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「ニセ納豆情報テレビまき散らし陰謀事件」(2007.1.21)

気がついたら突然、

どこのスーパーに行っても納豆が売り切れ

状態になっていて、これは奈良県民が突如納豆の素晴らしさに目覚めたのか、はたまたその逆で、誰も納豆に見向きもしなくなり、すべての棚から納豆が撤去されたかどちらだろう?とこの一週間ほど心配していたのだが、どちらでもありませんでした。

例によって、テレビの陰謀でした。

(^_^;)

関テレ謝罪「あるある」でデータ改ざん

またテレビの仕業だった!
しかも、それが、うそんこ情報によるものだったとは。


「「中性脂肪値が正常値になった」などと放送した被験者の数値測定は実際には行っておらず」
「朝に納豆を2パックまとめて食べた場合と、朝晩に分けて食べた場合の血液比較検査結果も架空」
で、
「米テンプル大のアーサー・ショーツ教授が「(ダイエット効果のある)DHEAを増やす食材がある」などと発言していないのに日本語訳コメントを勝手に付け」
て、
「被験者がやせたことを示す比較写真は無関係の写真」

だそうです……。
納豆は美味しい食べ物だし、ヘルシーだし、納豆菌は体に良いし、安いし、はやく我が食卓にカムバックしてもらいたいもんです。
私がこの「ニセ納豆情報テレビまき散らし陰謀事件」を知ったのは、たまたまサッカー情報をネットで探していたときに記事にぶちあたったからなんだけれど、肝心のサッカー情報でこういうの見つけました。

亀田vsオシム日本3・24視聴率戦争で激突



「亀田がオシムジャパンにケンカを売った。
   2つ目のベルトを狙うための第1歩は、
   サッカー日本代表戦の今年初戦(テレビ朝日系列で放送予定)
   と完全にバッティングした。
   「TBSがぶつけたらしいな。」
   「ボクシング対サッカー、いや亀田対サッカーや。」
   「サッカーもつぶしていくで」
   と、早くも勝利を予告だ。」


だそうです。
なんだよ、「つぶす」って。


「亀田がオシムジャパンをKOする。WBA世界ライトフライ級王者・亀田興毅(20=協栄)は18日、都内で会見を行い、世界王座の返上とフライ級への転向を正式に表明した。同時に転級後の初戦を、サッカー日本代表の今年初戦と同じ3月24日に東京・両国国技館で行うことも発表。ともにゴールデンタイムで放送されるため、ガチンコの視聴率戦争になる。亀田はアンチファンにもテレビ観戦を呼び掛けるなど、打倒オシムジャパンに意欲を見せた。」


私はサッカーファンで、それ以上に大のオシムさんのファンであります。
けれども、こういう記事を読むと頭に血がのぼって、ボクシングは勿論、

サッカーも視聴率ガタ落ちになってしまえばいいと思う。

何が視聴率戦争だ、視聴率なんてもんは、テレビ局といっしょに地獄に落ちろ。
サッカーもボクシングもそれに納豆も、視聴率戦争でどんぱちやらかす21世紀。言っとくけど、納豆だよ?

「この世の不思議はおでん村のおでんたちの仕業---じゃなくて、テレビ局の捏造&煽り番組の仕業かもしれません(byガングロタマゴチャン)」

納豆たちはワラのなかで静かにしていたいんだよ、かわいそうに。

 ♪昨日 生まれた納豆が〜♪
 ♪今日は スポンサーさまのために 名誉の戦死♪
 ♪視聴率15パーセントは死守せよと〜♪
 ♪リスク回避に 捏造情報〜♪
 ♪骨がないから帰れない♪
 ♪大豆かあさん悲しかろ〜♪

 ♪八百長疑惑の ボクサーが♪
 ♪空前の視聴率かせいで 名誉の戦士
 ♪視聴率30パーセントはかたいよと♪
 ♪そんなこと 視聴者には関係ない〜♪
 ♪ホネがないから帰れない
 ♪スポーツマンシップ安かろ〜♪

「かってホーマーたちは、悲しかったから悲しいと書き、楽しかったから楽しいと書いた。今の人は、悲しがらせようとか楽しがらせようとして、悲しく、あるいは楽しく書く。つまり、これは効果のためのもの」

えっと、この発言って、トルストイでしたっけ?
(;^-^ゞ
忘れちった。
なんにせよ、

テレビは地獄に落ちろ!(←本日2度目)。


さて、今晩は納豆卵かけごはんですよ。
豪華だなあ。






 


『戒厳令下の自動車教習所』現実版(2007.1.16)

『戒厳令下の自動車教習所』というタイトルつきの初夢を見たという話をしたばかりだけれど、現実はさらに醜悪だったりして。


「朝鮮学校生の受験を拒否 玉川大、一般入試で


「男子生徒は玉川大農学部の受験を希望。中高級学校側が今月10日、問い合わせたところ、大学側は「大学の規定上、朝鮮学校の生徒に資格はない」と回答した。」


うわあ……。
21世紀に突入して6年目になるというのに、私たちの日常生活を支える土台としての日本という国の、時代錯誤なまでの土着的美しさよ……。
「朝鮮学校の生徒に(受験する)資格はない」などと言う、そのような残酷さが、いったいぜんたいどうして必要なのか、どこからやって来るのか、私にはさっぱり理解できない。
朝鮮学校のこの生徒が、未来の世界で、

砂漠でも栽培可能な稲とかジャガイモを開発する人間だったら、どーする?

それとも

松くい虫の根絶方法を発見する人間かもしれない!

かたや、純潔やまと民族の血を脈々と受け継いでいても、ワシみたいなグウタラもいるんだよ。
(;^-^ゞ ……いや、自慢できることじゃないけど。
ユダヤ人を初めとする劣等民族の汚れた血からゲルマン人を守るのだとか言って、毒ガスの吹き出るシャワー室ですみやかに“民族を浄化”したのは約60年前のことだけれども、あれからぜんぜん成長しないのが地球人の度し難いところだ。
とにかく、SFを読まなすぎるのがいかんと思う。
手塚治虫センセは、『鉄腕アトム』の中で、ロボットを「人」とみなした。ロボットが「人」とみなされるとは、どういうことか? 『鉄腕アトム』において、それは、

搾取しないこと、所有しないこと、排斥しないこと、

の3条件が満たされているかどうかにかかっている。
逆に言えば、『鉄腕アトム』の21世紀では、ロボットを「人」の道具という役割におしこめるという搾取構造が、最後にして最大の人権問題だったのでアール。
青騎士をリーダーとする暴力革命運動などの問題などをロボット側が引き起こしつつ、最終的には、社会はロボットもまた人類であると認め、正面からしっかりと受け止めた。さまざまな紆余曲折や衝突を乗り越えてのち、ロボットと人間の間にある階級格差を撤廃することが社会的に有益で建設的であると「人類全体」は真剣に、誠実に判断したということだ。
「ロボットが、ひとだって? ばかな」
と私たちは言うだろうか?
しかし、ついちょっと前までは、ロボットどころか女性も「人」=「男性」の道具とみなされていたのだ。いや、本当の話。
どころか、アヴェさんや某東京都知事によると、過去も未来も関係なく、女性は男性に全面的に奉仕するときこそ全面的充足感を体験できるのであり、それが女性の本性であり唯一の幸福であり、あとは出産育児にのみ生き、閉経後はすみやかに命を絶つべし、ということらしいのだが(げげえ!)。
とはいえ。
排他的かつ土着的民族主義思想など、粗野ではあるものの、基本的にはどれもこれも無知を土台にした他愛ないシロモノで、内容的には見るべきものはほとんど何もない。問題なのは、独占欲を肯定せんがためのこうした排他主義が社会全体に破壊的な結果をもたらすことなのであって、中・長期的には、彼らがこよなく愛する国家ですら、危険なまでに衰退させてしまう(ヨーロッパ中を廃虚にした揚げ句ふたつに分裂したドイツ、旧ユーゴスラビアは統一の希望すら永遠にないだろな、きっと。それにさ、アヴェさんを支持している女性は生理が止まったら死ななきゃならないんだよぉ! 本当に死んでみせたらすごいけど、国力は大きく衰退するよな)。
にもかからわらずこうした民族主義が流行し続ける理由は、ものすごーく分かりやすいことと、

格差構造には対立軸が必要なこと

……つまり、あなたの幸福なり所属感なり義憤なりを分かりやす〜く満たしてくれるというわけなのだ。
しかも、

批判したり検証したりする内容がないので永久に対立し続けられるという利点もある。

身構える両者、かたほうの地球人が口を開く。
「君、日本人? それともコリア? ……チャイナけ! あ、日本人? なんだ、だったらいいんだ」
旧ユーゴは、国が解体してもまだ、民族間で殺し合ってるよ。「違い」というものは本来、極めて創造的で建設的で豊かなものなのに! それがどういうわけか、混乱しきった地球人にかかったら、「違い」はまるで憎悪と残忍さの塩漬けのようだ!
そもそも「私には幸福になる権利がある」なんて曖昧模糊とした発想自体が反社会的な上に、あまりにも独善的すぎるのだ。
夢から覚めても、朝鮮学校の生徒は、玉川大学を受験することすらできない。こんなこと、学問的にも社会的にも有意義な点はなにひとつないことは、こりゃもう明白だけれども、私たちは私たちの幸福のために、あの手この手で階級格差を支持し維持し続けなくてはならないわけで、日本民族の誇りを胸に、赤ちゃんたちは家系図抱いて生まれてくるのだ。
おんぎゃあ! おんぎゃあ!



