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貧困冷酷残酷実現大国日本(2010.1.13)

「タフでなければ生きてはいけない。優しくなくては生きていく資格がない」
 〜レイモンド=チャンドラー『長いお別れ』〜


「行きすぎた利益により蓄財することで、法外な私的権力をつくりあげるという発想をきっぱりやめなければならない」
 〜フランクリン=ルースベルド 1935年-年頭教書演説〜



「自身のあまりの生活苦ゆえに派遣村を憎む母親と思わず口論してしまった息子さんのスルドイ考察」
派遣村を叩いてるのは多分貧乏な下流の連中だよ

☆☆☆☆☆☆
「じゃーおかんはあそこに現実にいる家も仕事もない奴はノタレ死ねばいいって言うのかよ!? くたばればいいって言ってんだぞ!? わかってんの!?」
って伝家の宝刀のつもりで言ったら
「お父さんは死んだじゃない!! 自営業で、苦しくても誰も助けてくれる人なんていなかったじゃない!! 派遣の人にはあんたみたいな優しい応援者がいていいわね!!
 今から東京へ行ってきたらいいじゃない!!」
っつって、冷静に考えれば予想通りの返事が返ってきた。

☆☆☆☆☆☆
……。
☆☆☆☆☆☆
「普通のご家庭」なんて日本にはもうほとんどないのよ。日本は東京以外みんな地方で、地方の奴らは大半が少子化でビンボーなの。
ビンボー人がビンボー人を引き摺り下ろそうとしてるの「もっと大変」な自分たちが救済されずにあいつらばっかって思ってるの。
☆☆☆☆☆☆

げっそりするくらい、息子さんの考察するとおりだと思います。

ビンボー人どうしが繰り広げる、死のフルーツバスケット。
勝者だけが生き残る美しい国。
無理を極めた日常にへばりつくようにして生きていく、冷酷・残酷・貧困大国日本の、「おかん」もまた悲しい被害者だ。

「お父さんは死んだじゃない!! 自営業で、苦しくても誰も助けてくれる人なんていなかったじゃない!! 派遣の人にはあんたみたいな優しい応援者がいていいわね!!」

「自己責任の開放的な潜在力」とやらの、リアルな現実だ。

『非国民通信』さんから
せちがらい

☆☆☆☆☆☆
学校徴収金の滞納が続いたからと生徒にアルバイトをさせ、しかも通帳とキャッシュカードは学校側が握っていたそうです。どこの闇金だよと突っ込みたくなる世界ですが、学校としての対応であって教員の独断というわけでもないようですから世も末です。むしろ生徒ではなく親の方にこそまともな仕事を紹介した方がいいのではないかとか、奨学金とか生活保護を斡旋すべきだったのではないかとか、いくらでも他の方法があるはずですけれど、高校生のガキにアルバイトをさせるという実入りの少ない選択肢を選んだのは、どちらかというと滞納者への懲罰的な意味合いが強かったからではないでしょうかね。
☆☆☆☆☆☆

ギャアアアアア〜!! 怒髪天だぜ!

『はだしのゲン』の町内会長的モラリストたちが、経済的動機によって物事を進めていくことの重要性を子どもたちが身をもって体験できるよう、配慮してくださるわけだ。
なんという……戦慄すべき「貧しさ」だ。


おまけ。

別の意味で貧困大国日本。
『Apes! Not Monkeys!  本館』さんから
それだけ、日本人になったということ

この鈍感さ、傲慢さ、そして貧しさ。
これがいわゆる、「日本の品格」というやつです。







 

 



『民衆のアメリカ史』朗読会(2010.1.10)

「どっちみち記録された歴史はおおかた嘘だ、というのが流行であることは私も知っている。歴史がたいてい不正確で偏向のあることは私も信じるにやぶさかでないが、われわれの時代に独特なことは、歴史が正しく書かれ“うる”という考えそのものが放棄されたことである」
 〜ジョージ=オーウェル『スペイン戦争回顧』〜


「背信は、信仰のうちにあるわけでも、不信仰のうちにあるわけでもない。それは、信じてもいないものを信じていると言明することにあるのだ。それが道徳に及ぼす悪影響は計り知れない。というのも、頭のなかで嘘をつく習慣が社会のなかに生まれるからである。信じてもいないものに対して、専門家として信じているなどと公言するまでに腐敗し、心の貞操を売り渡してしまうならば、人はすぐにも他のあらゆる罪を犯すようになるだろう」
  〜トマス=ペイン『理性の時代』〜



『デモクラシーナウ』で、ハワード=ジンの歴史的名著『民衆のアメリカ史』朗読会の模様がアップされていたのでお知らせ。
南部奴隷蜂起を企てたジョン・ブラウン 『民衆のアメリカ史』朗読会より

『民衆のアメリカ史』の日本語翻訳版は上下巻で17000円もするが、最近、あすなろ書房さんのところで、中高生むきのやさしい版が『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史』というタイトルで、お手ごろ価格で出版された。
これはいい本です。

子どもたちに独占させておくのは勿体ないです。

(^_^;)
しかし、『デモクラシーナウ』は、ほんと、おもしろいなあ。


おまけ。

『Apes! Not Monkeys!  はてな別館』さんから。「日本における「靖国神社」とある意味で似た問題がヨーロッパにもある、ということ。」
ピオ12世、「尊者」に

あー、『敵こそ我が友』って、ね〜。


ヨーロッパにも靖国神社と似た問題告発映画、コンスタンチン=コスタ=ガヴラス『アーメン』






 



本当は格好いいマイケル=ムーア(2010.1.7)

「あたしはきょう目をさまして、起きて、顔を洗ったら、急にこの世のすべてが
あたしのためにはっきりして、どう生きなければならないか、わかっているような気がしだしたの」
 〜チェーホフ『三人姉妹』〜


「エリオットさん、あんたが有志消防団に献身的な奉仕をしたのも、やはり実に健全なことなんですよ。なぜならば、火災警報が鳴りひびいた瞬間から、もうアメリカではほとんど見られなくなった熱狂的な愛他行為が、そこに展開されるからです」
 〜カート=ヴォネガット
   『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』〜



みなさん、マイケル=ムーアの新作『キャピタリズム:マネーは踊る』はもう観ましたか?
新型インフルエンザにかかっているひまがあったら、ぜひ観に行きましょう。
(;^-^ゞ

