやすくなった」ということだったようで(生活が向上したというのがほとんど無いのが凄いです)、確かにこれだけ分かりやすく悪化した政治というのも珍しいですよね。
ま、昔から分かりやすい政治というのは馬鹿な国民を騙すには格好の手法でしたけれどね。ヒットラーの「ゲルマン民族は世界一だ! 悪いのはユダヤ人だ!」なんてのもそうですし、戦前の日本みたいに「日本は神の国だ! 天皇陛下万歳!」なんて言って何百万人も無駄死に(しかも軍人のほとんどは餓死)させた戦争やって国土をぼろぼろにしたというのも大変分かりやすくてよろしかったと思いますね」


私、TONOSAKIさんと、ものすご気が合うような気がする。
文体的に私の方が、武闘派かつ痙攣的だけど。
(^_^;)
TONOSAKIさんとは、「今の日本って、ナチが政権取ってたころのドイツとクリソツ」という評価を共有できておるんですね。
ちゅうか、そんなもの共有したくないんですけれどね。
(^_^;)

「コイズミ君が五年総理大臣をやっている間に、企業の正社員が270万人も減って、代わりに非正社員の数は290万人も増えたようです。で、平均年収は今や130万円(!)だそうですが、非正社員だと福利厚生も無いし交通費も出ないことも多いので実際はもっと低いでしょう。格差社会なんて言われてコイズミ君もしまいには何が悪いと開き直っておりましたがそれにしても凄い時代になったものです」

「何が悪い!」とヒットラーも言ったそうですね。
確かに二の句が出てこない。
(^_^;)

「どうやら日本の新しい首相には祖父の代から統一教会との癒着が有名で最近も祝電を送っていたことがバレたことでおなじみのシンゾー君に決まったようですが、なんか日本の総理大臣ってバージョンが上がるたびにどんどん悪化しているような気がしてならないんですけれどね。そのうちサービスパックでも出るんでしょうか。」

言ってたら、すんごいサービスパックきましたよ。

北朝鮮の核実験。

北朝鮮の脅威に対抗するために、日本も核装備じゃあ!と主張しているアヴェさんに、素敵な追い風。
しかも、新聞の休刊日を狙って核実験してくれるという、北朝鮮の日本政府への親切ぶり。
(^_^;)
おかげさまでアヴェさんたちは、テレビを使って国民の不安と恐怖をあおるだけあおって、軍需産業でぼろ儲け。
負け組というレッテルを背中に貼り付けた国民は、自分の背中を見ることもできず、排他的民族主義と未来への不安で集団ヒステリー状態。
勝ち組の皆さんにとっては、ありがたいこってす。

実は、北朝鮮って究極の親日じゃなかろうか。

美しい日本にまた一歩近づいて、テレビも新聞も鏡の役割をまったく果たさないから、国民は

自分の背中に張られたレッテルと自分の顔つきにまったく気がつかないのな。

わかりやすいウソに浸って、まるで白雪姫の継母のように、「世界で一番美しいのはだあれ?」
とブラウン管にたずねるのだ。
アヴェさんの声が聞える、コイズミさんの声が聞える、ナカソネさんの声が聞える、
「世界で一番美しいのは私たちでっす」
それでも、あのおとぎ話に出てくる魔法の鏡の方が、日本のマスメディアよりは根性があった。あの鏡はあるとき言うたよ、

「世界でいっちゃん美しいのはあんたやのうて、白雪姫です」

ムキー!
でも、怒ってもしゃーないわな、それが事実なんだから。
(^_^;)
……。
私の大好きなSF作家のカート=ヴォネガットが子どものころのお話。
お父さんが、猟銃でうずらを撃って捕まえてきたんだけど、ヴォネガットの兄さんが、父親が撃ったうずらを見て、こう言ったのだそうです。


「なんてまあ、
素晴らしいスイス製時計を
打ち砕いたようだ」


そういうわけで、私とアヴェさんとは、美意識のベクトルが180度違うのであった。
なぜなら私は、軍歌にも核ミサイルにも国家制度というものにも、なんら美しさを感じることができないし、いっぽう、ひとんちの庭で勝手にミミズをほじっているスズメにスイス時計のような美を感じるからなのだ。
生きている鳥を眺めるのは、本当に素晴らしい!

 


夢見る惑星(2006.10.6)

日本人は世界でもっとも睡眠時間の短い国民なのだそうだ。
なんとかわいそうな国民なのだろう。『ドラえもん』の野比のび太は、

「ヒトはもっと眠るべきで、少なくても眠っている間は戦争ができない」

と言ったし、ル=グウィンは「私は本物の竜が見たいのです」と言ったけれど、竜を見たければ、その前に、夢を見なければならない。たくさん。
もちろん、ここで言う夢とは、「有名人になりたい」とか「世界を支配したい」などというような未来への希望や願望というようなもののことではなくて、レム睡眠中に観るそのものずばりの夢。混沌、妄想、非現実、ラリパッパ、ウソンコ、そういうたぐいの。
私は、本物の竜を見たことがなくて、でも、心のどこかで、見た気にはなっている。
それは、『日本昔ばなし』のオープニングに出てくるあの竜。みなさんもきっとご存知だろう。うなじに赤んぼうを乗せて、海へびのように夜空をスルスルと泳いでいる。
体長は、ファンタスティックなまでに長い。全身は濃い緑色だ。竜の目には瞼がなく、真ん丸に飛び出している。竜だ、竜だと腰をぬかして驚いている私のことなどまったく眼中にない。ゆうゆうと体をくねらせ、飛んでいく。
でんでん太鼓を片手にりゅうの背に乗っている赤んぼうは口を真一文字に結んで、無表情なまま前を見ている。恐くはないのだろうか?と私は思う。
私は恐い。恐くて恐くて、子どものころは、『日本昔ばなし』などこの世から消えてなくなればいいと思っていた。
(^_^;)
あれはきっと、人間が見てはいけないものだ。私は直感で理解した。
なのに、テレビアニメーションを楽しむつもりでチャンネルをひねると、あの竜が現れたのだった。竜を見てみたいと願い続けるル=グウィンのもとには現れず、私のところにやって来るとは!
運命とはいえ、実に実にひどい話だと思う。
私は竜に出会ってしまったと心のどこかで確信してしまっていて、それは本物で、生きていて、つまりあまりにも決定的だったのだ。
キリコの絵の中で必ずはためいているあの旗のように、私の夢を絵に描けば、空のどこかにあの竜が飛んでいる、