 


初夢『戒厳令下の自動車教習所』(2007.1.15)

今年は病院のベッドの上で新年を迎えたわけだけど、慣れない環境からか、めずらしいことに初夢なるものを見た。
夢の中で私は、ユーミンのニューCDを聴いていて、タイトルが

『戒厳令下の自動車教習所』

というシロモノ。

私という人間が抱える不安や恐怖心や憤りといったものを一曲の歌にすれば、タイトルは『戒厳令下の自動車教習所』となるのかな、と思ったのは目覚めてからの後付け解釈だ。
(;^-^ゞ
夢の中で、私は、タイトル曲を最後まで聞き通した。曲は『雨のステーション』のようなスローなテンポではじまる。


排他的民族主義と度を越した格差社会のなれの果ての日本で、ひとりの男が自動車教習所に通うというのが歌の物語だ。男の一人息子が4月から小学校に通う。未来の日本では、公立の小学校であっても、入学金その他の資金が必要だというのが、私の夢におけるユーミンの曲の世界設定になっている。男は---ランドセルや上ばきなどはそろえられないにしても---せめて息子のために教科書を揃えてやりたいと願う。
男は宅急便の配達員の仕事を得るために、自動車教習所に通うことを決意する。しかし直後に自動車免許に関する新しい法が施行され、いわゆる「日本人」以外の人間は、日本国内では免許が取得できなくなる。
彼の祖父と祖母は韓国から日本にわたってきた人間だ。両親の代で日本国籍は取得していたものの、彼は非日本人として、自動車教習所に通うことが出来なくなる。彼は闇市場から偽造の自動車免許を取得することにする。しかし、闇の世界に不慣れな彼は、まんまと騙され金だけ奪われてしまう。
彼は残ったわずかなお金で、息子のために、一冊だけ教科書を買うことにする。彼は、体の小さい無口な息子と連れだって、大型書店の自動扉をくぐる。
「一冊だよ。どれがいい? どれでもいいんだよ」
彼は息子に言う。
まるでケーキの陳列してあるウインドウを眺めるように、息子は、なかなかその一冊を決めきれない。
「これ」
息子が最終的に手をのばしたのは、国語の教科書だった。表紙に「うつくしい にほんの あさ」と印刷してある……。
父親はレジに行き、お金と交換で国語の教科書を受け取る。教科書は、一か所テープで留められた青いビニールに入って返ってきた。そのツルツルしたビニールの青を見て、父親は、ランドセルを買ってやれたら、ともう一度思う。ビニール袋は手にさげられるようにだ円形の穴が開けられている。息子は父親と手をつなぎ、もう片手で教科書の入ったビニール袋をぶらぶらさせる。
外出禁止の時刻、夜の9時までは、まだまだ時間がある。ふた駅ぶんの道のりを、歩いて帰ろう。
線路沿いの道をとぼとぼと歩く親子の後ろ姿をユーミン独特の圧倒的表現力で描いて、曲のラストは、まだ芽ぶいてもいない桜並木に満開の桜が見えるかのように指さしてみせる父親と、父親が見せようとするものと同じものを見ようと、わからぬままにつき合う男の子の、せつないシルエットで終る。



ジャケは『ALARM a la mode』と『時のないホテル』が混ざったようなシックな写真が使われているのを確認。夢の中とはいえ、


どうでもいいようなディティールにこだわるところが私らしくて楽しいな、と。

(^_^;)
……。
ちなみに、肝心のナスビも富士山もタカも出演してくれませんでした。
がーん。



--☆---


筋金入りのテレビ陰謀論者の私は、普段はテレビをまったく観ないのだけれど、点滴うっているあいだは本にも集中できず、管がからまってパソコンもできず、しかも時間がたつのが遅いわで、しかたがなく点滴の時間だけテレビを観ることにしていた。
とはいえ、ニュース特番なんて観た日には頭がアホウになってしまうし、細○数○さんの出演番組なんて観たら、「メロスは激怒した」状態できっととんでもないことをしでかしてしまうだろうから、番組選びは慎重に行わなければならなかった。熟考ののち、アニメとスポーツは陰謀論と一番遠いところにあるだろうと考え(今から考えると実にあさはか)、大晦日はドラえもんの特番と『K-1 Dynamite!!』という格闘技をちらちらと観ていた。

で。
『K-1 Dynamite!!』のメインイベント、秋山vs桜庭戦の結果。

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/headlines/20070111-00000014-spnavi-fight.html

および、さらなる疑惑。

http://www24.atwiki.jp/sweatslip/pages/1.html


たまに観た、それも点滴の時間のみで観た番組で、いきなりインチキ。

いや、もちろん、どういう理由であれテレビ観たワシがバカなんでしょうけれど。
テレビを観ていた私は、インチキうんぬんの前に、桜庭選手が馬乗りになった相手に上からボコボコと殴られているにもかかわらずレフリーがストップしないので、

桜庭選手が死んじゃうんじゃないかと思った。

今から思えば、インチキされた側の桜庭選手がテレビの前で抗議したりしないように、レフリーは桜庭選手が失神するのを待っていたのではないか? ……と考えられなくもない。
いや、本当のことはわかんないですが。
(^_^;)
ともあれ。
すべての人間的価値を貨幣のひりだすウンコとみなす社会システムの内部で、テレビ局もスポンサーも格闘技団体もなるたけリスクを犯さずに投資した以上の成功を収めたいというありかたをつきつめていけば、

もう、インチキするしかないんだよね!

イエスキリストが“寺”でビジネスしている連中をしばきまくった理由を、わしらは真剣に考えてみなくちゃいけないと思う。

問・
どうして寺で商売してはいけないのですか?
キリストに代わってのお答え・
人生は福沢諭吉の顔を印刷した紙切れ以上のものだからだ、くそったれ。

とは書いたものの、私自身はキリスト教が嫌いなので、聖書を真面目に読んだことがないし、これからもないと思う。
(;^-^ゞ
水の上を歩いたとか、死人が生き返ったとか、まったくどんなクスリあぶったんだと思うよ。
(^_^;)
……どんどん話題が横すべりしてくるな。
そう言えば、なんでも天皇杯は浦和レッズが優勝したそうで、サッカーってつくづく暗いスポーツだよね。
(^_^;)
金でコトが決まるちゅうところが、とにかく暗い。
いい選手を2チームぶんも集めて、退屈であっても固い試合運びを続けていたら優勝してしまうンダ。
本当に夢のない星だよ、地球は。
……。

チキショー!!!

(^_^;)



*お騒がせしました*(2007.1.9)

退院してまいりました。
ご心配をおかけしました。
幸先悪い2007年となってしまいましたが、ぼちぼちいきますんで、何卒よろしくお願い申し上げます。
ちょっと文体もデスマス調にして、しばらくしおしおと暮らそうと思います。
……いつまで持つかなあ。
というか、痛みという症状は確かにとれはしたんだけれども、結局、私、なんの病気で入院したのか今だにわからないんですけれど。
(;^_^ A
さて。
しおしお日記シャバ復帰編でございます。
私が入院している短い時間にも世界はまわっておりまして(まわらんでもいいに)、イランが核兵器を開発すると言いだしたようでして、それで、各国が大抗議をしているとのことです。
新年早々げんなり。
(^_^;)
とくに怒っているのがイスラエルでして、
「核兵器を開発、保有するような悪い国は、核ミサイルを撃ち込んでめちゃめちゃにしてやる!」
と申されております。
……。



えっ?