本当は格好いいマイケル=ムーア。


ものすごいブーイング。
かっこよすぎるぜ。
『ウォーカープラスニュース』から
馬糞・鉄パイプ・爆弾…ムーア監督、命がけの取材を語る(1/2)

馬糞・鉄パイプ・爆弾…ムーア監督、命がけの取材を語る(2/2)

☆☆☆☆☆☆
まさに命懸けの取材を続けてきたわけだが、ムーア監督は恐怖感をどう乗り越えてきたのか?
「正直言ってしばらくの間、恐怖心への対応の仕方は下手だったよ。でも、ある時点から吹っ切れたんだ」と語る。
「僕はこれまでとてもいい人生を送ってきた。善人として生きてきて、かわいい娘も育ててきたし、映画を通して社会に貢献できたという自負もあった。それならたとえ今、人生が終わったとしてもいいじゃないかと。そう思えた瞬間から心の安らぎを得たんだ。たとえ殺されたとしても、もう僕から奪い取れるものなんて何もないと」
☆☆☆☆☆☆

オー!
まるで英雄じゃんか!
ムーアさん、銅像にはなるなよ。
(;^_^ A


おまけ。

鬼畜ブログ『坑外のカナリアもさっき死にました』さんから
イラクとアフガンの治安のよしあしは、『米軍の死者数』を基準とすることにいつからか決まったらしい

私たちの言う平和とは、傲慢さのつづり間違い。

 

 



爆風で空を飛ぶ(2010.1.5)

「労働市場をうまく切り抜けていくことができる人々にとっては、資本主義的消費文化の世界の中に一見豊富な見返りが存在するように見える。だが不幸なことに、その文化がいかに壮麗で華やかで魅惑的であろうとも、それはいたずらに欲望をもてあそぶだけで、ショッピングモールで得られる貧しいアイデンティティや、美貌(女性の場合)と物の所有者がもたらすステータスの渇望以上の満足をけっして与えることはない。「われ買う、ゆえにわれあり」という信条と所有者的個人主義とが一体になって、表面上は刺激的だが奥底では空虚な、偽りの満足の世界をつくり出している」
 〜デヴィッド=ハーヴェイ『新自由主義』〜


「人間を、強欲な商品の作り手や消費者、競争的で利己的な存在に過ぎないと考えなければならない道理はありません。人間は多かれ少なかれ、そうではない方向で文明と呼ぶものをつくり上げてきたのです」
   〜マーク=キングウェル〜



基本的な事柄だが、念のために言っておく。
市場の暴風に耐えられる生身の体など、存在しない。
一トン爆弾の爆風に人体が耐えられないのと同じだ。
社会的文化的防波堤なしには、しがない私たちの肉体どころか企業であってさえ、自由市場の暴風に耐えきれず、周期的に破産を繰り返している。
これはうんざりするほどにありきたりの事実だし、さらに悪いことに、ちっとも笑えない事実だ。
『非国民通信』さんまでが職を失った。
ヤッホー、無職になったぞ



日本の有権者たちは、後光もまぶしい「市場に人間の運命をゆだねる」というコイズミ改革の基本的なベクトルを今もこりずに支持しつつ、改革を託す相手を、自民党から民主党へとシフトしてみせた。
自民党がだめなら、民主党にやらせてみよう、というわけだ。
コイズミ改革の目玉であった、「民営化」ならびに「個人責任の解放的な潜在力」などという悪い冗談としか思えない議論は、民主党政権の「仕分けうんぬん」「緊縮財政うんぬん」という新しいかけ声が作りだす影の中で、元気いっぱい生きている。
「歴史の一ページを開く」政権交代のお祭り騒ぎと手続きを経て、民主党は、

「生きた民主主義諸制度を解体する」という仕事もまた、自民党からまるまる引き継いだ状態だ。

事は緊急を要するが、期待できるものなど、何もない。
(^_^;)
体調が優れないので、細かい話は脇に置く。
私たちは、ここらでいっぺん「労働は商品である」という「常識」を、根本から疑ってみる必要があるんじゃないか。
労働だけじゃない。
土地は商品なのか?
「もちろんそうだ」と誰もが言うだろう。でも、本当にそれでいいのか?
芸術作品は?
芸術作品の斬新さや独創性に我々が支払う「使用料」とは、いったいなんのことなのか。
あの風景、この景観は「観光資源」なのか?
セクシュアリティーは?
学校教育は?

疑問は次から次へとわき上がるが、結局のところ、問いはひとつだ。



 



謹賀新年(2010.1.1)

「お母さん、泣かないでよ。人生は楽園なんです。僕らはみんな楽園にいるのに、
それを知ろうとしないんですよ。知りたいと思いさえすれば、明日にも、世界じゅうに楽園が生まれるに違いないんです 」
 〜ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』〜


「まるきり無意味な笑いというものはありません。 どんな笑いでも、きっと笑ったような気分になりますからね 」
 〜カート=ヴォネガット『自己変革は可能か』〜



明けまして、おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
例によって、ギフアニメ作りましたよ。

デジカメ画像を並べただけだけど。
(;^-^ゞ

さて。
ガザ侵攻(ほぼ)一周年記念ということで、『デモクラシー・ナウ』から、動画を2本。

ナオミ=クライン『「占領を祝うな!」トロント映画祭のテルアビブ特集に文化人らが抗議』

「毎年9月に開かれるトロント国際映画祭(TIFF)は、北米最大の重要な国際映画祭ですが、今年はイスラエルがらみで大荒れでした。今年から始まった「注目都市」の企画で、第1回にイスラエルの中心都市テルアビブが取り上げられたからです。多数のアーティストや作家たちが、これに反対を表明しました。「トロント宣言:占領を祝うな(No Celebration of Occupation)」という抗議文には、ジェーン・フォンダ、デービッド・バーン、ダニー・グローバー、ハリー・ベラフォンテ、ジュディス・バトラー、スラヴォイ・ジジェク、ケン・ローチら1500人以上が名を連ねています。」

だそうです。
私は、ナオミ=クラインのファンで、「ショ、ショ、ショ、、しょしょ寺」というしゃべり方まで、好きです。

ノーム=チョムスキー『ガザ危機へのオバマの立場はブッシュと同じ』完全版

どういうわけか、フラッシュ版のリンクがおかしいです。リアルプレイヤーで観て下さい。

「ノーム・チョムスキー教授は、イスラエルに封鎖解除を求めるオバマの発言は単なるリップサービスだと一蹴します。ブッシュ時代に比べれば表現はソフトになりましたが、実際はイスラエルが一貫して続けている政策を肯定しているのだとチョムスキーは言います。建国以来つづくその政策とは、軍隊による民間人への攻撃です。イスラエルに敵対するゲリラ勢力の掃討を理由に民間人を大量に殺せば、住民たちが抵抗組織に対して反感を持つようになるからです。」

