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歯車の欠けた映画予告編(2008.11.3)




「故意に歯車の歯を抜くこと、故意にある種の明らかな知識を拒否すること。
それによって、ジョーンズ、キーリー神父、連盟福総統クラップタウアー、それに黒い総統といった互いに矛盾する考えの人々が比較的平穏にひとつ屋根の下で暮らすことができるようになった。
それによって、わたしの義父は一つの心の中に強制労働の女たちへの無関心と青い壷への愛を同時に宿すことができた。
それによって、アウシュヴィッツ司令官ルドルフ・ヘスはアウシュヴィッツのラウドスピーカーから偉大な音楽と死体運搬係への呼びかけを交互に流すことができた。
それによって、ナチ・ドイツは文明と狂犬病のあいだにさしたる違いがないことを感得できた」
 〜カート=ヴォネガット『母なる夜』〜


「ひたむきで献身的な努力をすれば、意識を大きく転換させ、理解を深めることができるだろうとは、考えられていません。それは非常に危険な考えであるため、歴史から削除されているのです」
  〜ノーム=チョムスキー『すばらしきアメリカ帝国』〜


「恵まれない境遇の子どもたちだ(略)。
バカげてる。子どもたちを熱狂させて、戦いの中に放り込むんだ。虐殺だよ…。天国の鍵は貧しい人たちのものだった。
あの世での幸せを信じながら、鍵を首にかけた何千人もの少年たちが地雷原で散っていった」
 〜マルジャン=サトラピ『ペルセポリス』〜



日本国内において、場合によってはちょっとだけ厄介な問題が起こりうる可能性のある映画が“政治的に漂白され”るなら、予告編も、当然そうなる。
『ペルセポリス』予告編海外版。


内容を希釈しまくった日本版の『ペルセポリス』予告編。


……。

「どこにいても どんなときでも マルジは自分らしく 成長していく。
ロックと ユーモアと ちょっぴりの反抗心を胸に」

llllll(-_-;)llllll

……まあ、政治性うんぬん以前に、

ナレーションでべらべら説明する予告編を作るのをまず止めたほうがいい

と個人的には思うが。
(^_^;)
わずか2分少々の予告編に、
「おまえは映画をまともに理解する能力もない人間なんだろ?」
「おまえにもわかるようにぜんぶ説明してやるよ、これは愛の映画だ、これは成長物語だ、これは友情の物語だ」
と悪意たっぷりに挑発されているような気分になる。
予告編の短い時間の範囲内で、物語の魅力と内容をナレーションが端的に語る。すると、映画館の座席に座って予告編を眺めている私は、ナレーションが語ったことだけ理解する。
「どうだ、どんなバカでもこれなら理解できるだろ!」
と予告編が私に囁く。
このような挑発行為にはいいかげん我慢ならないから、こうして日記に書いて、うっぷんをはらそう。
(^_^;)
映画本編が始まると、これが邦画なら、予告編の延長そのままに、登場人物たちが愛を語り、説教し、説教のおかげで成長できたと告白し、友情を語り、どつきあい、泣き、トラウマを克服できたと聞かれもしないことを語り、最後の念押しには、この物語は命の大切さを訴える物語なのですよ、と涙のラストシーンでご丁寧に説明し、だから、途中で退席でもしないかぎりは、その場に居合わせた観客はひとりのこらず映画を理解する。

やめろ!やめろ!

まさか、文化的側面から日本国民の脳みそをトコロテンにしてしまう何かの陰謀じゃないだろうな、とは冗談だが、冗談であろうがなかろうが、陰謀であろうがなかろうが、このままでは現実に、私とあなたの脳みそは、つるつると喉ごしのいいトコロテンになってしまうだろう。
映画『ペルセポリス』は、見た目以上に危険な映画だ。宅急便の小包みに貼られた「ワレモノ注意」のシールくらいには。
爪も牙もある、ぞくぞくするようなアニメーションだ。
しかし、日本の内部では、

「どこにいても どんなときでも マルジは自分らしく 成長していく。」

と片付けられて、それっきりになる。
マルジは頑張って成長しました。これからも頑張って成長し続けるでしょう。苦難と直面しても、反抗心を胸にこれからも頑張って下さい、うんぬん。
映画を観ている自分は、こちら側からあちら側に「頑張れ」「負けるな」「とにかく頑張れ」と強く念じ、マルジの側には一歩も踏み出さないまま、感動だけはたっぷりと可能だ。

感動だけはたっぷりと!