論理が根本的におかしいと思うのは、病院帰りで頭がぽわぽわだからなのでしょうか?
いっぽう、美しい祖国作りに余念のない我が国のアヴェさんは、
「核兵器を保有しているかもしれない北朝鮮のような国には、核兵器を落としてやらなくちゃいけないので、日本国に核ミサイル基地を作ろう!」
と申されておられるそうな。
……。



えっ?



美しい国粋主義者のアヴェさんの言葉に独りよがり的矛盾を感じてしまう私の脳みそは、もはやバタリアン状態なのでしょうか?
アメリカ合衆国のブッシュさんは、
「核ミサイルのボタンを押すのに、いちいち議会の承認なんてまどろっこしいから、大統領の個人的判断で、ぽちっと押せることにしとこうな」
と申されました。
えー、このひとたちみんな、立場はちがえど、あと100回

『はだしのゲン』読み直したほうが良いと思います。

それにしても、“バカに刃物”ということわざがありますが、このお三人を例えるには、

バカにも刃物にも荷が重い

とつくづく思う、個人的新年のお迎え日でございます。
このおさんかたのために、

無法者に核兵器

ということわざを新しく作らなくてはいけないかもしれませんね。
このひとたちが気まぐれにも正義をもてあそんだあげ句、ぽちっとボタンを押せば、古いことわざも新しいことわざもいっしょくたに、地球上の全生命体とともにドッカンとふっ飛んでしまうわけですが。
(^_^;)
選挙に投票するときは、そこんとこをよーく考えてから投票しましょうね、みなさん。
まあ、新聞なんか読んでもろくなことが書いてないわけで、今、ムラヴィンスキー指揮、レニングラード=フィルハーモニー管弦楽団演奏のチャイコフスキー交響曲4番を聴いています。
私は子どものころからどこか甘く優雅なチャイコフスキーが大好きで、だけど、ムラヴィンスキーとレニングラード=フィルのコンビで聴くチャイコフスキーの三枚のCDは、それまでの私の知っているチャイコフスキーとぜんぜん違い、

鋼鉄のツンドラ地帯

と形容すべき厳しさがあって、退院そうそう

いきなり身も引きしまる思いです。

(^_^;)
たまにはひきしまったほうがいいかも?と思いまして。
(^_^;)
ムラヴィンスキーのチャイコフスキーは、私にとって、本当に特別なCD。
ジャケット買いしただけなんだけれどな。
交響曲の4番、5番、6番と続けて聴いて、そのたびに拍手したというのは、他には、ジョージ=セルとクリープランド交響楽団のコンビの、シベリウス交響曲2番を聴いたときくらい。
感動しいで、涙もろい私とはいえ、スピーカーに向かって思わず拍手してしまうようなそういう音楽にこれからも出会えるかどうかは、わからない。
交響曲の4番で、運命が戸を叩いております。
ベートーヴェンの不滅の交響曲5番のように。
ベートーヴェンの苛烈きわまる運命は、不屈のゲルマン魂によって、

最終的には力技で克服されていくけれども、

チャイコフスキーの運命は人生にぴったりとよりそって、押しても引いてもびくともしない鋼鉄のカベのように立ちはだかる。
その運命は定まっている何かで、克服など出来ようもなく、もしかしたら宿命と呼ぶべきなのかもしれないな、なんて、今ふと思ったりも。
ムラヴィンスキーが叩いてみせる……立ちはだかってみせる運命は、それはもう、

猟奇的と言ってもいいほどに凄絶で苛酷で、

しかも人生から逃げることなど誰にもできないのでありました。
きびしー。
(T△T)
交響曲4番の第1楽章。
避けることも、克服することも、ねじふせて勝利することもかなわぬ宿命の暴風雨に、チャイコフスキーがありったけの防寒着を着こんで、雪原の中じっと立ちつくしている姿が見える気がして。
勝利することも、そして、敗北することすらかなわぬ運命でも、黙って耐えることで高められぬ人生はないのだと……。

ワシ、根性でがんばるベートーヴェンが苦手だけれど、食いしばって耐えるのも実は苦手なんだよね。

(^_^;)
しかし、私の個人的だらけ具合と音楽的な高貴さはまた別の話で、音楽は最終楽章に入り、とんでもないどんちゃん騒ぎがはじまります。
(^_^;)
宿命を正面から受け止める覚悟からくる、蒸留され純化されていく日常の、奇妙で圧倒的な、啓蒙主義的爆発の連続技。
あまりの説得力に、ひとつひとつの音にズシリとした重量を感じちゃうまでの。
……えーと。
……本当に素晴らしいCDでした、ということを書きたかったのかな、ワシ。
(;^-^ゞ
オチがない。
リハビリ必要かもですね。
(;^-^ゞ






*2007年にSF宣言2*(2007.1.5)

アーシュラ=K=ル=グウィン『夜の言葉』より
SF作家エフゲーニイ=ザミャーチンのお言葉



「生きている文学は、昨日の時計とか今日の時計ではなく、明日の時計によって生きてる。いわば マストの先にいるマストの先にいる水夫であり、デッキにいては見えない沈没船や氷山や大渦巻きが彼には見えるのだ」

「われわれはどう生きたか? もしはじめからやり直せるとして、なにを生きるよすがとするべきか、そしてなんのために? 今日、われわれが文学に必要としているのは、広大なる哲学的展望である」

「われわれが必要としているのはK、最も究極的で最も恐怖にみち、かつ最も恐れを知らない、“なぜ”と“次はなにか”という問いなのである」

「革命はいたるところ、あらゆるものに存している。革命は限りがない。最終的な革命などというものはない。最終的なものなどどこにも存在しないのだ」



アーシュラ=K=ル=グウィン『夜の言葉』より







*2007年にあたっての祭典の動機と主題*(2007.1.4)

このぶんじゃ、映画『ダーウィンの悪魔』は観にいけないなあ……。
もっと光りを! って叫んで死んだのはなんちゅう絵かきさんでしたかど忘れしたわけですが、この病室は光どころかネット回線などという気のきいたものは存在せず、日記をアップするのにフロッピーのやりとりで対処しております。
物理的な日照条件や照明もやたら暗くて、私も叫んでいるわけですが。
もっと光りを。
しかし、光ろうが暗かろうが病院生活は単調でやりきれないものでして、今年度の所信表明など考えてしまうくらい、やりきれないのであります。
2007年の主題は−−−−−


「むろん、サイエンスフィクションです。これこそ、わたしたちをここに連れてきたものです」

「これはあまりにも突拍子もない動機であるようにも思えますが、しかし“配管工用製造業者国際会議”や過剰殺戮における均等性をいかにして達成するかを協議する“国家間最高首脳会議”などに人々を集結させる動機に比べていささかも異様ではありません」

「わたしたちのこの祭典の動機と主題はサイエンスフィクションです」

「それほどまでに異なった意識と心を持つわれわれの全員が互いに触れあうことのできる一点、それがサイエンスフィクションなのです」

「指をのばしてこの臍=ボタンに触れれば、ただちに意識のコンソール全体にライトがともり、“全システム作動、全システム作動”の指令が点滅を始めるというわけです」

アーシュラ=K=ル=グウィン『夜の言葉』より


なんだ、ぜんぶ他人の文章の丸写しじゃねえか……。
病院のベッドではまとまって本が読めます。
実に素敵。


「最近のアメリカSFには、全体主義、国粋主義、人工過剰、環境汚染、偏見、人種差別、性差別、軍国主義などなどに取り組んでいる作品が満ちみちています。どれも“現実に深く関わっている”問題です」
「特定の人や集団と自分とは完全に異なる存在だとひとたび決めつけてしまうなら−−男性が女性に、一つの階級が別の階級に、ある国が他の国にしてきたように−−あとは憎むか神聖視するしかないのかもしれません。しかし、いずれの場合にもあなたは、その人たちが精神的にあなたと対等の存在であることも、その人たちの人間としての在り方も否定してしまったことになります。あなたはその人たちを力関係によってしかつながりをもちえない“物”にしてしまった。その結果、あなたが致命的に貧しいものになってしまったのはあなた自身の現実です」


にしても、ここは暗いなあ。
私の目が悪いのか?
さて。
グウィンによる、テレビ陰謀論についての記述を発見。


「すべての作家、出版されるすべての本が影響を受けるのは実は、市場による検閲なのである」

「われわれの国は全体主義ではない。名目以上の民主主義国家だが、それは資本主義者の、企業の民主主義である。われわれの検閲形態はこうした、諸制度の本性からくる。われわれの検閲官たちは、市場におけるアイドルである」