私はそんな気がしているのだ、本気で。

いよいよ、眠りの世界に落ちる瞬間、どこからともなくシベリウスの『フィンランディア』が聞えてくるなどと言いだしかねない様相を呈してきたわけだが、今のところ、それはない。
今のところ、は。
(;^-^ゞ
それでも私は、眠るのが好きで、私の空で竜が飛ぶのは構わないけれど、どうか私に危害を加えませんように、と思う。



--☆---


『デスノート』『ナナ』という漫画が大人気なのだと韓国女子高生のDちゃんから教えてもらった。
聞いたことあるよ、そのタイトル。
読んだことないけれど。
(^_^;)
少年ジャンプを読まなくなってから、何年になるのだろう。
『ナナ』の掲載誌の『Cookie』にいたっては、その存在すら知らなかった。
少女漫画雑誌は、なかなか立ち読みできんトシになってきたのだ。
(^_^;)
そういえば、『YOUNG YOU』、なくなったって、本当?
で、突然ですが、最近読んだ漫画を書いておきます。
いや、書いておかないと、最近すでに読み終っていることを失念して、漫画を二度買いしてしまうのよ。
ものを覚えておれないトシにもなったのか。
(^_^;)

『フルーツバスケット』21巻
『サナギさん』1巻、2巻
『もう、しませんから。』1巻

えーと、

思い出せない。

(^_^;)
ゴホン。
『神戸在住』の最終巻はまだでしょうか?


思い出したので追加。

『ドボン&ウズ・メメス』
『レナード現象には理由がある』
『水惑星年代記』
『特上カバチ』5巻

読んでました。
『特上カバチ』おもしろいですよねえ!
『ドボン&ウズ・メメス』 は、ものごっつかわいいネコ漫画っす。

 


現実VSうそんこ2(2006.9.27)

わたしがタイムマシンを手に入れたとしら、両親の結婚式当日に姿を現すだろう。そして、10分ほどかけて、これから起きるあれやこれやを両親に警告をするだろう。
まずあなたたちはこれから、身長が180センチもある、図体ばかりでかい自意識過剰な息子を産み、育てることになる。
しかし、この息子は、どうにもこうにもできが悪いだけでなく、6歳の誕生日を迎えたとたん腎臓の病気にかかる。入院費は一週間で10万円にもなり、あなたたちは請求書を手に途方に暮れることになるだろう。
間違いない。
この結婚式が終ってすぐに、夫は登社拒否になる。お腹が痛いだの、明日から行くだの、昼から行くだの子どもみたいな駄々をこねて、妻をほとほと困らせるであろう。
間違いない。
妻は、まったく根拠のないままに作家になるという途方もない夢を膨らませ続け、夫はやがて、自分の妻の頭はおかしくなったんじゃないかと思うようになるだろう。
間違いない。
あなたたちふたりは、そろいもそろって、お金がなくて困っていてもそれが重要だとは思っておらず、未来はバラ色で、香りは桃のようで、光量はじゅうぶんで、人々は賢明で善良で、これからなにもかも良くなっていくものだと思っている。

残念ながら、ぜんぜん間違っている。

2006年の日本では、
(1)学歴が職業とつながらなくなり、
(2)職業が永続的なものだという神話が崩壊し、
(3)夫婦関係や家族関係や友人関係が破綻し、
それら(1)(2)(3)の状況を背景に、社会の二極化という現象が起きるだろう。
間違いない。
何事においてもまず自己責任が強調され、人生とは成功か失敗かのどちらかで、この世の森羅万象のすべてはあなたの能力次第という狂った世界観を引き受けて、誰もが生きていく。
「成功」も「失敗」もあなたの能力次第であり、どちらにころんでも、あなたの自己責任において個人的に受け止めるべきだ。
あなたの絶望、あなたの自己不全感、あなたの「負け組」というレッテル、ぜんぶあなたの「失敗」なのですよ、というふうに教育されているひとびとが作り上げる世界。
ともかく、

あなたたちふたりが夢見たユートピアは、鼻クソほども実現しないだろう。

わたしは未来からやって来たミスターXで、となりにいるまるっこいタヌキみたいな生き物は

ドラえもんというロボットだ。

今のあなたたちは、ドラえもんと言っても何のことがさっぱりだろうけれど。
指摘しておくことは他にもある。
自民党をぶっ潰すという公約を守ったのみならず、

何百兆円にもなる借金を作って日本経済をすっかりヨレヨレにしたコイズミさん

という人物が総理の椅子から降りるのも2006年のことだ。
間違いない。
その代わりに総理大臣の椅子に座ったのは、親衛隊と共に銀座で軍歌を歌って美しい祖国を再建しようと余念のないアヴェさんという人物である。
反戦フォークなど、誰も歌わない。
そんなものを歌っていたら、未来の若者は、就職などけっしてできないだろう。
(^_^;)