……私だって、泣ける映画を観て泣かないわけではないし、感動する映画を観て感動しないわけではない。むしろ、泣かし所では必ず泣く人間だ。吉本新喜劇のベタなお説教でもうるうるくるような人間だ。
しかし、ぽろぽろと涙を流しながら、一方で思う。

“こういうの”でいいとするなら、ヒトラーの演説が最高峰だよ。とてもかなわないな。

奇妙な話だが、私たちにとって「政治的に偏っていない映画」とは、手段としての「ヒトラーの演説」だ。
なんという皮肉!
手段としての、という注釈がついているけれども、喉に何かが詰まったような、おかしな気分から抜け出せない。
ともかく。
日本国籍を持つ私やあなたのような人間が、日本国内を生活の土台として、日々を安全に暮していこうとするなら、映画ごときは喉ごしよく消費して、「ああ、おもしろかった」「私はもうひとつピンとこなかった」と感想を述べるにとどめるのは、かなり実践的な知恵だ。
新聞やテレビで安全を確認しつつ、その場のノリのようなもので、例えば「コイズミ劇場」とやらに「心を動かされ」てみせる。
本当にしつこいが、なんと奇妙な。
私にとっての映画、劇場空間とは、頭からバシャバシャ水をぶっ掛けられるうちに、突然悟りを開いたようにこう叫ぶ行為だ。

「ウォーター!」
(実際のヘレン・ケラーは叫んだんじゃなくてサリバン先生の手の中に指で綴ったらしいです)

 



『母べえ』の『ペルセポリス』(2008.10.31)




「あなたがいたから
 すべてを愛する」
 〜映画『母べえ』チラシより〜


あってはならないものをはぶいておるのだよ
 〜映画『アマデウス』〜


子どもの頃、革命がありました…
 戦争がありました…
 人がたくさん死にました…」
 〜マルジャン=サトラピ『ペルセポリス』オビより〜


母の意見には賛成だ。生のことだけを考えていたかった。でも、それはやさしいことではなかった。学校では日に2回整列して戦死者を哀悼させられる。
指導部が物悲しい音楽をかけ、私たちは胸を叩くのだ」
 〜マルジャン=サトラピ『ペルセポリス』〜



右翼アンド保守系からの非難を恐れて、制作・配給側が可能なかぎり“政治的に漂白された”映画となるよう腐心と苦心を重ねて作られたのが、昨年ヒットした映画『母べえ』だった。
“政治的に漂白された”とはどういうことか。
スクリーンと向き合うようにして映画を鑑賞している観客の位置から眺めたとき、作品のメッセージがなにやらぼんやりしてもうひとつ掴みにくい、という効果を意図的に狙って作られた映画が、可能なかぎり“政治的に漂白された”映画だ。
映画というものは、基本的には、スクリーンに映し出される映像と、観客席に座っている観客との関係の中で理解されるものなのだから、その位置から眺めて言わんとするところがどうもぼんやりしてしまっているのでは、普通は映画として成り立たない。
映画として成り立たない、ではどうしようもない。だから、少々の無理を押して、本来の映画の主題とはすこしピントをずらしたところに、作品の魅力、「ウリ」を設定する。
主題とは少しピントをずらしたところで配給される映画の宣伝文句は、

「巨匠、山田洋次」



「国民的大女優、吉永小百合」

と組んで作り上げる

「感動の家族ドラマ」「吉永小百合の気品を存分に引きだして描く、古きよき日本女性の姿」

というようなものとなった。他にはありえなかったろう。
耐えいがたいまでの辛さを抱えた一人の女性が、「私はこんなにも辛いのです」と表明することすら許されない社会で日々を過ごしているというのに、それが表明されないがゆえに、その辛さはなかったことにされる、そしてそれは、過去ではなくまさに「今」なのだ!というような作品の本来の主張にきっちりとピントを合わせて映画を作ることも、出来上がった映画を「これはそのような映画なのですよ」と胸を張って言うこともできない……ことはないけれど、そんなことはするべきではない、という意味において、他にはあり得ない。