「消費者を変革してはいけない」

「ショックを与え、揺さぶり、じらせ、身をくねらせ悲鳴をあげさせろ−−だが、考えさせるな。もし考えさせたら、消費者は再びスープを買いにもどって来なくなるかもしれないのだ」


『ゲド戦記』シリーズでお馴染みのグウィンもテレビ陰謀論者であることが判明したところで、ああ、また点滴の時間がやってきた。
ではでは。


「わたしにとって、最近のSFはいわば戸口の前で立ち止まっているように見えます。扉は開いています。広々と開いています。われわれはそこにただ立ちつくして大勢の人々の喝采を待っているつもりでしょうか。そんなときはけっして来ないでしょう。われわれはまだ、それを勝ちとってはいないのですから」





*3が日*(2007.1.3)

絶食療法(オンギャア!)で入院中の病院のベッド上であぐらかいて、お正月だというのにおせちどころか茶ばかり飲んで過ごしている2007年のスタートにさいして、PowerBook 1400という骨董品のようなノートパソコンを使って書いております、今年度第2回の日記。
皆さんは充実したお正月をお過ごしでございましょうか?f(^^;)
不自然なほど唐突に体調を崩すのがデフォルトになっているよな、私の人生。覚悟して生きていこう……。
痛みという症状は有るんだけど、気がつけば病名を知らない自分がいて、ま、病名がなんであってもこの痛みがとれてくれれば何でもよいわけですが。命の心配もなさそうだし。子どもの頃はそれなりの次空間を形成していたベッドの上も、今では、寝返りも打てないほど手狭。絵的にはネコのひたいにトド、という図になっております。
図体だけはおおきくなったんだなあ。
まったく薄型でないPowerBook 1400のハードディスク容量は4ギガ、CPUのクロック周波数166。G3マシンと比べてもその反応の余りの遅さは隠しようもなく、クリックすればぎこぎこ、キータッチはのろのろ。それでも、使いこなすうちにパーソナルコンピューター史上に残る傑作機であるという評価には今もなんらかわりないことを確認して、その感動は、病院暮しの退屈さを覆い隠して余りがでる……わけないなあ。
f(^^;)
と、ここまで書いて気がついたんだけれど、いつも使用しているG4マシンとはIMのしつけが違っているので、どうもそれにひっぱられて、文体もずいぶん変化していますな。文章表現も微妙なものですねえ。
とにかく。
『思いやりを具現化するさまざまなアイディアとその教育システム』としてのパーソナルコンピューターという極めて革命的な機能は、MacOS8.1がその頂点であって、つまり、CPU3ギガのMacOS8.1が存在すれば他にはどのようなパソコンも必要無いのであります。
……だよね?
つーか、最新の腐れ型Macはノートのトラックパッドも2ボタンになったんすかね? マウスボタンが2つ以上ないとマトモに動かすこともできない運動図を笑っていたのも今は昔。
ここでお茶を一服。
ま、MacOS8.1の話は以前にも書きましたし、大部屋のみなの衆はみな外泊でただいま大部屋貸し切り個室状態。
薬飲んで注射うって痛みとさよならして、今の私の最大の悩みは、夜の9時にむりやり睡眠しなければならないという拷問にいかにして耐えるかという問題であります。
ふくろうのような私生活を送ってきた私のライフスタイルは、そんなニワトリのような病院内の公共の規律を逸脱しまくっており。つーか、排泄と睡眠だけは意志の力では如何ともしがたいわけでして。
眠れと言われて即座に眠れるのび太って、すごいね。
わしには無理。
しかもただいまから点滴をうつそうで、看護婦さんが目の前で待ち構えております。
この点滴が長いんだよなあ……。
入院生活の数少ない利点は、まとまって本を読むことができるところで、今はグウィンの『なつかしく謎めいて』読んでます。
看護婦さんに怒られるのでこのへんで。次はシャバからお届けできたらと考えております。
ではでは。




*新春のごあいさつ*(2007.1.1)

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


私、ただ今病院のベッドの上からの挨拶となっておりまして、2007年の開幕から、いきなり冴えない展開であります。
下界のみなさまは、お餅、お節の食い放題ですか、キーッ!


「生きるとは、そんなにむずかしいものなのか?」
年初の引用文  イビチャ=オシム

f(^^;)
シャバに戻ってきたら、またよろしくお願いします。





*目次のカラスヤサトシせんせ*(2006.12.28)

ひぐちアサせんせの『おおきく振りかぶって』がTVアニメ化!

とこの日記に書いている私は、この年末の忙しいときに何を血迷ったか『月刊アフタヌーン』最新号などを読みふけっていたわけなんだけれど、私はこの漫画月刊誌を読むときには、まずまっさきに、うしろの目次のページから確認することにしている。というのも、最近、欄外漫画家(←?)のカラスヤサトシせんせの名前が

目次のページにちゃんと記載されるようになっていて

覧に小さく「カラスヤサトシ」とあるのを発見するときの、いたいけというか、せつなげというか、けなげというか、生きる歓びと悲しみがないまぜになったような小さな感動というか動揺がもくもくとわき出でて、それが私の脳にある種の化学物質の分泌をうながして、つまり、ようは、

明日を生きていく活力となるのである。

「カラスヤサトシ」を確認したら、ページをとじ、しばし黙想する。
それから表紙にもどって、ねぶねぶと読み進むのである。
表紙には、でかでかと「おおきく振りかぶって ひぐアサ 祝!! TVアニメ化決定!!」とある。
カラスヤせんせもひぐちアサせんせも、その魅力は実にローカルなところにあって、細かいところに力を発揮なさる方々だから、『おお振り』のTVアニメでどれほどのことが可能なのか、いちファンとしては正直心配だ。でも、『おお振り』がTVアニメとして放映されるのなら、ドラマ版『のだめ』から目をそらすことには成功したものの、これはきっとテレビのリモコンに手をのばしてしまうにちがいない。そしてなによりも、『おお振り』がTVアニメ化されることによって、私は、

「カラスヤサトシ」のアニメ化の希望を心に抱くことが出来る

のだった。
え?論点がおかしいって?
(^_^;)
本当に本当の気持ちを言うと、私はひぐちアサせんせの作品のTVアニメ化ではなくて、劇場映画化を密かに夢想している。
監督は、サミラ=マフマルバフ。
自分で言うのも何だけれど、いいところついているじゃろ?
バフマン=ゴバディやムーディソン、エミール=クストリッツァに依頼してもいいな。でも、やっぱり女性監督に任せたい気がするんだよね(←プロデューサー気取りでご満悦)。

ちゅうか、ワシがアラブの大富豪だったら間違いなく依頼してる。

(^_^;)
サミラ=マフマルバフの『ヤサシイワタシ』。
いける!いけるぞ土井垣! ♪や〜まだ〜た〜ろお〜♪
ほんで、カラスヤサトシせんせの作品は、スタジオ・ジブリに頼むの!
ゲシシ!ゲシシ!
あ、よだれが出てきちゃう。
(;^_^ A


※…思考に乱れが生じております、しばらくおまちください…※


アフタヌーン連載のバイオレンスアクション漫画『ガガガガ』の作者の山下ユタカの恐れを知らぬ欄外コメントを最後に御紹介。


「パパが偉いヒトの一族。その御子息。及びそれらのタイコ持ち、更に仲良しのお金持ち。の方々にとって最高のツールですよね愛国心。」


某都知事への短くも的確な評価、実にお見事でございます。

みんな思っていることだろうけれど、思っているのと口に出して発言するのは違うからな。
少なからず仕事にも影響しているだろうに、えらいと思うよ。



-☆--


今、東京にユーリ=ノルシュテインが来ているそうなんだけれど(まじですか!)、アニメ作家志望の若者の
「いま世界では戦争や暴力があふれています。どうしたら戦争や暴力をなくせますか?」
との問いに答えて、


「私には戦争や暴力をなくす力はありません。しかし、私は戦争や暴力にくみする様な仕事は絶対にやりません」


とおっしゃったそうな。
いち、に、さん、はい。

♪もーろびと〜 こぞおりぃて〜 たたえま〜せぇりぃ〜♪

え。
クリスマスはもう終ったんですか、そうですか。
なんか、クリスマスにふさわしい思わせぶりな言葉を小説からパクってかましちゃろうと思っていたのに、クリスマス、終っていますか。
(;^-^ゞ


愛はどこにでも見つかる。それを探しに出かけるのは愚かなことだと思うし、また、有害になることも多いと思う。
 世間の常識から見て、相思相愛の仲だと思われている人たちに-------あなたがたがもし、いさかいを起こしたときは、お互いにこう言ってほしい。

「どうか---愛をちょっぴり少なめに、
ありふれた親切をちょっぴり多めに」
☆⌒(*^-゚)v  カート=ヴォネガット〜SF作家


わん、つー、いえい!