↓赤字国債乱発、
↓増税、
↓年金改悪、
↓医療保険改悪、
↓リストラ促進 、
↓自殺者増年間4万人弱、
↓アジア各国との関係悪化、
↓米軍に血税3兆円ぶんの大プレゼント、

こういう出来事が連続的に起こるだろう。
とても信じてもらえないだろうが、間違いない。
(^_^;)
ゴホン。

でも、これで驚いちゃいけねえ、ネコ灰だらけ(寅さん口調で)。
お上は冷たいねえ、世の中さらに悪くなるだよ、ねえサクラ。
(ついでにお教えするが、渥美清は1996年にお亡くなりになるだろう。1996年というと、今のあなたたちには気も遠くなるほど遠い未来に感じられるだろう。時間とはそういうものだ。ちなみに、寅さんシリーズのラストタイトルは『寅次郎紅の花』だ)。
このような現状をふまえて、未来の有権者であるわたしたちはどのような行動に出るかというと、それでもなぜか自民に投票するだろう!
(^_^;)
朝三暮四のことわざそのままに、ころりとテレビにだまされて。
もちろん、だまされるやつよりだますやつが悪いのだし、独裁恐怖政治の内部にいる人間は、その事実に気がついていないのがいつものパターンでもある。奥さん、あなたの父もそうだった。あなたのお父上は日本政府の植民地政策に乗っかり、国家的犯罪行為にあなたを含む家族全員を巻き込んだ。しかし、犯罪行為の手を広げすぎた日本政府は、自己崩壊した上にヤケを起こして、こともあろうかアメリカ政府と大英帝国に戦争をふっかけた。
戦争は割に合わないとは当時でも誰もが知っていたことだが、この結果は割に合わないどころではなかった。一歩間違えれば地球の全生命体が死滅しかねないほどの破壊をもたらすところまできたのだと、世界人類が実感できた、そういう戦争結果だった。
それは、過去の物語。西暦で言うとキリストさんが生まれてから1945年後のこと。
わたしがやってきた世界は2006年だ。
たった61年しか経っていない。で、

また、やるの? あれを。

(^_^;)

同じことを、まるきり最初から?

そんなバカな、と若いあなたがたは思うだろう。
いまのおふたりは、ショックを受けて、真っ青になって立ち尽くしている。しかし、こういうふうに考えて欲しい。
今のあなたがたが、ふたりの愛は永遠だと本気で感じているように、未来の人間だって、

ありもしないものを信じるし、大切なものはすっかり忘れてしまう危険で呑気な人々なんだ、と。

あなたたちが望もうが抵抗しようが、理解しようがしまいが、あなたたちの愛は、ナショナリストたちのものだ。得体のしれない何者かに巻き上げられた愛の代わりに、あなたたちが手にするもの……。
あなたたちがあなたたちであるがゆえの輝きも、市場経済システムが吐き出す排泄物にすぎなくなるだろう。
この地球上で人間として生きていくことの辛さ、生活することの冷酷さに、我々の大切な何かがひっそりと失われていくだろう。
未来も今も、人間という生き物は人間のままで、それは変わらない。私たちは心の中で単純な呪文を唱え続けてる。
「今によくなる、今によくなる」
いっぽう、あなたたちの息子ときたら、無神論者で無信仰なくせに、朝目覚めるたびに、こう考えるようになるだろう。
「来世というものがあるのなら、今度は、SF小説の登場人物に生まれ変りたいよ」
学業の成績は、小学校に上がったその瞬間からずっと最低で、教室でも家でも教科書を開こうとせず、昆虫図鑑や少女漫画雑誌ばかり読みふけるようになるだろう。
まちがいない。
中学に上がると、奥様が奨める司馬遼太郎や松本清張なども読みはするが、やがて彼は、サイエンスフィクションというしけたジャンル小説に熱中するようになるだろう。


「ああ、畜生。けれど思うんだ。
         もし兵隊たちが、
    時々自分自身にこう言っていたら、
   戦争はもっとよかっただろうって。
”神様。俺は敵にそんなことをするつもりはない。
     あんまりひどすぎる”
     あんたは壊さなければ、たとえ
  ヴァイオリンの作り方を知らないとしたって、
      そのヴァイオリンの
    作り手だったってことになる。
       俺は爆弾を落とさなければ、長崎の
    人々すべての父親ってことに
     なっただろうに。
     そして母親って
     ことにも。」


カート=ヴォネガットの同じ小説を何冊も買い集め、どうして同じ本を何冊も買うの?と聞くと、だって好きなんだ、などと答えるようになるだろう。
間違いない。


「「闘争を拒むのが新しい英雄よ。新しい英雄は惑星を守ろうとしているの。
もう戦う時間もないし、戦う場所もないわ。」」


もう闘う時間もないし、場所もないし、そのための資源もない。
あなたがたふたりの息子は、小説に書いてあることを本気で信じるようになるだろう。
テレビの言うこと、新聞に書いてあることを、はなから信じなくなるだろう。

♪今日も〜 ナァミダの 陽が落ちる〜♪
♪陽がぁ落ぉちぃ〜る〜♪

わたしは最後に言うだろう。
グッドラック。
あなたたちは、なにひとつ悪いことはしないだろう、と

 

 


現実VSうそんこ(2006.9.22)

現実の暗いニュースその1
《タイで起きましたっ軍事クーデター》

現実の暗いニュースその2
《アヴェさんが自民党の総裁になりました》

暗い暗い真っ暗だ。
(^_^;)
「日本にカジノを造ろう」な〜んて言ったり、学歴詐称したり、こういうひとをテレビや新聞がやんやと持ち上げる。

美しい日本!