ということです。
な、ワシの言うてることと同じじゃろ。
(;^-^ゞ


 

 



たかしの予言どおりになった(2009.12.29)

「問題は、権力が腐敗し非人間化するというだけの話ではない。
また、アメリカの指導者たちが残酷だから、米国の対外政策が残酷だというのでもない。
むしろ、異様に残酷で無慈悲になる意志をもち、そうなれる人物しか、外交政策部門で指導的立場を得ることができないがために、われわれの指導者は残酷なのである。このことは「職務規程」に書き込んでおくべきだろう」
 〜ウィリアム=ブルム『アメリカの国家犯罪全書』〜


「CIAは1948年以降、外国の政治家を金で買収し続けていた。しかし世界の有力国で、将来の指導者をCIAが選んだ最初の国は日本だった」
 〜ティム=ワイナー『CIA秘録』〜


「ここでも大きな問題は狂気ではなく、ひとびとの脳があまりにも大きすぎる上に嘘つきなので、実用にならないことだった 」
 〜カート=ヴォネガット『ガラパゴスの箱舟』〜



ほらな!
チョムスキーもわしと同じことを言ってるだろ!
『オバマの立場はブッシュとほぼ同じ』


「チェンジ」「チェンジ」と連呼するが、いちばん「チェンジ」したのは、あんたの政策だよ、オバマさん。
つーか、はじめからそのつもりだったろ、あんた。

そしてこの日本の現状と来たら、たかしの予言どおりだった。
検証<たかしの予言>

別段驚くようなことじゃない。
連中は自民党政権の時も、民主党世間の時も、同じお囃子で浮かれ踊る。
♪アホが見るう ブタのケツ〜♪

そして私の予言どおり、この国はもはや、法治国家の瀬戸際と呼ぶしか得ないような場所でふらふらと揺れている状態だ。
マンションでのビラまきを犯罪とし、「在特会」の悪口、狼藉はお咎めなしの「法治国家」日本

いよいよ今年のどんづまり!
みなさん、よいお年を!

おまけ。

ジョン=レノンの『労働者階級の英雄』






 



『資本主義:ある愛の詩』(2009.12.23)

「が、そのうち私は資本主義が糸を引き、革命をコントロールし始めていることに気づいた。これらの作品が描いているのは、この点だ。資本主義と、それが私たちの社会に及ぼす影響についての映画なのだ」
  〜『闇からの光芒』マフマルバフ、半生を語る〜


「拷問と火あぶりに値する罪は、なにも魔女魔術だけではなかった。異端はいっそう重大な罪とされ、カトリックもプロテスタントも異端に対しては情け容赦がなかった。十六世紀には、神学者であるウィリアム=ティンダルが、新約聖書を英語に訳すという無謀なことをしでかした。もしも民衆が、一握りの人にしかわからないラテン語ではなく、自分の話す言葉で聖書を読んだとしたら、いったいどういうことになるだろうか。民衆が独自の宗教観を形成し、神と自分とを直接つなぐ道を考え出すことにもなりかねない。ローマカトリックの聖職者にとって、それはまさに職業上の脅威であった。翻訳聖書を出版しようとしたティンダルは、迫害されてヨーロッパ中を追い回され、ついに捕まって火あぶりの刑に処された」
  〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』 〜



大阪まで出張って、マイケル=ムーアの映画『キャピタリズム マネーは躍る』を観てきた。

劇場に着くと、上映1時間前なのに若い男女で埋め尽くされていて、マイケル=ムーアすごい人気だなあ、席が取れるかな、と心配になったが、実はこの子ら全員、

のだめを観に来ていたのでした。

気ぐるみマングースに、携帯で写真を撮ろうと人だかりができてな。
わしも売店でストラップ買ったけどな。
(;^-^ゞ
この実写版『のだめ』は、同じキャストのテレビドラマを数分だけ鑑賞したことがあるが、全編、

小島よしおの芸をえんえんと見せられているような演出

に耐えきれず、挫折した覚えがある。
(^_^;)
あ、そうそう、かんじんのマイケル=ムーアの『キャピタリズム マネーは躍る』な。
今回の作品は、ムーア監督がずっと追っかけてきた問題の、いわば集大成だ。
……いや、もしかしたら、マイケル=ムーアの最高作は『ボウリング・フォー・コロンバイン』なのかもしれないし、資本主義が抱える根本的な矛盾や問題点を追及する点では『ザ・コーポレーション』に、もしかしたら一歩譲かもしれない。
しかし、ここにきて、なんと、資本主義というシステムが抱える根本的矛盾、非人間的機能というものを正面から取り扱う「娯楽映画」が誕生したのだ。
こりゃあ、すごいことですよ。
これから観る人にちょっとだけ、おいしいところを教えておこう。

『ゴッドファーザー』の『愛のテーマ』をバックに、ムーア監督がマーロン=ブランドの物真似をします。

原題の『ラブストーリィー』の意味が氷解する瞬間なんだけど、邦題、悪いよなア。


おまけ。

『Apes! Not Monkeys!  本館』さんから、

もはや阿久根市の有権者の責任がのっぴきならないかたちで問われる事態となりました。

21世紀に優生学だよ。マジかよ。この市長が、また、市民に絶大なる支持を得ているというからものすごい。
ひええ。
さらに、コメント欄にあった、2ch書き込み。
☆☆☆☆☆☆
====
609 名前:名無しさん@十周年[] 投稿日:2009/12/14(月) 21:26:56 ID:997Ey2bH0
小町を見てたら三つ子を産んだけれどNICUの空きが無くて一人の子が障害を負ってしまった、という書き込みがあった。
ダウン症の赤ん坊達がNICUを占領し、そのせいでその子が・・・と考えるとねえ。
NICUが現在いっぱいいっぱいなのも、出生前診断が必要であろう妊婦に検査をし、結果次第で人工死産をさせれば、その分空きが確保出来るのに、なんて考えてしまうよ。
街で時々ダウン症の子(なぜかよく遭遇するわ)とその親を見るたびに色々な意味で嫌なものを感じるよ。
ゆえに竹原氏の発言には同意。
=====
☆☆☆☆☆☆

「妊婦に検査をし、結果次第で人工死産をさせれば、その分空きが確保出来るのに、なんて考えてしまうよ」って、なんだ、こりゃあ!