♪Let's hope it's a good one♪
♪Without any fear♪
♪And so this is Christmas♪
♪For weak and for strong♪
♪For rich and the poor ones♪
♪The road is so long♪
♪And so happy Christmas♪
♪For black and for white♪
♪For yellow and red ones〜♪


では、こういうのどう?


「男は争いあうのが生きがいでしょうけど、私たちは戦場の一部なのよ」
ジェイムズ=ティプトリー=ジュニア『男達の知らない女』
 「愛はさだめ、さだめは死」に収録

 教会でも聞けんようないいお言葉でしょ?
あ、やっぱりクリスマス終っていますか。
とにかく、私は今年も、クリスマスイブとクリスマス当日を無事に生き延びたのだった。だからちょっと、そう状態。
( ̄个 ̄) ウ〜ン





*美しい日本はサクラが違うのだ*(2006.12.22)

憲法違反だろうがなんだろうがムリヤリ教育基本法を改正するために画策された例の「やらせタウンミーティング」ですが、

電通が約9億円で請け負っていた

というのは、本当なんですかね。
(´▽`;)
とんでもテレビ陰謀論を唱える私も思わずのけぞるものすごさ。
グレッグ=パラストが嘆くまでもなく、現行の民主主義制度の最大の欠点は、民意も選挙の票もぜんぶ金で買えてしまうというところにあるわけだけど、教育基本法改正を支持したり、村上ファンドやアヴェさんや某都知事イシハラさんらを崇拝するひとたちって、まさしく

積まれた札束の量で現れたり消えたりする存在だということがよおく理解できるニュースです。

テレビのトップニュースはウン億円。
全国に配備するサクラはウン億円。

9億円の軍資金があれば、どれほどの規模でどこまで出来るか、これまたよ〜くわかる出来事でしたね。

政治が腐敗しているのか、人心が腐っているのか、さて、どうなんでしょう。
いずれにせよ、貨幣経済システムにするどい批判の目を向けないかぎり、どもならんと思うの、わし。
村上ファンドから郵政民営化、または、美しい日本作りから教育基本法改正まで、この日本で行われているいわゆる改革は、ようは戦後の日本がちびちびと蓄積してきた国富(年金などに支出されるはずの公共の財源 )を外国資本や国内の一部のお金持ちで山分けしようというハナシでしかなく、いわば

大規模な横領

つーことなんだ、ぶっちゃけちゃうと。
悲しいヨナ。
チリ経済をずたずたにしたあげくピノチェトに追放された(苦笑)シカゴ学派の亡霊たち、米国帰りの学者、美しい日本を願う官僚たちが、みなして出資し電通にお届けした9億円。

「これがどういうことかワカルか、未来少年よ。
……連中がわしらからパチるお金の額は、この9億円にゼロがふたつつくくらいの額になるということなんだぞ〜!(『バック・ツゥ・ザ・フィーチャー』のドグふうに叫んで下さい)」

先生、これ以上はあえて何も言いません……。おのおの自分の胸に手を当てて、どうしてこういうことになったのか、よ〜っく考えるように!

……。
みんな、「貧困をなくそう!」と言うとすぐにウンウンとうなずくけれど、「裕福さをなくそう!」と言うと、反発するか、少なくとも戸惑いの表情を浮かべる。
なぜだろう?
なぜだと思いますか?
( ̄个 ̄) ウ〜ン
光を持ちこまずに闇を消すことが出来ないように、独占する自由を制限せずに人類共同体全体の利益という価値観を持ちこむことは出来ない、これは明白な事実ではないでしょうか?

所有せずに生きる、つまり、フーテンになれと!

ゴーターマ・ブッダさんやジーザスさんについていった弟子たちって、ほんと、根性あるヨナ。
ぶるぶる、望んでフーテンになんかなれないよ。
しかし、私たちは、ものごとを逆さまに見てしまっていることに気がついていない。
裕福さや裕福さへの希望を失ってしまうこと、イコール、貧困生活だと思いこんでいるのだ(9億円の効果あり)。
生きるのはそれだけで厳しくて、つらくって、おっかなくて淋しくて。なのに一文無しになったらどうしよう!というわけ。
ワシもふくめてだれもかれもとにかく恐怖心が先にたってしまって、ちゃんとものが考えられなくなってしまってるんだよね。
もう一度言うぞ、先生。
光を持ちこまずに闇を消すことが出来ないように、独占する自由を制限せずに人類共同体全体の利益という価値観を持ちこむことは出来ない、これは明白な事実ではないでしょうか?



--☆---


先日購入したマーラーの交響曲3番を聴く。
最近大注目のテンシュテットの指揮だ。
私はこの曲の最終楽章を聞きながら、ひぐちアサせんせ(ご結婚おめでとうございます)の『ヤサシイワタシ』を読みかえすのが大好きで、

バーンスタイン指揮のものやバルビローリ指揮のものを聴いては感涙に噎ぶのを趣味としている。

(;^-^ゞ いい趣味じゃろ。
人間の苦悩と絶望のどん詰まりでのたうちまわりながら、音楽的にはあくまでも緩やかに、まるで一歩一歩階段を登りつめていくような、もしくは、低く垂れこめた雲間から一筋の光が差しこむような瞬間があり、しかしテンパニーが地獄のように鳴りひびき、脚は折れ光は閉ざされ、息を飲み、それからまた音楽は一歩一歩と存在しない彼方へと歩みはじめる。
宗教的快感と言ってもいい法悦と、打ち消されてなお救済を切望する人間の哀しみが混然一体となって迎える圧倒的なフィナーレ。そういうもろもろの

マーラー独特の秘伝のヤミナベ状態

が、すべてを浄化していくような『ヤサシイワタシ』の奇跡のラストシーンに絶妙にマッチするのであった。
まあ、奇跡というのは言い過ぎにしても、2000年以降の日本文学界における、最大級の成果とはいえるのではなかろうか。
どうだろ?
自らの作品の中で登場人物たちを何とか救済しようと試みるひぐちアサせんせの(おそらく個人的な理由による)切迫した使命感が、宗教性よりも人間的苦悩とその救済を前面に押し出したテンシュテットの音楽性とからみ合って、気持ちよいくらい

よう泣ける。

みなさんも試してみて下さい。
快感です。






ガラパゴス豪遊とSFの箱船(2006.12.21)

ちょっとバタバタしている間に、外崎則夫氏のサイト
N.TONOSAKI's Personal Station
の大人気コラム『がんばれ!!ゲイツくん最新号がいつの間にか更新されておりました。しかし、Wiiってなんのことか、読んでも私さっぱりわからないという。
Googleで、と。
……あー、ゲーム機のことなんだあ。
(;^-^ゞ
コンサドーレとマリノスに在籍していた乱暴者のフォワードのことかと思った……

というのはさすがにウソだ。

私のパソコンには将棋対戦ソフトが入っていて、ときどき孤独に遊んでおります。


「最近では全国各地で知事が問題を起こして逮捕されるなんてとんでもない事態になっておりますが、でもまぁ先日逮捕された宮崎県の知事なんてのは東京のイシハラ君に比べれば全然かわいいもんだと思いますけれどね(^^;。
都議会の選挙応援が面倒だからガラパゴスやマン島に数億円も税金かけて豪遊しに行くわ、業界でも相手にされていない自称芸術家の息子を「余人に換え難い」とかの理由で東京都の事業で重用したりまさに都民の税金を私物化して欲しいままにする一方、「東京都の何が贅沢って、一番は福祉」と言って盲導犬のエサ代年間64万円をも削るという北朝鮮の金さんも真っ青のトンデモぶりです。 」


とトノザキさんはおっしゃっておりますが、♪欲しがりません勝つまでは♪贅沢は敵だ♪盲導犬のエサ代けずって豪遊ざんまい♪て……。
この某都知事イシハラさん、テレビカメラに向かって「まだまだ(税金で豪遊)やるぞ!」なんて宣言しておられました。
奈良県民も人のこと言えないけれど、東京都民ってつくづくおひとよしというか、

アホにされているというか。

(^_^;)
さて、私がここに来てもっとも知りたいのは、次の都知事選挙でも、都民のみなさまは彼に投票するのでありましょうか?ということ。
いや、繰り返しになりますが、奈良県民も偉そうなこといえないんですけどね、ホント。
ちゅうか、いっそわしも都知事になりたいな。だって、ガラパゴス諸島、行ってみたいじゃん? ものすごくめずらしい爬虫類とか昆虫がいっぱいいるんだって!
ヒトが稼いだお金で行ってみたいよガラパゴス・ガラパゴス!
それから、都知事の定例会見とかで、新聞記者の前で
「福祉は贅沢だ!」
なんて胸はって言うの。

く〜、バカっポイ!