北朝鮮を核攻撃して美しい日本を作るんダト……。
スマン、『はだしのゲン』 世代のわたしには、このような日本民族の誇りにあふれ返った美的センスは、まったく理解できん。
どうしようもなく暗れ〜よ、真っ暗。
つらいわ〜、現実って、つらいわ〜。
あまりの恐ろしさに、わたしはまたまた部屋をほじって、現実から遠く離れたSF小説、現実と対決するための「うそんこ話」を見つけだす。
事実なんて最初の1行から最後の1行までありゃしない。
ほらうそんこ!
ほじれば出てきた、カート=ヴォネガットの『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』だ。
この無害な非真実を、リアルな現実と対決させてみよう。

うそんこ話の引用その1


「こんにちは、赤ちゃん。地球へようこそ。この星は夏は暑くて、冬は寒い。この星はまんまるくて、濡れていて、人でいっぱいだ。なあ、赤ちゃん、きみたちがこの星で暮らせるのは、長く見積もっても、せいぜい百年ぐらいさ。ただ、ぼくの知っている規則が一つだけあるんだ、いいかい。なんてったって、親切でなきゃいけないよ」」


うそんこ話の引用その2


「おじさん、わたしがいちばん頭にくるのは、この人たちがどんなに物知らずかということでもなく、どんなに大酒飲みかということでもないんです。それよりも、この世の中のすてきなものはぜんぶ、自分たちか自分たちの先祖が貧乏人にくれてやったものだとする、この人たちの考え方が気にくわないんです。」

わたしはこの、SFという文学ジャンルの、無害なうそんこ話の中に、真実を見いだすような、実にいかれた人間だ。
『スローターハウス5』という小説の中で、作者のカート=ヴォネガットは、作中に出てきてこういうことをおしゃべりする。

「この小説には、性格らしい性格をもつ人物はほとんど現れないし、劇的な対決も皆無に近い。というのは、ここに登場する人々の大部分が病んでおり、また得体の知れぬ巨大な力に翻弄される無気力な人形にすぎないからである。」

うう……。
うううううううううっ。
真実の持つ重さに、暗闇が降ってくるような洞察の鋭さに、へなへなとその場に座り込んでしまいそうだ。
だって。
「ここに登場する人々の大部分が病んでおり、また得体の知れぬ巨大な力に翻弄される無気力な人形にすぎないからである。」
だぜ?
ゲーテは死の間際に、
「もっと光を!」
と叫んだという。
わたしは、わたしと人類の死の間際に、見苦しくもこう叫ぶ。

「もっとSFをっ!」

もっとSFをくれ〜!って、まったく、バタリアンじゃねえんだっての。
(^_^;)


「「アメリカが嫌いなの?」
と彼女は言った。
 「好くのも嫌うのも馬鹿げている」
とわたしは言った。
「国に対して感情を動かしたりはしないんだ。不動産に興味はないからね。これはわたしの人格の大きな欠陥だけれど、国境を土台にものを考えることができないんだ。想像上の一線なんて、妖精やなにかと同じくらい非現実的なものに思える。人間の魂にとって本当に大事なことが国境線から始まったり、そこで終わったりするということが信じられない。美徳も悪徳も、悦楽も苦悩も、国境線で縛られたりはしないよ」」


……わたしは、カート=ヴォネガットの小説が大好きで、なかでも『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』の主人公、エリオット=ローズウォーターさんというキャラが、大好きでたまらない。
だって、彼は、完全に狂っているから。
他人事とは思えない!
(;^-^ゞ
エリオットを診察した医者は、彼の父親である上院議員に診察結果をこう告げる。
「魅力的な女性に対して性欲を感じない倒錯者です」
と。
じゃあ、息子は何に性欲を感じるのか、と父親に問われて、医者は答える。
「ユートピアです」
……神よ、どうかもっともっと、SFを我々人類に与えたまえ……。
思考実験によって明らかにされる、マコトの言葉を……。

 


ザグレブ=アニメ☆ファンタジー☆SF(2006.9.20)

映画『ゲド戦記』を観賞したのは先月のことだ。そして、今は9月も半ばをすぎたというのに、映画『ゲド戦記』によって受けたわたしの心の傷は、いまだに癒されていない。
(;^-^ゞ
前評判は試写会の時点ですでに散々だったし、監督第1回作品にあろうことか『ゲド戦記』に手を出すなどとは、よほどの天才かやけっぱちのムチャクチャかのどちらかであると思っていたし、もっと言えば、電通と博報堂にできうるのは話題作りであって、傑作映画作りではけっしてないのだともわかっていた。
ようは、すべてを覚悟して観賞したわけで、だから、文句を言うつもりはまったくないし、映画を観賞したこと自体については、完全に納得済みではある。
にもかかわらず、わたしが深く傷ついてしまったのは、わたしがスタジオジブリのファンであったことと、『ゲド戦記』のファンだったためだろう。
もちろん、映画作りにおいて原作がすべてだとは言わないし、わたし自身原作原理主義者ではけっしてないけれども(タルコフスキー監督の『ストーカー』や『惑星ソラリス』を熱烈かつ積極的に支持するような人間なのだ!)それでも、『ゲド戦記』の愛読者としては、いくらなんでも認めることができない内容だったと思う。そして、スタジオジブリが手がけたアニメ作品という観点から眺め直してもまた、わたしは傷つく他なかったのであった。
梅田の映画館で『ゲド戦記』を観終ったあと、わたしは弟と二人でヨドバシカメラのDVDソフト売り場にかけこんだ。
弟もまた、わたしと同様に、『ゲド戦記』に心傷つけられていたのだった。
わたしと弟は、おのおのの精神を救済すべく、できたてほやほやの心の傷を埋めて余りあるような名作アニメのDVDを探した。
陳列棚のはしからはしまでずらりと並んだゴミ同然の愚作のなかから、とびきりの名画を探し当てる秘訣を、わが弟は先天的に知っていて、彼が、九十九里の砂浜のなかから一本の縫い針を見つけ出すようにして棚から取りだしたのは、『ザグレブ・フィルム作品集』『国際アートアニメーションインデックスVOl.1』だった。
ザグレブとはなにか?