実に奇妙なことだが、この日本では「民意」によって選ばれ支持される人々によるエリート意識丸出しの排他主義が大流行中だ。
マジで、なんなの、これ?
「市民的要求」とはなんなのか、「国民的要求」とはなんなのか、つらつらと考える今日この頃だ。

 

 



さむけプレミアムエディション(2009.12.20)

「PESSIMISM【悲観主義】名 案山子のような見せかけの希望と、見るに堪えない作り笑いを浮かべた楽観主義が、うんざりするほど横行しているため、それを見ている者の信念にいやおうなしに押しつけられる人生観」
 〜アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』〜


「---この家を取り巻く変化は、世の中の動きの反映なのだ。何もかもが、破局に向かって転がり落ちていく。いずこへ? まさに危険なナチスのふところへ」
  〜ひのまどか『バルトーク』〜


「人類の圧倒的多数が、「2たす2は4になる可能性があると思います」といわれるよりは、「2たす2は5だ。夢うたがうことなかれ」といわれる方を好むということは、われわれ合理主義者にとって悲しい事実である」
 〜アイザック=アシモフ『わが惑星、そは汝のもの』〜



民主党は14日、来年度予算編成や税制改正に反映させる党の重要要望の決定を先送りにすることを決めた、というニュースが流れた。
歳出要望と財源のバランスを考えた結果、という意味のオザワ幹事長のコメント付きだ。
なにやら難しそうだが、ようは「簡単ではない」「お金がないので無理でした」という、それだけの話だ。
もちろん国民の要望は我々の要望でもあるのですよ、だけど、簡単ではないのです。いま日本という国では、社会が抱える様々な矛盾を解決し、底が抜けたような凋落に歯止めをかけるために、いわゆる「指導者」たちによる最大限の努力が各方面でなされているのですよ、しかるに、簡単ではないのです、期待はじゅうぶんにしていただいてかまわないのですが、一筋縄ではいかないのです、見通しは明るいのですが、何もかもが最大限の努力中なのです。約束の実現のためには、なによりもまず、痛みに耐えて(!!!)国の財政を再建するのです。だから、中止ではなく、あくまでも「民主党の重要要望は決定を先送り」にするのです。そして私たちは、断固としてあの無駄を糾弾し、この無駄をざっくりと切り捨てて、さらなる緊縮財政政策を推し進めていくのです。
とまあ、こういう主張だ。
少なくとも最大限の努力が払われていますよ、というアピールは、毎日くりかえしなされている。
時事通信から、
努力だけは認めて=政権3カ月で鳩山首相

☆☆☆☆☆☆
「すべてがまだ完ぺきとは言えないと思う。一生懸命努力していることだけは認めていただきたい」。鳩山由紀夫首相は16日午前、政権発足3カ月を迎えたことについて、記者団を前にこう訴えた。
 米軍普天間飛行場移設問題や2010年度予算編成作業などの懸案に関し「閣僚の中でいろいろと声が上がって、(首相の)指導力がどうだという話がある」と認め、「それは分かっているが、いずれ国民もこの答えが最適だったと分かるときが来ると思う」。重要課題の政策決定で足踏みが目立つことへの理解を求めた。
☆☆☆☆☆☆

努力だけを認めてどうだというのか、それはおいておくとしても、ひとつだけはっきりとしているのは、この「最大限の努力」とやらは、

最終的には「いたしかたない」という言葉で終わる運命だということだ。

2年ほど前から言っているが、今の日本の正体は、結局は「いたしかたない国」だ。
さまざまなことがさまざまな人たちによって、さまざまに語られていく。が、耳を傾ける必要もない。最終的にはすべて、「いたしかたない」「いたしかたなかった」という結論になるからだ。
「いたしかたない」では後ろ向きだ、ペシミスティックだ、もっと元気が出る言い回しがないものか。
では、たっぷりと希望をたたえつつ、「この答えが最適だったと分かるときが来る」ではどうか。
手に入るものが何であったにしろ、最大限努力をした結果なのだから、この答えが最適だったのだ、

これ以上を望みようはないなのだ、それをわかろうよ、というポジティブ思考だ。

しかし、もちろん、「最大限の努力」だけではだめなのも、指導者らだって重々理解している。
「最大限の努力」を「改革」へと結実させるためには、“民主主義に立脚した議論というものを尊重するという軟弱さ”を、無駄なものとしてきれいさっぱり切り捨てるべきだ、というのが、民主党改革の実は核心部分だ。


こちら側の改革にあちら側が反対をするのは、反対することであちらになんらかの利益が生じるからだ。つまり、この世のあつれきや葛藤とは、結局、あちらの利益かそれともこちらの不利益か、ということでしかないのであり、ようは、敵か味方か、で判断をくだしていくものだ。あちら側がこちら側の改革の足を引っ張り、細部のほころびに難癖をつけてばかりなのは、あちらの利益にかなったものなのだろう。しかし、だからこそ、敵の意見に耳を傾けるなど、馬鹿げたことだ。無駄だ。無駄どころか、改革推進において有害だ。という、とてつもなく不自由な考え方の、その不自由さゆえに、日本の改革はどこまでも短絡的でわかりやすく、眩暈がするほど

グロテスクだ。

そのわかりやすい結論をふまえた上で、さらに、“国民世論に支持”された首相や幹事長や知事や市長や町長の「指導力」で抵抗勢力を力ずくで黙らせることはできないか。というこれまたグロテスクなアイデアが国民側から政府側へと提起され、「じゃあ、どなたがもっとも指導力があるのか」という前向きな“建設的議論”へとすいすい進んでいく。
さらには、「指導者の指導力が最大限発揮されるための環境整備も必要だ」という「もっと建設的な角度からの問題提起」も国民側からなされる始末だ。
それはもはや「改革推進のために、巨万の富と権力を、一部の指導的階級に集中させるべきだ」と言っているのと同じだ……と書いても、果たしてわかってもらえるか。
全体主義に全身がどっぷりとつかっているために、全体主義とは何なのかがわからない、という状態だ。
そして、指導者とその支持者は一体となって、そのときそのときの自分たちの都合に合わせて、改革と利潤を追求していけばいい。

「すべての動物は平等である。しかし、“ある動物はもっと平等である”」
   ジョージ=オーウェル『動物農場』

っちょんぶりけ。

 