--☆--


先日テレビをつけたら、役者さんたちがやたらに過剰で発作的な演技をするドラマが流れていて、瞬間的に私は、
「ああこれが『のだめカンタービレ』テレビドラマ版なのだ」
と理解したんだけれど、どうしてテレビの前の私が、歯を食いしばり身悶えするほどの羞恥心を覚えなくてはいけないのか、そこのところが釈然としないという、シュスタコービッチ生誕100周年の今年もいよいよ残り10日となった今日という日。
というか、

竹中直人のシュトレーゼマンはなんとかなりませんか?

まあ、シュトレーゼマンがゲルマン人だろうが偽物インド人だろうが、そんなことはどうでもよくて、音楽的に重要なのは、シュスタコービッチ生誕100周年のほうだろう。
というわけで、少ないおこづかいから出費して、マーラーの交響曲3番とともにテンシュテット指揮のシュスタコービッチ交響曲5番『革命』を購入した。
これで我が家にあるシュスタコービッチ交響曲5番『革命』のCDは3枚目だ。クラシック音楽愛好家ならコレクションとも呼べない枚数だろうが、私は、おもに経済的な側面からの要請により、

おんなじ曲のCDを何枚も集めるようなクラシックファンにはなりたくない、ならないでおこう

と、強く心に誓って生きてきたので、この現状には、

極めてじくじたる心境です。

(^_^;)
とはいえ、私は、バルトークとシュスタコービッチの音楽はクラシックではない、と個人的に思っている。
もしもベートーベンが1770年ではなく、1906年に地球をおとずれていたら? そのようなとりとめのない空想にふけるとき、私の脳裏に浮かぶのは、いつもシュスターコビッチだ。
バルトークの諸作品、そしてシュスタコービッチの5・10番あたりは、クラシックの傑作というよりもむしろ、

SF音楽の大傑作と呼ぶほうがふさわしいのではないか。

こういうこと書くと、音楽ファンのみなさんにさんざんにしかられるんだけれど。
……音楽ファンのそういうところ、きらい。
(^_^;)
例えば、地球人類が、地球上のありとあらゆる生命体をまるごとまきぞえにしながら滅びたあと、UFOに乗ってやってきた宇宙人がバルトークとシュスタコービッチのCDとそれを聴感するためのプレイヤーを見つけて、聴いたとしたら、それだけで彼らはすべてを理解してしまうにちがいない。
地球の支配種たる人類がどうして滅びたのか、どのような種族だったのか、少なくても西洋文化圏内における地球人たちの価値観や生き様やなんやかやのすべてを、網羅的に理解することが可能だろう、……とは私の想像だけれども、空飛ぶ円盤をあやつる彼らには、それくらいの感受性がそなわっていたとしてもなんら不思議ではないはずだ。
バルトークの管弦四重奏曲5番、それからピアノ協奏曲3番、シュスタコービッチの交響曲5番とチェロ協奏曲の4曲さえ聴けば、あとはじゅうぶんだ!などとミエを切る宇宙人がいたとしても、私は驚かない。
ベートーベンやモーツァルトの作品が、古典音楽として普遍性を獲得しているのとはまったく違う価値を、私はバルトークとシュスタコービッチの音楽に聴き取る。
それはびくともしない強靱さで立ちはだかる、ある種の不吉さ、ぞっとするほどの見渡しの良さ、尻込みしてしまうほどのリアルさとなって、私の内部を掻き乱すのだ。
シュスタコービッチの交響曲5番は、

施政者がひとびとを扇動するためにもてあそぶ「公民権」「社会正義」「平等」それから「革命」

という言葉&現象についての音楽で、地球上ではただの一度も実現しないままにみるみるうちに内部から腐敗していくさまざまな理想について、もう勘弁してくれとでも言いたくなるようなペシミズムで奏でていく。
その重々しさは猟奇的とも呼べるほどで、すべての希望を否定し、むしろ、いだく希望こそがもっとも始末に終えない、とすら主張しているようなのだ! だけども、それでもシュスタコービッチが感動的なのは、彼の音楽がSFなところなのだ。
音楽の芯の部分で、

「我々は病気だった。でももうすっかりよくなって、今はやらなくちゃいけない仕事がある(カート=ヴォネガット)」

とひとびとが宣言する日を、彼は探している。
それはおそらく、この地球上にはけっしてやって来ない日で、だから彼の音楽は

2重にペシミスティックで、

しかも

自らが否定した理想主義を歌うはめになるのだった。

自分の手も見えないロシアの濃霧の中、ひとびとが目覚めるとき、それこそが朝なのだ。
……。
ロシア人はもとより、地球人にはとうてい無理だな。
31日には第九を聴こうっと。







にっちもさっちも教育改革(2006.12.16)

政府自らの「やらせタウンミーティング」で注目を浴びることになった教育基本法改正案ですが、とうとうこのたび、自民・公明が強行採決しちまったそうでして。
2006年のどん詰まりに来て、格段に美しくなっていくわが日本国でございます。
現行の教育基本法は世界各国から極めて高く評価されているのでありますが、あえてそれをぜんぶナシにして、さてどうするかとういと、アヴェさんがおっしゃるには、
「サッチャーの教育改革をこの日本に持ちこむ」
とのことでございます。
え?

ちょっとまてい。

イギリス教育界を大混乱に落とし入れ、にっちもさっちもいかなくなったあげく、今ではあわれ打ち切りとなりヨーロッパの歴史に汚点と失笑だけを残した、あの

「にっちもさっちもどうにもサッチャー教育改革」を導入するんですか?


どひい。
イギリスのみならず、ヨーロッパ各国では、
「教育の現場において、何が正しいかはわからない。だが、何が悪いかは簡単にわかる。それはサッチャーが国内で行った教育改革のピンからキリまでだ」
と言われているシロモノ。
いえ、文句でもイヤミでもなんでもなく、心から知りたいんですが、よりにもよって、どうしてわざわざそんなヒドイものを……。
(;^_^ A
いや、もう、アヴェさん、学校か日本国内の子どもたちに、なんかものごっつい恨みを抱いていて、それで、子どもたちもろとも日本の教育現場を海底深く沈めてしまおうとお考えになってるんじゃあるまいか。
かたや、日本の教育基本法を採用したフィンランドが、短期間で学力世界一の称号を手に入れているわけですが、
「競争は学力をのばさない、むしろ子どもたちのやる気をスポイルします、という日本の教育基本法の理念は、現実に正しかったことがワカリマシタ! 日本のみなさん、アリガトウ!」
とフィンランドの学校の先生にお礼を言われても、もう、うちら、

にっちもさっちもサッチャー式ですから。

本家本元の日本は、自国の教育基本法を活用しないままに、受験戦争だ・人生は競争だ・日の丸だ・君が代だ・などと子どもたちを追い立てて、教育の理念も建前も

すっかり根腐れ状態。

遠いフィンランドの地で、立派な花を咲かせてはいるんですけれどね。
教育予算を切りつめまくって、浮いたお金は政府役人で山分け。それが美的愛国心の風にあおられ、はためく、サッチャー教育改革の骨子。
ユニオンジャックも日の丸も、“旗”だけは、うっつくしー。
フィンランドの教育関係者の多くは、日本では極めて理想主義的な高次元の教育システムが運用されていると思っていて、なんとか「教育の最先端国・日本」に追いつこうとしてらっしゃるんだなあ。
実際の日本では、今、小学校で「愛国心通信簿」なるものが施行されていると知ったら、きっと腰をぬかされることでしょう。
(-_-)

大きな声で君が代が歌えたら、「まる〜!」
歌えなかったら? 「もっとがんばりましょう!!!」
どひー!
素朴な疑問なんだけれど、すでに各地で施行されているこの通信簿、アヴェさんやマッチョな民族主義者のみなさんが大嫌いな

北朝鮮とどこが違うんですか?