新型モビルスーツかと思えばさにあらず

クロアチアの都市の名前なのだそうだ。つい最近までは、旧ユーゴスラビアの都市だった、と、弟に教えてもらった(そういえば、ディナモ=ザグレブというサッカーチームの名前を聞いたことがある)。
もちろん、スタジオジブリ作品を“杉並区アニメーション”などと呼んだりするのは馬鹿げているが、いっぽうで、チェコアニメやロシアアニメといったように、地域的な独創性や個性がアニメーションの世界には存在しているのも事実なのだ。
つまるところ、弟は、ユーゴスラビア時代のザグレブという都市で制作されたアニメーションだけを集めて、一枚のDVDに収録したものを、わたしと弟自身に推薦したのだった。
感想は、機会があったらまたいつか書くかもしれない。ここでは、結論だけ書いておこう。
傑作、本当の傑作、ものの見事な傑作、アニメーション史上に残る傑作、素晴らしい傑作、傑作という言葉をどこまでも書き連ねていけばトイレットペーパーがひと巻きできそうなほどの傑作だった!
正直に告白しよう。

アニメーションでこれだけのことが可能だとは、今の今までわたしは知りませんでしたっ!というほどの傑作だったのだ!

「うわあ、すごい」
「これは、すごい」
「信じられない、これは見事だ」
モニター画面に向かって、わたしは称賛の声をあげ続けたわけなのだけれど、素晴らしい、ブラボー、天才、と続いたあたりで、いい加減うるさいよと弟にたしなめられたのであった。
(;^-^ゞ
目がくらむほどに意味深く、素敵にファンタスティックで、しかもしかも、それがあまりにも意味深くファンタスティックであるがゆえに、その架空の物語は、私たちの現実よりも実用的なほどだった!
偉大なサイエンスフィクション、偉大な絵本は、現実そのものよりも実用的であることはよく知られている事実である。アニメーションもそうなのだ。
こうして、一夜にして、わたしの心の傷の半分は癒され、わたしの心の半分、つまりアニメーションファン・映画ファンとしてのわたし、は、最高級の幸福感で満たされたのである。
しかし、わたしはそれでも、P=K=ディックやスタージョンの次くらいにル=グウィンという作家が好きだし、彼女の最高傑作は『所有せざる人々』だと信じてはいるけれども、『ゲド戦記』というファンタジー・シリーズも大切に思っていて、スクリーンに映しだされた死んだひな鳥のようなアースシーの世界を目の当たりにしたショックのほうまでは、癒されることはなかった。
時間が経つにつれて、わたしは奇妙なまでに感傷的になり、過敏にもなっていった。実際、世の中には本当にひどい映画、本当にひどい物語というものは無数に存在していて、例えば映画『ナルニア国物語』のような、

海兵隊に入隊した若者がバリカンで髪を剃りあげる1時間前に観せられるような映画

だって、いわゆる先進諸国と呼ばれる文化圏の人々の子どもたちは喜んで鑑賞しているのだ(わたしはこの映画を観て、ディズニーのまぬけな新入社員が倉庫の奥にしまいこまれていた木箱の蓋を開けてしまい、封印されていたナチのプロパガンダ映画の亡霊を呼び覚ましてしまったのではないかとさえ考えた!)。
それを考えると、わたしのスタジオジブリ・ブランドに対する期待、『ゲド戦記』の映画に対する批判は、痛烈かつ理不尽なものであるのかもしれないと思う。しかし、そうした事実は、わたしをさらに感傷的にするばかりだった。
それは喉の渇きにも似た感覚で、ようは心の傷というよりも、本物のファンタジー・本物のフィクションに対する強い渇望、心をつかんで離さない豊かなディティールへの切望、本物の洞察や倫理への熱望というものだった、と、最終的にわたしは気づいた。
わたしの子どもっぽい想像力と、これまた子どもっぽい批判精神の双方に対して、映画『ゲド戦記』は

火に注ぐ油のような役目を果たしたのだった。

わたしにとっての映画『ゲド戦記』は、もはや、わたしの貧弱な洞察やさらに貧弱な倫理観、想像力、その他なんやかやがごちゃまぜになって荒れ狂う波間に見え隠れするあわれな一艘の帆船で、わたしはその帆船を、ひとおもいに沈めてしまおうとたくらんでいたのである。
そこでわたしは、まず手始めに、買ったっきり読みもせず、どこに片づけたかもわからなくなっていたSF小説を見つけ出しては机の上に置き、山にしていった。実際に実行してみると、それは本で作られた山というよりも、ぐらぐらと不安定な高い塔になった(笑)。最終的に塔はふたつになった。わたしはその本で出来た塔を、上から順に読んでいくことにした。塔の半ばあたりには、ロバート=A=ハインラインの『夏の終わり』があって、わたしという人間は、ひとに向かってはSFを読め、SFを読まずんばひとにあらず、とまで言うくせに、自分はロバート=A=ハインラインは『異性の客』『月は無慈悲な夜の女王』『エトセラの子ら』のたった3冊しか読んだことがないのだった。
しかも、ロバート=A=ハインラインのことは、まったくもって好きになれないのであった。
(;^_^ A
また、新刊のSF小説も何冊か購入した。サミュエル=R=ディレイニーの『ベーター2のバラッド』、そして、アイリーン=ガンの『遺す言葉、その他の短編』、そして評論集として、ル=グウィンの『夜の言葉』
わたしはル=グウィンの『夜の言葉』を東京の古本屋で購入し、読んだ覚えがあって、しかし部屋をほじってもどうしてもでてこず、仕方なしに再度新刊を書店で購入したのだが、どういうわけか、読み始めてみると、