おまけ。

本当に実現させる気があったのか。

ほらきたよ! 「いたしかたない」国です、実に。


 

 



さむけ(2009.12.17)

「1990年初め、キース・マクヘンリーという若い活動家が繰り返し逮捕された。ほかにも数百人が、同じように逮捕されていた。彼らはいったいどんな罪を犯したとされたのだろう? この活動家たちは、貧しい人々に無料で食料を配っていたのだ」
 〜ハワード=ジン『学校では教えてくれないアメリカの歴史』〜


「ひとは基本的に、感情と共感の生き物なのです。他の誰かが傷つけば、自分も傷ついたように感じます。私たちは、安全で、公正で、適切で、哀れみ深い世界を望んでいます。なぜなら、それは生死にかかわることだからです」
   〜メイ=ワン=ホー〜



☆☆☆☆☆
「行政・公務員が、増益増収を前提に行政運営してもいいのかとか、考えないんですかねぇ?
それが、どれだけ恐ろしいことか、正直、考えるだけで、背筋が寒くなりますけど。」
☆☆☆☆☆

『地方公務員拾遺物語 別館』さんから
少し考えればわかること。

少し考えればわかること、そして、考えるだけで背筋が寒くなること、という物言いが素朴で、あまりにストレートに核心をついていて、ある種の感銘さえ覚えた。
これ以上付け足すことなど何もない。
例えば、

救急車や消防車が決算結果だけを気にかけながら、あなたの街を走る日が来るとして、そのような明日に、あなたは何を見るのか。

そしてその明日は、翌日には今日となる。
『村野瀬玲奈の秘書課広報室』さんから、
保育施設の商業化は、子どもへの虐待でしょう。

明日はすでに今日となり、今日は連なって日常となる。
全身に戦慄が走る、という反応は、ごくごく自然なもののはずだ。
怖い、恐ろしい、まるでホラーだ。あなたの感じた恐怖に、あなたの身体が的確に反応して、だから背筋が寒い。
そこにまるで追い討ちをかけるように、「増益増収を前提に行政運営」するとはいったいどういうことなのか疑問に感じることもない人、自分自身の不勉強さに開き直る人、または自覚すらない人、したがって背筋が寒くなることもないという人たちの数の多さに、さらなる戦慄が走り、
「増益増収を前提に行政運営して何が悪いのですか? 当然、そうあるべきじゃないですか」と口をとがらして迫られて、ことの深刻さに呆然となる。
「じゃあ、自衛隊はどうなるんです? 黒字を出すことは原理的にありえないので、結論として自衛隊は廃止ですか?」
と、ある人に逆質問して、豆鉄砲をくらったような顔をされたことがある。
(^_^;)
「だって、それとこれとは、別でしょう」
という返事が返ってきたか、どうだったか。似たような返事だったはずだ。
「本当に、確かに、こんなことは少し考えればわかることだ」
と声に出してつぶやけば、いよいよ恐怖のどん詰まり、失神もできずただ苦笑するしかない。


少し考えればわかること。


おまけ。

ダブルバインド。

 

 



ノーベル賞のはらわた(2009.12.14)

「かれらはグローバル秩序の巨大かつ広大な支配権を手に入れると同時に、説明責任をまったく果たさなくなり、一般民衆の口出しや公的な査察をますます免れるようになっている。このヒエラルキー的な指令体制の内側にいる者は上意から命令を下され、下位へと命令を発する。外側にいる者はわが身を権力システムに差し出す以外のつながりをほぼ持たない(商品を購入できるのなら話は別だが)」
 〜『チョムスキーの「アナキズム論」』〜


「現代の偽善的な政治のあらゆる教条のうちで、「平和を望むがゆえに、戦争の準備をしなければならぬ」という教条ほど、多くの災禍を引き起こしたものはない」
  〜カール=マルクス〜


DEGRADATION【堕落】名 あるひとりの人間が政府高官になるため、道徳的にも社会的にも進歩していく、その段階のひとつ」
 〜アンブローズ=ビアス『悪魔の辞典』〜



「政権交代」で歴史の一ページが開かれる、より良い明日への第一歩が踏み出されると、はしゃぎにはしゃいだ一年もようやく終わりに近づいた。
日本という国はさらに全体主義傾向に拍車がかかり、民主主義制度の形骸化が進む……選挙前の私の予想通りに事態は推移し、超能力FBI捜査官も真っ青の予言的中率で、

日本の明日は御先真っ暗。

「民主党に何を期待するか」と訪ねられて国民は
「首相の指導力」
などと答えるのだから、戦慄すべきひどい状況だ。民意という後ろ盾に支えられたファシズム、という言い方だって可能かもしれない。もう漫画の世界だ。陰々滅々としたアンチユートピアの悪夢世界だ。
と書くと、
「どうして首相に指導力を期待しただけでファシズムになるんだ」と言う人もいるかも知れない。
くりかえすが、本当にひどい有り様だ。

まあ、以前の日本は「天皇絶対君主制ファシズム」体制だったわけだから、

「民意に支えられたファシズム」なぶんだけ、この60年で日本も少し進歩したのかな。
(^_^;)

『きまくれな日々』さんから、
政権交代とは裏腹に全体主義が頭をもたげたブログの一年

なー、私が言うてたとおりの展開になったでしょう?
(^_^;)
チェンジの言葉ひとつに浮かれ、はしゃいで、利用されて捨てられて。今日も涙の日が落ちる。



--☆---

アメリカ合衆国大統領オバマがノーベル平和賞の授賞式で“歴史の新しいページを開く”
言葉を発しました。

「戦争は平和維持の道具という役割を持つ」

ほんでもって、戦争遂行の正当性と必要性を説いたそうだ。
ワオ!

「チェンジ」の店じまいの時間がやって来ました。ご贔屓、ありがとうございました!

嫌みを言うつもりはまったくないのだけれど、オバマを激賛していた平和運動家は、今ごろどんな顔をしてるんだろう。
オバマが恥知らずの嘘つき野郎なのはしかたがない。嘘で構わないのであれば、なんだって約束できる。だから彼はそうしただけのことだ。だけど、彼の実態の伴わない言葉を持ち上げた側には、やはり罪があると思うんだわ。
それとも、“また、騙された”って言う?
騙されたって、また、言うの?