もちろん、ここで疑問を持つような子どもは、愛国心通信簿的には

深刻な問題を抱えた児童ということになるんでしょうね。

ん?
でしょ?

「○○ちゃんのようなことを考えている子は、ほかにはひとりもいませんよ〜!
「○○くんは幸福にならなくちゃいけませんよ〜。そして幸福ではない人間は、その個人に何かしら問題があるんですよ〜
わあ、すてき。
確かにサッチャーはバカだった。でも、あの大失敗に終った教育改革を

2度繰り返すやつはもっとバカ

だよね〜。
ま、未来の日本社会を背負う子どもたちの未来なんて、アヴェさんはぶっちゃけどうでも良いんだと思う。
「儲けて何が悪い!」
って、……こういうのに投票するわしらがつくづくバカなんだと思うなあ。
裸の王様のたとえ話があるけれども、今の日本は王様も裸なら、テレビが「王様のお洋服はバカには見えないんですよ!」と言ったとたんに、群衆も真っ裸になってほっつき歩いている、そんな状態。
ヨーロッパを中心に、「日本という国は全国民が発狂したのか?」という意見が海外ではわき起こっているし。
いや、もう、笑っていいやら泣いていいやらです。ほんと、美しすぎ。
(^_^;)

♪日本の未来は オゥオゥオゥオゥ♪
♪おーさき真っ暗 イェイ イェイ イェイ イェイ♪

明るくいきまっしょい! とか言って。
明るくなるかっての、コノ。

「「サッカーは近年、著しく進歩したが、それは技術的な面だけではない。サッカーは今や金儲けマシンと化した。いつか誰かが「ストップ!」と言わなければならない。」」
『イビチャ・オシムの真実』より
サッカーどころか、学校教育までが金儲けマシンと化して。
ストップ、ストップ、ストップ!




あなたも私も死ぬまで健康、勝つまで負け組(2006.12.13)

私の輝かしい病歴コレクションのなかに、潰瘍性大腸炎という腸の粘膜の病気があります。原因不明で基本的に治んないので、特定疾患うんちゃらという認定を受けたのち、国からの補助を受けていたのですが、このたび政府じきじきに自立支援をしていただくことになり、パーキンソン病で苦しんでいらっしゃるみなさまともども、きっちりかっきり補助を受けられなくなってしまいました。
わあ、すてき。
パーキンソン病というのは病状の進行こそ遅いものの、だんだん手や足が震えるようになり、最終的には全身が動かなくなって寝たきりになってしまうという病気で、病気の進行が遅いだけに、本人も家族も、ものすごく大変な闘病生活をなさいます。(大阪に住んでいたとき、ななめ向かいのおじさんがパーキンソン病だったのよ。……国からの補助があっても、本人はもとよりご家族も、あれは本当に大変そうだった)。
しかし、慈悲深きアヴェさんは、潰瘍性大腸炎やパーキンソン病を患っているわしらのような人間どもにも、援助を打ち切ることによって、勝者となる

チャンスを与えてくださる

とのことでございます。
ありがたや。
パーキンソン病の寝たきりの患者のみなさまも、医療費の支払いに窮して無一文となればお医者にかかることが出来なくなるわけでして、アラ不思議、

自立支援法を施行したとたんに難病患者が激減!

介護を必要とする人間が日本国にはほとんどいなくなって、みんな健康、健全、美しい国づくりが実現されるのであります。

なんだ!やれば自立できるじゃない!

ってんで、パーキンソン病のみなさまも、これからは寝たきりで出来るような仕事をこなして生きていくのであります。
……そんな仕事があればだけどな。
私が患っている潰瘍性大腸炎は、ゼリー状の血の混じったゲリ便をぴーぴー垂れ流すという可愛いもので、病状が悪くなってもオムツがあればたいていの仕事がこなせます。
突然の便意、腹痛などで、今日までなかなかアウトドアライフが楽しめない暮らしをしてまいりましたが、やっぱり、アヴェさんの言うとおりに自立しようと思うんですよ。

今度、国会議事堂の門の前でウンコをたれてきます。

いや、しかたがないんですよ、そういう病気だから。
与えて下さったチャンスを最大限に活かそうと思います。
この日記を読んでいる潰瘍性大腸炎のみなのしゅう! 自立のためのチャンスをつかもうとするわしらの貴重な血便をアヴェさんの前でひってひってひりまくろうじゃありませんか。
合言葉は「私はこんなに元気です!」だよ。
というわけで私は、一週間くらい前から、毎日欠かさず、存在もしない神様にせっせとお祈りと願かけを行っている。
「人間が頭の中でこねくりだした神様、神様。どうか私のお願いをお聞き入れ下さい。某コイズミさんや某アヴェさん、某アソウさん、その他もろもろの連中が、明日にでも

潰瘍性大腸炎とパーキンソン病にかかりますように!」

って。
(;^-^ゞ
そこで十字を切ったり柏手をついたり、その日によっていろいろ。
「ネフローゼ、IgA腎症、悪性関節リウマチ、アジソン病、アミロイドーシス、アレルギー性肉芽腫性血管炎、クローン病、ウィリス動脈輪閉塞症、ウェゲナー肉芽腫症、黄色靭帯骨化症、オリーブ橋小脳萎縮症、偽性低アルドステロン症、偽性副甲状腺機能低下症、球脊髄性筋萎縮症、急速進行性糸球体腎炎、強皮症公費対象、ギラン・バレー症候群、筋萎縮性側索硬化症 、グルココルチコイド抵抗症、線条体黒質変性症、オリーブ橋小脳萎縮症、シャイ・ドレーガー症候群、多発限局性運動性末梢神経炎、多発性筋炎・皮膚筋炎、多発性硬化症、多発性嚢胞腎、遅発性内リンパ水腫、中枢性摂食異常症、TSH受容体異常症、天疱瘡、血栓性血小板減少性紫斑病、特発性間質性肺炎、特発性血小板減少性紫斑病、特発性血栓症、特発性ステロイド性骨壊死症、特発性大腿骨頭壊死症、特発性慢性肺血栓塞栓症、特発性門脈圧亢進症、特発性両側性感音難聴、難治性肝炎のうち劇症肝炎、膿疱性乾癬、バージャー病、肺胞低換気症候群、肺リンパ脈管筋腫症、バッド・キアリ症候群公費対象、ハンチントン病、PRL分泌異常症、ヒスチオサイトーシスX、肥大型心筋、ビタミンD受容機構異常症、びまん性汎細気管支炎、表皮水疱症、進行性多巣性白質脳症、ファブリー病、フィッシャー症候群、不応性貧血、副腎酵素欠損症、溶血性貧血、突発性難聴、その他もろもろの難病にもかかりますように」
これは呪いじゃないよ。願かけ。
彼等が難病を発病したらどうなるか。病人や老人の自立や、美しくも健全な国民作りはどっかへ飛んでいって、即日

医療費完全公費負担(!)になる。

間違いない。
それどころか、電車もバスもタクシーも乗り放題。さらにオトクに、毎月100万円くらいずつ国からお見舞い金が出るな。
治療のための研究費の予算も組まれて、さまざまな難病の治療法がどんどん発見されていくでしょう。
これも間違いない。
ひとつの難病の治療法が見つかれば、それだけ国民は健康になる。健康な国民が元気よく働いて、すると国も豊かになる。
もちろん、

オオカミは生きろブタは死ね

という彼らの世界の解釈の仕方とはまるっきりベクトルが違うわけですが、美しいかどうかは別にして、

実に多くの人が幸せになること、健康な労働者が増えて国が豊になること、これだけは間違いない。

私はエセとはいえ、いちおう博愛主義者なので、毎日お祈りしているのです。それはもう、真剣に。

 


*今年のJリーグ*(2006.12.4)

「ヘンリク=ラーションがマンUに移籍だって」と言われて、
「ほう!」
と驚いてみせる程度にはサッカー好きの私である(つまりあれだ、ビミョ〜というやつだ。ともあれラーションにはJリーグに来て欲しかったヨ)。
たまには他愛なくサッカーの話などイタソウと思う。
今年のJリーグは、一年間を通して王者らしい戦いぶりを見せた浦和レッズが、最終節に優勝を決めた。優勝決定の瞬間から浦和の街は、翌朝まで上を下へのお祭り騒ぎでになったことであろう、私はテレビも観ないし新聞も読まないから確認していないのだけれど。
(そういえば、岡野選手がジョボールバルでゴールデンゴールを決めて帰ってきたとき、浦和駅はお迎えのサポーターの波で、ものごっついことになっていたな! 駅周辺を赤い旗が埋め尽くしておった。ひとびとはレッズ、レッズと雄叫びをあげ、仕事で通りかかった私は、革命でも起きたのかと思ったよ!)