ただの一行たりとも読んだことのない本だった。

わたしの脳みそ、トワイライトゾーン。
(^_^;)
もしかしたら、宇宙人にさらわれて記憶を書き換えられたのではあるまいか。こめかみあたりにイガイガの金属物体を埋め込まれていたりして……。
(;^_^ A
それとも、単なるぼけなのか。
おそらく、わたしが読んだのは、『夜の果てでダンス』という本だったのだと思う。……部屋をほじっても出てこないので確かなことはわからないが。
(;^_^ A
ハヤカワSFマガジンの「女性作家特集」も、ひきつづきちびちびと読み続けている。
おのうちみん氏の、ウィスコンシン州マディソンで開催された「フェミニズムSFコンベンション」の報告を読んでいるところ。


「フェミニストSF作家、子育てを語る」ではエイミー=トムスンが自身の少女時代と現在進行形の子育てについて語ってくれた。「パパ(男性)は子育てを通して女の立場を理解することができる」という言葉がすばらしい。子どもたちの可能性を広げるいちばん簡単な方法は「SFを読ませる!」という発言には会場の全員が大きく頷いた。」


そして、


「ル=グウィンは何を読んでも面白い作家だが、わたしが尊敬するのは常に作品が成長進化している点。特に《ゲド戦記》はその跡がよくわかる。十年ぶりに再開された最新刊『アースシーの風』には、実はゲドの世界にすらも存在した抑圧や差別への批判が盛りこまれ、常に前進する作家ル=グウィンの今の視点を感じる。」



と書かれている。
わたしが、ゲドシリーズの4.5巻目を読んで、もっとも驚いたのもこの部分だった。つまり、数十年をかけて築いてきた魔法学校の価値、存在意義をひっくり返してしまったのだ。
それは宮崎駿が、『ハウルの動く城』で、
「今の日本の社会は人類共同体全体に対して犯罪的なまでに破壊的であり、そのような社会に積極的に参加するよう若者をけしかけるのは、本質的には“犯罪者になれ”とそそのかしているのと同義である。このような社会の内部においては、社会参加は人類に対する犯罪行為である。だから、結論として、若者よ!引きこもりになれ!社会から逃げて逃げて逃げとおせ!」
という仰天至極のメッセージを展開したように、ル=グウィンもまた、超弩級の先天的破壊屋なのだった。
ちまたでは『ハウルの動く城』が映画的に失敗作だという意見は多い。わたしも、それを否定する気には(残念至極ながら)ならないけれども、夏休み全国ロードショーアニメで、このような、非社会的な過激映画を観たときの衝撃は、これはすさまじいものがあったのも事実なのだ。
『ハウルの動く城』の神をも恐れぬ所業(笑)、無鉄砲なまでの“破壊”屋ぶり&“破戒”屋ぶりは、こりゃスタジオジブリは火をつけられるぞ、という危惧をわたしに抱かせたが、もちろんそんなことにはならなかった。
というか、Sプロデューサーもスタジオの社員の皆様ですら、『ハウルの動く城』がさっぱりわからない、宮崎駿監督がこの映画で何を言いたがっているのかよくわからないと言い出す始末で、宮崎駿監督(とそれからわたし)に電撃的なショックを与えたのであった。
そしてわたしが、宮崎駿の手による『ゲド戦記』が観てみたかったと、いまもって思ってしまうのは、『ハウルの動く城』での彼のバクハツぶりをこの目で確認しているからである。
……スマン、だんだん何を書いているのか自分でわからなくなってきた。
このへんで終ります。

 


日本の21世紀SF☆ブルブルに肌寒い丘(2006.9.16)

ひきつづき、ハヤカワSFマガジンの「女性作家特集」をちびちびと読み続けている。
小谷真理さんが、アメリカで今年の6月に出版されたという『地球の娘たち---20世紀のフェミニスト・サイエンス・フィクション』という短編アンソロジーを紹介して下さっている。
なんでもSF学者(←SF学者!)のジャスティン=ラーバレスティアが発表したという書籍で、

出版元はウェズリアン大学出版局

だそうだ。
(^_^;)
聞いただけで尻込みしそうな猛烈にお堅い出自だが、そもそもアメリカという国は、お化け退治もスプーン曲げも空飛ぶ円盤も、大学が莫大な予算と人員と時間をかけて真剣に研究する

ふざけてんのかと思うくらいにきまじめな国なのだ。

(;^-^ゞ
……いいことだ(というか、日本の大学の出版局も、研究書ではなくてSF小説や絵本を出版したら良いと思う)。
このウェズリアン大学が出版したSFアンソロジーでは、20世紀のフェミニズム運動を俯瞰してみようという試みがなされているとのことだ。
主なラインナップを小谷真理さんが紹介して下さっている。