さあ、明日はどなたの指導力とやらに希望を託すのか。
ことの全体が、もはや喜劇だ。




 

 



あの娘が振っていた真っ赤なスカーフ(2009.12.12)

「インドネシアの女性は、生理中に2日間無給の休暇を取ることができるという成文化された権利を持っている。工場ではトイレをする機会が限られている上、大半の女性は、衛生用品や鎮痛剤を買う金を持っていないからである。しかしこのような休暇を取ると、工場で制裁を受ける恐れがあるため、こうした権利を要求する者などほとんどいない。」
  〜クラウス=ベルナー/ハンス=バイス『世界ブランド企業黒書』〜


「それは男も女も自由だからです。なにも所有していないからこそ自由なのです。ところがあなたがた所有者は孤独なのです。みな牢獄につながれている。山ほどの所有物に取り囲まれながら」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『所有せざる人々』〜



まずは、紅茶でも飲みながら読んでみてほしい。
『Gazing at the Celestial Blue』さんのところから、
スカートの履き方

これを読んでも別段、感じるところもない、言わんとしているところがもうひとつわからない、というひとは確実にいる。
それならそれでいい。わからないものをわかれ、と言う気はない。ただ「そうですか、あなたもわからないひとなのですね」というだけのことだ。
日本という国は、つくづく、女性が生きていくのに不向きな国だ。しかも、日本という国が女性にとって生きていきにくい場所であるという事実を、当の女性たちも含め、ほとんど誰も気がついていない。
気がついていない、わからない、もしくはわかろうとしない。だから、「女性の辛さ」と言葉にした途端、反発してくるような人もいる。
「なにが生きていきにくいだ、あの女性も、この女性も、気楽で、わがままで、自分勝手で、幸福そうじゃないか。とくに若い女性ときたら、深く物事を考えようともせず、なんて気楽な」などとおじさんたちに囁かれ、日本の女性であるという辛さを「辛い」と感じることすら許されない。日本という国は、女性に対して、とことん残酷だ。
女性が生きていきにくい、ということは、結局は男にとってもそうだ。日本で男性でありつづけるのは、これはもう、正気の沙汰とは思えないほどの辛さだ。
『ニートの海外就職日記』から、
立会い出産よりも仕事様w優先の社会。。。

しかし、この堪え難いまでの辛さは、男が自ら蒔いたタネなのだから、男にとってそれは自業自得だ。
自業自得の男たちは、自分たちで勝手に、自分たちが作り上げた世界で踏ん張り、やり抜き、押し殺し、頭を下げ、飲みこみ、向上し、前進し、利潤を追求し、傷つき、泣き濡れ、這いつくばり、もしくは立ち尽くし、矢尽き、刀折れ、棒立ちとなれ。
そして、女性たちに見限られてしまえ。
この世界のどこかに、女性の王国というものがあれば。日本の女性たちは、すべての男たちを置き去りにして、その女性の王国に亡命すればいい。私はそんなハッピーエンドを夢想する。
女性たちだけの王国、などというユートピアなど、現実にはあり得ない。あり得ないからこそ、安心して耽溺することができる、楽しく痛快な、私の空想だ。
女性たちが自分たちの王国へ旅立ったとなれば、この国には男しかいなくなる。私たち男は、男しかいなくなった日本という国に取り残されて、コンビニ弁当をもそもそと食べながら、
「あの女性だけの王国では、人々はどんな日常を過ごしているのだろうか」
などと想像する。
泣いて帰ってきてくれ、とあの王国の人々に懇願するべきだろうか。しかし、女性たちは男たちにすっかり愛想をつかしたのだから、もう帰ってきてくれない。それでいい。バルコニーで月を見上げるジュリエットはけっしてロミオの名をつぶやかない。
ラプンツェルはその長い髪を下から見上げる男にたらしたりしない。
ここは女性たちの王国だ。男など、どこにもいない。

露崎春女と吉田美奈子で『Natural Woman』。

ラプンツェル! ラプンツェル!

椎名林檎と松崎ナオで『木綿のハンカチーフ』。

ジュリエット、おおジュリエット!


 

 



運動図と美意識とファシズム(2009.12.9)

「宇宙人がひょっこり地球にやってきて、人間は子どもに何を教えているかを調べようと、テレビやラジオ、映画、新聞、雑誌、漫画、本を見たらなんと思うだろうか?」
 〜『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』〜


「現在、多量に出回っているいわゆる英雄ファンタジーは、テクノロジーが魔術に取って代わり、希望的観測がかなうようなまやかしの中世的過去の中で安直な欲求充足を与え、不快感を回避すること以外には何も考えていないように思われます」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『世界の果てでダンス』〜


「皆さんよ、この結末をよく考えてくれ、知識は国境を越えて亡命した」
 〜ベルトルト=ブレヒト『ガリレイの生涯』〜



Jリーグの放送はどうなっているだろうかと12月5日の新聞のテレビ欄を確認すると、こう書いてあった。

3:25「サッカーJ1リーグ 「浦和レッズX鹿島アントラーズ」
解説・山本昌邦〜埼玉 ○鹿島史上初3連覇へ 内田が興梠が小笠原が燃える・鹿島か川崎か きょう決着」

3時25分から5時45分の放送時間に与えられた紙面の枠内に、無理に押し込むような形で、試合の楽しみ方、感動の仕方、注目すべき選手、この試合の歴史的位置づけ、というものがぎっちりと並べられている。
「うわあ」
私は思わず声を出した。
優勝チームが決定するこの日のリーグ戦、というコンテンツを一人でも多くの人に送り届ける、さあ限度いっぱいにまで注目してください、という本音がむき出しとなった、なんという気持ちの悪い文章だろう。そのあまりの気持ち悪さに、声が出たのだ。
内田が興梠が小笠原が燃えるのだそうだ。
おお、そうか、内田が興梠が小笠原が燃えるのか、これはぜひとも観なくてはならない、と思う人がどれだけいるのかはわからないが、「この文面のどこがおかしいのですか? 何がそんなに気持ちが悪いのですか?」という人はいるだろう。
「倫理の問題、モラルの問題、美意識と洞察の問題だ」と答えたなら、バカにしていると怒らせることになるのだろう。
コンテンツを売りつける側と、感動をめいいっぱい取り込もうとする側の両者がクロスオーバーするところで、薄っぺらな感動の押し売りというある種のファシズムがまかり通っていく。
「これのどこがファシズムなのですか?」とさらに問われたとしたら、「そうです、これがいわゆる劇場型・感動ファシズムなのですよ」とだけ答えよう。
誰かを怒らせる意図はまったくないけれど、こんなことを続けていると、そのうち大変なことになりますよ、この日本は。