おめでとう!

私は、個人的には、開幕時から一貫してジェフ千葉、ヴァンフォーレ甲府、大分トリニータのうちのどれかに優勝してもらいたいと考えていて、なぜなら、日本でもっとも感動的なサッカーを展開しているからで、そういう意味では、

まったく夢も希望もない展開だ。

(^_^;) なんでジェフすぐ負けてしまうん?
正直、ジェフ千葉やヴァンフォーレ甲府は実に素晴らしいサッカーを展開しているし、また目指してもいて、足りないのは勝ち点とお金だけなのだが、結局それが一番重要だとも言える。
とほほ。
私の友人に
「幸福は金で買える」
と断言する人間がいて、私は彼に反論はしないけれど、同意することもできない。
実際、ケツを拭けるほどに金を持っていて、なおかつ不幸な人間なんてごまんといるからだ。
お金で手に入れられるのは、せいぜいのところ、実態のない気休めと人々の賞賛と、あと

選挙の票

くらいのものだろう。
……ろくなもんじゃないな。
とはいえ、いまの社会の経済システムにおいては、お金がさまざまな自由を保証してくれるのも事実で、私がトヨタ自動車の一年ぶんの利益をネコババし、キリストが馬小屋でおぎゃあ!と産まれた日にタイムマシンで逃亡したとしても、毎日欠かさず100万円使い続けて、遊び続けて、2006年になって、それでも

まだ700年間遊んでいられる!!

工場の労働者は、週6日の12時間労働で手取り10万切っているというのにな。
あなた働く人、わたし遊ぶ人。
あー、経済の自由化って最高〜に自由。金持ちになるって、ステキ〜!
……明日から名前をトヨタに改名しょうかな?
「国際的な競争力をつけるために、さらなる愛国的リストラ敢行じゃあ〜!」
と言うの。
でも、2006年間も100万円ずつ使って遊び続けて、それでもまだ700年間も遊ばないとならないとなると、いいかげん、遊ぶネタもつきるよな。
(-_-)
……えーと、なんの話だっけ?
そう、サッカーの話。
この日記で素人サッカー批評でもやらかそうとも思ったのだが、『J's GOAL』でジェフ千葉・アマル=オシム監督の記者会見のコメントを読んだら、私の言いたいことぜんぶおっしゃってくれていた。ちょいと引用。


「Q:浦和が優勝したが、監督から見ての感想は?
「まずは、浦和は100パーセント優勝するに値するチームだったと思っている。実際に、去年はG大阪が優勝したが、去年のG大阪を見てみると、G大阪はやはりいちばんいいサッカーをしていて優勝した。正直に言って、今年はいちばんいいサッカーをしたチームが優勝したとは思っていない。
ただ、それは逆の意味であって、今年は川崎FとかG大阪がベストメンバーでプレーしたときは、彼らのほうがいい、面白いサッカーをしていたかもしれないが、浦和はJリーグの中でいちばん観客を集め、そしてお金を集め、メディアを集めて注目されテレビ放映もされている。サッカーにとってはそういうこともすごく大切なことで、それをしっかりやったチームが優勝したというのはいいことだと私は思っている」


これが最終的な結論で、だけど私は、非現実的なまでにロマンチストだから(←自分で言う)、とても納得はできないんだよ。
あれほど感動的なサッカーを展開し続けたヴァンフォーレ甲府が18チームちゅう15位というのは、どゆこと?
これはヴァンフォーレ甲府側の問題というよりも、


フットボールという競技のほうが、どこか決定的に間違っているに違いない!

ヴァンフォーレ甲府は正しい!
ゆけゆけ、ヴァンフォーレ甲府!

追記。ジェフ千葉、ヴァンフォーレ甲府の今期の成績が無念でならず、昨日からずっと、マーラーの交響曲2番『復活』(!)のCDをガンガンかけております。

大音量で、ガンガン(笑)。
テンシュテットの指揮で聴いていると、 忸怩たる思いがいやましてくるのな。
(;^-^ゞ
イビチャ=オシム監督さえいてくれたら、ジェフ、今ごろ優勝していたかもしれんのに。
どうして日本代表なんかにいっちゃったの?
オシム=カンタービレ……。
よよよ。




*ケン=ローチ&山下ユタカかく語りき*(2006.12.2)

映画のただ券をもらったので、ずっと楽しみにしていた59回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作の
『麦の穂をゆらす風』
を観に行く。
監督は、イギリス映画界の至宝ケン=ローチだ。
この映画を撮ったために、ケン=ローチはイギリスのメディアから国賊呼ばわりされていると聞き、

これはいい映画に違いない!と確信していたのだ。

アメリカ、イギリス、日本のテレビにけんもほろろに非難されている人がいたら、ぜひ注目したまえ、ものごっついい仕事をしているに違いないのだ。
映画の内容は1920年代のアイルランドの英国からの独立戦争〜そして内戦を、アイルランドの側から描きった作品だ。

ああ、こりゃあ、カンカンに怒るわな。

タイムズやデイリー・メール紙が
「これは反英国映画だ」
「ローチは何故自分の国を嫌うのか?」
などと言い出すさまは、『パッチギ!』を観て、自虐的歴史史観にもとずく反日映画と騒ぎ立てた日本の民族主義者たちとそっくりで、

排他的民族主義思想は国境や民族、時代を超えて人類全体でしっかり共有できているんだなあ

と痛感した次第。


え?

(^_^;)
映画のほうは、IRAの独立“テロ”戦争が描かれているわけだけれど、ケン=ローチは、1920年代のアイルランドに、イラクでのテロ戦争の一部始終を重ねている。
ニューヨークのセンタービルに旅客機ごと突っ込んだあのテロリストたちは、どこからやって来たのか。
そもそも、テロリストとはどうやって産み出されるのか。
そのことについて語っているから、イギリスの新聞テレビはケン=ローチを非難するのだ。
もう一度いう、メディアが必死になって非難する人物には、特に注目したまえ。
(^_^;)

「戦う相手を見いだすのは簡単だ。難しいのは、何のために戦うかを理解することなんだ」

という主人公のセリフは、あまりにも重い私たちへのメッセージだ。
アイルランドの独立戦争が、結局は内乱という悲劇に落ちていった理由に、鋭く言及しているから。
いまイラクで起きているすべてについてを、見事に要約しているから。
民族や国境などという価値観は、人間と人間の間にカベを作り出すための単なる方便でしかなく、彼等をムチ打たれた犬達のように苦しめるのは、あらゆる人間的価値を貨幣の排泄物とみなす現行の経済システムだ……。
アイルランド独立解放戦線(こちら側から見たら解放軍、あちら側から見たらテロリスト)が、英国軍を追い出したあと、彼等はこともあろうに

アイルランド政府、そしてアイルランド軍と戦うことになる!

臭いにおいは元から断たなきゃだめなように、システムが変わらなければ、それを運用しているのがイギリス人だろうが自国アイルランド人だろうが本質は何も変わらない。
何度も何度も何度も何度も何度も、うんざりするくらい同じことが起き続けてきた。
フセインの後にやってきたブッシュ。

コイズミさんのあとにやってきたアヴェさん!

それでも同じ歯車がぎしぎしと回り続けている。


---☆--


先月25日発売の
『月刊アフタヌーン1月号』
を読む。
昔は発売されるほとんどありとあらゆる漫画雑誌を読みあさっていた私だが、いまはこのアフタヌーンだけ。
ねぶねぶと読みふけっていると、バイオレンス・アクション『ガガガガ』を連載中の山下ユタカせんせの欄外作者コメントに息を飲んだ。


「イジメ、イジメつったって、国を挙げてやってる事なんだからガッコで減るわけねーだろ。ンなコトもわかんねーのか、この美しい国の階級社会」

なんか、

この日記をそのままに、さらにもっとオコリンボにしたような作者コメント。

カルシウムが不足している人、最近、増えていませんか?
(^_^;)
9.11のときのひぐちアサせんせの作者コメント以来の、勇気ある発言、しかと受け取った次第。
つーか、正論だ。




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