「・(女性たちが)冷戦時代の男性性をどう捉えていたかということで取り上げられたケイト=ウィルヘルムの『窓のなか、灯火もなく』
・女性ならではの宇宙はどう書かれているのかという見本のようなパメラ=ゾリーンの
『宇宙の熱死』
・ポスト植民地理論とセクシュアリティの問題を焦点に、男性性がどのように構築されていったかを考えるジェイムズ=ティプトリー=ジュニアの
『そして目覚めると、わたしは肌寒い丘にいた』
・SFにおける“妻”とはどういうものなのかを探求するリサ=タトルの
『妻たち』
・性差の問題と、人間と猿といった種の間の関係性を問い直すパット=マーフィーの
『恋するレイチェル』
・SFにおける黒人女性文学の問題をえぐり取ったオクティヴィア=バトラーの
『夕べと朝と夜と』
・どんなふるまいがどのように性差構築に影響していくかを考えるギネス=ジョーンズの
『バリ島の踊り子』
・近未来の核戦争を50年代主婦の視点から描いたと評価されているアリス=ジョーンズの
『神はかく造りたもうた』

うわ……。
これは読んでみたい、と心の底から思う。
内容が「ポスト植民地理論とセクシュアリティの問題を焦点に、男性性がどのように構築されていったかを考える」で、タイトルが『そして目覚めると、わたしは肌寒い丘にいた』などいうような詩的なものとなれば、すでに私の脳内は、生きるアイデアとイメージがばちばちと火花を散らし始める。
小谷真理さんは

「前世紀に見いだされたすれ違いの実感から出発し、人生と作品双方にまたがった奇妙な世界を構築するための、まさに奇妙なやりかたが活況を呈している女性SFの現在」

という書き方をなさっている。さらに私の脳内で火花が飛び散る。
前世紀に見いだされたものかどうかはわからないが、すれ違いの実感から出発するのがSFなのだ。我々はどこから来て、どこへ行くのか。我々とは何者なのか。地表と現実のデコボコにへばりついたように生きる我々を置き去りにして、ロケットが宇宙に飛び立っていく。

乗組員は、女性たちだ。

人生の酸いも甘いもかみ分けたおばあちゃんが、地球を見下ろす。私たちは、女性たちがロケットから手を振ってくれているだろうかと考えながら、ロケットを見上げるだけだ。……などというようなSF的ハッピーエンド・ストーリーを、ふと空想する。

ハヤカワSFマガジンの「女性作家特集」号には、SF作家・アイリーン=ガンのインタビュー記事が掲載されている。
彼女は、こつこつとSF小説を書きながら、生計を立てるためにマイクロソフト社で働いた。SF(そしてホラー)作家の1割は餓死し、5割はノタレジニし、3割はガスと水道を止められた時点で筆を折るのだから、それに比べれば、マイクロソフト社ですらきわめて健全な職と呼ばねばならないだろう。そして彼女は、とうとう広告&販促部門の部長にまで昇進したのだが、今度は週100時間を超える労働時間に執筆活動ができなくなり、ノタレジニの道を自ら選んだという。アイリーンさんは、きわめつきの変質者……もとい、清廉な女性であるに違いない。
(;^_^ A
インタビューでは、彼女のマイクロソフト時代の内訳話が実に面白かった。
あのどうしようもないワードというソフトのデモンストレーションを、ビル=ゲイツの前で行ったあとの、ゲイツさんのひとこと。

「あまりにのろすぎる! このデモ版はまったくもってのろすぎる」
彼女の返答。
「それはデモ版じゃありません。それが製品なんです」

ぶっははは!
ぶっぶふう!
♪ハートマークはまだひとつ〜♪

それじゃあ、ロボコンだよ。

♪いち押し に押し さんに押し〜♪
♪お〜してだめなら 押しや〜ぶれ〜♪

ロボコンもSFになるのかな? ちゅうか、今の若い人、ロボコン知らないヨナ。
(。-_-。)

「これもまたマイクロソフト社ネタの話だと私は思っていますが」

というような文章に出くわすと、私はついつい、
「マイクロソフト社はネタの話だと私は思っていますが」
と読んでしまう。
……アー笑った。
そして、アイリーン=ガンは少しだけマジメになって、こう述べている。

「SFは、さまざまなことが起きるにはそれなりの理由があり、読者のあなたがたはその理由をちゃんと理解することができるのだと告げてくれています。そういった信念はむろん非常に楽観的なものですが……」

そう、そうなのだ!
アヴェ氏が

「女性が閉経後に長生きするなど地球にとって非常に悪しき弊害」

などと言い、それをテレビや新聞がやんやと持ち上げるのにも理由がある。

近未来、アンチユートピアSFの決定版!

今日はこのくらいで、寝ます。

 


ジェームズとアーシュラ(2006.9.14)

いま私が読んでいるのは、ハヤカワSFマガジンの「女性作家特集」号だ。私は、SFマガジンが女性特集を組むときにだけ、この雑誌を購入する。
ことさらに男だ女だと騒ぎたてるのは好きではないけれど、性差というものは純粋に言葉が作りだしたものなのだから、人類の未来についてもっとも気にかけているひとびとが形成するコミュニティーがあつかうテーマとしては、実に重要だと思っている。
……というか、ハヤカワSFマガジンの「女性作家特集」号は、毎年いつも面白いのだ。

「私が好きなのは、この文章よ---
《「男だって戦争は嫌いさ」
わたしはできるかぎり優しくいう》。」

「私が好きなのは、この文章よ」
1973年9月16日の手紙でそう告白しているのは、女性SF作家のアーシュラ=K=ル=グィンで、告白されているのは、ジェイムズ=ティプトリー=ジュニアだ。
SF作家ジェイムズ=ティプトリー=ジュニアにあてた、ル=グィンのファンレターだ。