--☆
『MacFan』の最新号で、漫画家の鈴木みそ氏が、モジラジャパン(インターネットブラウザ「ファイアフォックス」を出しているところね)のシ龍(さんずい編に竜という字、異体字なので使用を控えます)田佐登子さんを取材していた。
ここでのやりとりが面白い。

☆☆☆☆☆
「ファイアフォックスはどんなマシンでも同じ環境という趣旨で作っているんですが 日本のMac版はちょっとだけ違うんですよ」
「えっ?」(←みそ氏)
「Macユーザーの方は文字の形ひとつにもこだわりがあるというので Mac版だけ別に翻訳してあります」
「それでデザインが違うんだ! うわっ 本当だ細かい!」(←みそ氏)
☆☆☆☆☆

旧Mac武闘派の私は知らなかったのだが、

運動図はファイアフォックスまで、あの吐き気をもよおすような汚いフォント、だっさいデザインで統一されているんですね。
(^_^;)

最近、私の周囲で「ある種の美的こだわりと倫理観ってどっかでつながってるんじゃないか」と痛感するような出来事がいくつかあったんだけど、ず〜っと身近なところで、運動図が反面教師として実証し続けていたことだよな、と。
(^_^;)
黒い魔ソフトの非人間的、非人道的なまでの倫理観の欠如と、あの悪意たっぷりの汚らしいデザインセンスは、たぶんどっかでつながってるよ。
ただまあ、鈴木みそ氏に余計なお世話と知りながらひとことだけ注意をうながすとすれば、

「もうOSを超えてファイアフォックスでボクのPCはひとつになっている フォトショップの設定とかシェアウェアのインストールもブラウザでしてほしいくらい」

なんてこと本気で言ってたら、あとで泣くことになるかもしれませんよ。
確かに、フォトショップの設定をブラウザ上でできたらものすごく便利だろうけど(特に複数のパソコンを同期させていたら)、いつの日にか、ブラウザのサービスを提供する側と利用するこちら側の利害が対立しあう事態に陥ったとき、実に多くのものを失うことになるかもしれない。
自由と便利さを交換することの危険さ。

パソコンユーザーとしての私は、立ち位置が基本的に「不安ちゃん」なのだ。

だけど、現実的な問題だと思う。


おまけ。

外崎則夫氏のサイト『N.TONOSAKI's Personal Station』の人気コラム
がんばれ!!ゲイツくん最新号がアップされております。

☆☆☆☆☆
最近どうもお国では元テレビアイドルだかの議員のセンセイがやっている事業仕分けがずいぶんと話題になっているようですが、なんか偉そうに言ってますけどまずは自分らの政党助成金とやらを仕分けするのが先だと思うんですが、なんでやらないんでしょうかね。国会議員なんてばか高い給料もらってるくせに、その上税金で政党が何百億も金もらうなんてどう見ても無駄金で真っ先に仕分けの対象になって良いはずなんですが、不思議ですねぇ(:-P。

それ以外にもなんか総理大臣が国会の期間中に答弁そっちのけでひたすら扇子にサインをしていたなど、こういう人たちにとても国を任せてはおけないという空気が充満しつつありますが、先日我らがマイクロソフトも、グーグルにはとてもインターネット界を任せておけないと思ったのか、グーグル八分ならぬグーグルを八分にするという試みをしようとしたようです。
☆☆☆☆☆

「Googleを八分」って、これで損するのは、Googleじゃなくてネットニュース配信サイトじゃん。
(^_^;)
黒い魔ソフトって、どんだけ根性腐ってるのかと。


おまけ。

『Apes! Not Monkeys!  本館』さんから、
ブラック社会に住んでるんだが、俺はもう限界かもしれない

ことの火種は曽根綾子のこの発言だ。

夜道を歩いている女性は売春婦と間違われても仕方がない、って……。
こんな社会、俺ももう限界かもしれない。つーか、この理屈でいけば

夜道を歩いている男どもはみんな“強姦魔”と間違われても仕方がないな。

夜道を歩いている男を見かけたら、金属バットでどつきわましてやれ、世の女性たちよ!
掛け値なしの現実の話として、日本という国の正体とは、こうだったり、または、こうだったりするわけだけど、おおげさでもなんでもなく、ナチとかわらん。
しょぼい実態と釣り合いが取れないおおげさな身振りの感動が消費され、なにも始まっていないまに「内田が興梠が小笠原が燃える」と告げられて、そのことに疑問も違和感も感じないような社会なのだから、ことは、かなり深刻なのではなかろうか。
私などは、運動図パソコンと連続で一時間も向き合っているだけで、気が狂いそうになるけどな。

 

 



マイケル=ムーアの45分(2009.12.5)

「俺が聞かされた話はどれも似たようなものだった。違いといえば、解雇通知をもらって自殺したのがお兄さんか、年金基金がお釈迦になって命綱が切れたのがお母さんか、ってくらいのもんだ。こういうたぐいの話はいやになるほど聞かされたので、話の頭だけを聞けば最後までわかるようになっちまったくらいだ」
 〜マイケル=ムーア〜


「きみたちは、労働の動機は経済的なものだと考えているね、金が入り用だからとか、利益を上げたいからとか。しかし金がないところでは、真の動機はもっとはっきりしているだろう。人々は好きで物事をするんだ。(略)つまるところ労働の目的は労働だ。それは人生の尽きぬ喜びだ」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『所有せざる人々』〜


「銀行員は、威厳のある顔をして、控えめな濃紺の細い縦縞のスーツを着た、用心深くて慎重で、顧客の預金の守護者であるという世界の評判を気にしている、誠実で落ちついた人物である、と考えられてきた。しかし、国際金融システムを賭博場と非常に似たものにしてしまった、何か根本的で深刻な事態が起きたのである。それがいかにして生じたのかは明らかではない。
確かなことは、それがすべての者に影響を及ぼしていることである」
 〜スーザン=ストレンジ『カジノ資本主義』〜



『デモクラシーナウ!』に、マイケル=ムーアのインタビューが来た。


私は、彼が話している姿が大好きだ。
美的・知的誠実さは私にとっての信仰であり、同じ信仰を抱く人間の、力強く、肯定的なビジョンに耳を傾けるのは、小さな快感だ。
個人的に私がもっとも注目したのは、最後の質問に対する彼の反応だ。