《「男だって戦争は嫌いさ」
わたしはできるかぎり優しくいう》。


アーシュラ=K=ル=グィンは女性で、だからこの《「男だって戦争は嫌いさ」わたしはできるかぎり優しくいう》という一文がとても気に入ったのだろうし、できうるかぎりに、というその心のありように静かな感動を覚えたのだろうし、この一節を“ジェイムズ”が産みだしたことが信じられなかったのだろうし、涙ぐむくらいに嬉しかったのではなかろうか?
実際にル=グィンが涙ぐんだかは知らないが、この日記を書いている私はこのくらいのことで涙ぐむ人間だから、ル=グィンがそうでないとも限らない。
(;^-^ゞ
が、1973年9月16日当時のル=グィンは知らなかったけれど(というか、本人と一部のエージョントと編集者以外は誰も知らなかった)ジェイムズ=ティプトリー=ジュニアの性別は、女性だったのである。
フランスでは、ミシェルというようないっけん女性名ともとれる男性がいたりもするけれど、ジェイムズの正体が女性だと直感できる人間は、まずはいないだろう。しかし、ジェイムズ=ティプトリー=ジュニアは女性だ。女性のSF作家だ。
当時も今もSFという文学ジャンルを支えている読者の9割9分は男性で、しかも当時は、女性がサイエンスや人類の未来について何事かを語ったとしても、それは聞くに値しない代物だと社会一般が信じていたから、“彼女”は自分の性と名前をいつわって、ジェームズとして文壇にデビューしたのだった。
そして、ジェームズという仮の名前を駆使するその女性の本名は、アリスという。アリスは、みずからの作品の内部で、
「男だって戦争は嫌いさ」
と言った。それも、できうるかぎり、可能なかぎり、知りうるかぎりの優しさでもって。
この短編小説のタイトルは、『男たちの知らない女』だ(『愛はさだめ、さだめは死』という文庫本に収録されています)。
男たちが知らないはずの女たち。
どうしてジェームズがコレをしっているのか。
アーシュラ=K=ル=グィンは猛烈に興奮したに違いない。
イランのキアロスタミの映画『10話』を観た観客の誰もが
「どうして男がコレを知っているのか」
と叫んだのと同じ現象だ。
「男だって戦争は嫌いさ」というセリフを、ル=グィンは野太いジェームズの声として聞いた。
アーシュラとジェイムズ=ティプトリー=ジュニアの往復書見は、アメリカの雑誌に掲載されたことがあるという。
ひとりの架空の男性と、ふたりのSF作家と、決定的に誤解しあったまま互いを尊敬しあうふたりの女性がやりとした手紙の束。目がくらみそうに文学的、痙攣を起こしそうなほどに人間的だ(←笑)。

このシチュエーションそのものが、思索SFの金字塔になりうるんじゃない!?

ちなみに私がジェイムズ=ティプトリー=ジュニアの作品を最初に読んだのは、『接続された女』だった。
ル=グィンじゃないけれど、正直、この作品を男性が書いたとは思えなかったし、ちょっとした驚きだった。しかし、のちに、ジェイムズ=ティプトリー=ジュニアがアリス=B=シェルドンという名の女性だと知ったときは、さらに驚愕した。
SFというジャンルは、かくも危険なジャンルであったかと、戦慄したのであった。
そして私は、ことあるごとに周囲に、SFを読め、21世紀の人類はSFを読なくちゃならん、と訴えてきた。もっとも注目すべき文学ジャンルは、SFだと。少なくとも、14歳以上の女性たちは、もっともっとSFという文学ジャンルに注目すべきだと思っている。
オゾン層には穴が開いて、日本海にはテポドンが落っこちてきて、日本の次期首相は軍歌を歌い、南極北極の氷が溶けて

フィンランドの村々が水没し、

人類は地球上のその他の生命体を道連れに、とうとう夜のどん詰まり。SFに注目したまえ、今すぐに。
しかし、周囲の男どもときたら、
「今の流行は、SFよりもファンタジーじゃない?」
とか、
「テクノロジーは大切だよね。これからは、小説も紙媒体じゃなくて、ネットで閲覧できるようになるんでしょ?(←確かにSFだ)」
などと言う。私のストレスは増大するいっぽうだ。


これでもできうるかぎり優しく言ってるんだから、人類の未来についてもちっとまじめに考えてみようや!!

(↑ぜんぜん優しくない)。(;^-^ゞ
もちろん、SFにもピンからキリまであるのはもちろんだ。
マッチョな日本男児復権を声だかに唱えるアヴェさんときたら、逆のベクトルで実にSF的な発言をしてらっる。

「北朝鮮など核攻撃で焦土にしてやる」

ぷっぷくぶくぶくぶくぶくブクブクブク……。

核攻撃だって!!

ブッシュさんでもこんなこと言わんよ。
(^_^;)
北朝鮮を核攻撃するには、まず核兵器を装備しなくちゃいけないわけで、まずは我が国は、核兵器を保有するべきなのだそうだ。
(;^_^ A ひー。


右に傾く坂道が 空まで続いていた
ゆらゆら放射能があの子を包む
テレビ観るひとは誰も気づかず〜
あのヒトは昇っていく(軍歌いさましく)
何もおそれない そして舞い上がる〜
空に憧れて〜
空をかけてゆく
あの子の命はキノコ雲〜

あの子の命は〜キノコ〜ぐ〜も〜



アヴェさんたちのお金もうけのために、北朝鮮を焦土にする日も近い!
ちゅうか、死よりも悪い運命ってこういうのを言うのだ。

「私が好きなのは、この文章よ---
《「男だって戦争は嫌いさ」
わたしはできるかぎり優しくいう》。」

大げさだと周囲は言うけれど、これが泣かずにおれようか。
私は貝になりたい、女性になりたい、猫になりたい。
SF小説の内部世界に紛れて、できうるかぎり優しいままで生きていたい、それだけが望みだ。




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