「あなたは社会主義者ですか?」

その質問に対する、彼の子どものような微笑ましい動揺ぶりの全体を、非常に楽しいハプニングとして、私は肯定的に受け取った。
質問に対して、彼はイエスともノーとも答えなかった。
答えないことで、答えたも同然だ。
映画監督として、この映画を一人でも多くの人に観てもらおうとする立場の者として、「ノー」と答えるべきだったのかもしれないけれど。
日本のメディアに対しても、この種の質問にはかなり無理して答えている感じだ。


おまけ。

来日したマイケル=ムーアに指紋押捺をせまる日本の税関(入管?)。


「お母さんから10億円もらったことある?」
だそうです。
「日本は60年間平和の旗手だった。とても尊敬しています」
よく勉強してるなァ。

 

 



*最近買った本・マンガ・DVD*(2009.12.3)

「「世界文学全集」は1980年代にはまったくすたれてしまいました。なぜかといえば、ちょうどこの時期あたりから日本が物質的に豊かになったことに伴って、向上心や忍耐を必要とする教養主義というものを人々が放棄して、ただ楽しみのために本を買うようになったからです。つまり、教養という「建前」から、それぞれが好き勝手に自由にという「本音」に移行した。そうなれば、読むか読まないかわからないものをセットで押し売りすることなどできません。本は個人の好みに合わせて作られるようになります。面白いから読みましょう。読んだら捨てて、また次の本を買いましょうというのが、出版というものの姿になったわけです」
 〜『池澤夏樹の世界文学ワンダーランド』〜


「「どうして君は、あんなものを入れたんだ」と彼は言った。「君は、いい本になりえたものを、ジャーナリズムにしてしまったんだ」。彼が言ったことは本当だ。しかし私には、そのようにしかできなかった。私は、無実の人々が非難されているという、イギリスではほんの少ししか知ることを許されていないことを、偶然に知っていたのだ」
 〜ジョージ=オーウェル『なぜ私は書くか』〜



-☆
ジョージ=オーウェルの評論集の再刊が始まった。すでに『1984年』の新訳版も発行された。
と書いているまさに今、ネットニュースに面白い記事を見つけた。
『G・オーウェルに関する機密文書公開、共産主義者説を否定』

「小説『1984年(1984)』や『動物農場(Animal Farm)』で、国家が思想を監視する近未来社会を描いた英国の作家、ジョージ・オーウェル(George Orwell)は、自身が生前20年以上にわたり英国の国内情報活動を担当する情報局保安部(MI5)によって「監視」され続けていたが、MI5ではオーウェルを共産主義の主流派とはみなしていなかったことが4日、新たに公開された記録で明らかになった。」

まー、ロンドン警視庁では、わけわかんなくなってこう言うしかなくなるんだろうな。

「いったいどっちの味方なのだ?(byジゴ坊)」
(^_^;) てな感じ。

“左派”からは「反共」と攻撃され、ロンドン警視庁からは「共産主義者の疑い」をかけられ、MI5につけまわされる……。
本人が『動物農場』のウクライナ版の序文で、
「1930年までは、そもそも自分を社会主義だとは思っていなかった。というより、まだ明確な政治思想を持っていなかったのである」
と明確にはっきりと書いているにも関わらず。
しかしいっぽうで、彼は
「この十年間、社会主義運動を蘇生したければまずソヴィエト神話を打破することが根本だと、固く信じ」
ていると同じ序文の中で書いてもいる。こうなると、ロンドン警視庁は猜疑心をつのらせるものの、オーウェルの実態が掴めなくなったのではないか。

西側と東側、右派と左派、というレッテル以上に複雑なものを理解しようという意欲もないし、もしかしたらその力もなかったのかもしれない。

オーウェルは何者だったのか?
彼はいつだって、労働者の側、虐げられたひとびとの側に立っていた。そして、全体主義と大衆の自己家畜化教育の、戦慄すべき危険と問題点を鋭く指摘し続けた。ありとあらゆる言説をかたっぱしから疑った。
簡単に要約すれば、モラリストだった。
しかし、実際のところ、ロンドン警視庁やMI5がオーウェルを「共産主義者」ではないかと疑ったように、オーウェルを「反動的」と疑う人もいる。
現実にいる。
「市民運動や平和運動の展望に冷水を浴びせてまわる人」というような評価をオーウェルに下す人のなんと多いことか。
(^_^;)
P=K=ディックは暗い、ラッセル=バンクスは陰気、ヴォネガットはニヒリズム、オーウェルは敗北主義、あなたもこんなものばかり読んでいないで、というような意見を、私は十代の後半くらいから数年間のあいだ、集中的に浴びてきた。
その数年間で、私なりに世間を警戒すること、自分自身を守る必要があることを学んだ。
新しい本をこれから読もうかと手に取ったときに、明るく、陽気で、希望に溢れ、楽観的で、読んでいて楽しくなる内容というものをその本に求めている、求めるべきだ、という考えから、私自身を守っていかなければならない。
このぶんじゃあ、ドストエフスキーすら「乗り越えられるべき文学」にカテゴライズされかねない。
じっさい、日本という国においては、そうなんだろう。

-☆
『ハヤカワSFマガジン 創刊50周年記念特大号・PART汪C外SF篇』を購入。
私は、シオドア=スタージョン、フィリップ=K=ディック、カート=ヴォネガットの名前を見たら雑誌だろうが書籍だろうが古書だろうが迷わず購入することにしている。
ロバート=シルヴァーバーグ、ジェイムズ=ティプトリー=ジュニアの名前もある。
シルヴァーバーグの新作が日本で読めなくなってから、どれくらいの月日が流れたろうか。

-☆
最近購入した本リスト。
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『激動の時代はどこに向かうのか』
『財政の仕組み』
『オーウェル評論集1』
『オーウェル評論集2』
『池澤夏樹の世界文学ワンダーランド』

・絵本『ラストリゾート』

・雑誌『月刊アフタヌーン』
・雑誌『月刊!スピリッツ』
・雑誌『MacFan』
・雑誌『ハヤカワSFマガジン特別号1』
・雑誌『ハヤカワミステリマガジン』(ハメット特集)

漫画『鈴木先生7』
漫画『鈴木先生8』
漫画『キャラ道』
漫画『惑星スタコラ1』
漫画『のだめカンタービレ23』
漫画『いぬばか20』

最近購入したDVD。
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『エージョント・オブ・ウォー』
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漫画ばっかり読んでます。



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