この映画の成分には政治的メッセージなど含有されておりません、政治的立場を超えた人類の普遍的願いである平和、不戦の誓い、家族愛、隣人愛、というもの以外は、いっさい……。

ピントが合ってない、もしくは、作品の主題から少しずらしたところにピントを合わせ続ける、そうすることによって、「映画としてある種の中立を装うことができる」と、無理を承知で言い張るしかない、というような苦心が、映画の作り手の側にはあったのではないか。
『母べえ』が、全国ロードショーで大々的に上映されるメジャー映画である以上、事情が許すかぎり、限度いっぱいまで、

“政治的に漂白された”映画でなければならない、という“政治的判断”

は、それは不可避だったろう。
……意図的にピントをずらすことによって、スムーズに流通させることが可能となった映画『母べえ』の、観ていてなんとももどかしくて、どこか意気消沈してしまう奇妙な味わいというものは、ちょっと書いておきたかった。

先日、『ペルセポリス』のDVDが発売になった。
予告編。


そのDVDを購入し、弟と鑑賞しつつ、『ペルセポリス』になりそこねた映画『母べえ』、というようなフレーズが、電光掲示板のニュース速報のように、右から左へと流れ続けたのだ。

『母べえ』が、『ペルセポリス』になりそこねた映画かどうか、それはわからない。
そのような比較も、じゅうぶん可能だ、と、そのように言っておきます。
それと、もしあなたが『ペルセポリス』をごらんになるなら、主人公のおばあちゃんに少し注目してみて下さい。
ぜひ。

 



個性を説明してみる(2008.10.28)




「あんたが見てるものが すべてってわけじゃないだろうが」
  〜若菜将平『仮面天使』〜


「最近、自殺の問題とフリーターの問題がすごく繋がった。フリーターというのは、「お前の代わりはいくらでもいる」ということを使用者側がわざと言って、本人の価値を下げることによってフリーターという立場が成り立っている」
  〜『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』〜


おれは、おまえたち人間には想像もできないものを見てきた。オリオン座のそばで炎に包まれた宇宙船。タンホイザーゲートのオーロラ……
  〜映画『ブレードランナー』〜


恐怖の連続。それが奴隷の一生だ
  〜映画『ブレードランナー』〜



『女教師ブログ』さんから。

====================
「『個性』の実に95%は階級闘争で説明できます!」とid:toledさんが言ってました」
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20081025
====================

何ひとつ特別なことを言っていらっしゃるわけじゃないんだけど、妙に感心した。
こういう、人の注目を集めずにはおれないような表現が飛び出すところがtoledさんの特徴だ。
ともかく。
のろし旗をかかげて、はちまき巻いて、「○○はんた〜い!」「断固阻止せよ!」とやるのが階級闘争のすべて、というわけじゃない。あれは、

階級闘争のビジネス面の話だ。

関係の維持のしにくさ、葛藤、あなたが電話をかけている場所、私が電話を受けている場所、『ベルサイユの薔薇』を手に取ってみようと思ったこと、まったく興味を抱かなかったこと、あなたがいま見ているもの、私がいま見えていないもの……。


・妻「今すれちがった女の人見た?」
・夫「うん!」
・妻「あのピンクのスカート、素敵だったわね!」
・夫「スカートなんか、はいてたっけ?」
・妻「はいてたわよ! 見てたんでしょ?」
・夫「見てたよ! すっごいおっきなおっぱいだった!」


……すんません、じつに品のない例えで。
(;^-^ゞ
え、何を例えているのか意味不明?
さらにごめんなさい。
(;^-^ゞ
でも、これも階級闘争なんだよ。
普段は、自分自身からひっそりと隠されていても。そして、この世でもっともやっかいなのが、カーテンの向こうの幽霊だ。
生まれたての墓穴が作り出す闇のように空っぽなくせに、新鮮な悪霊どもが音もなくうろついて、あなたの頭上に土砂降りの雨が叩きつけるのを待っている。
そうなったら、空っぽであるというその事実が、あなたを傷つける……。
しかし、

今や、カーテンの幽霊どもは巨大化しすぎた。

カーテンから尻がはみ出してる。例えば、こういうニュース。

「日立中央研究所、上司や教師が部下や学生のやる気を測定できるセンサー開発!」

ぎゃあああ!!
ある種の階級に属する人間は、「やる気」まで監視されると。
ドラえもんの道具を使った、 『未来世紀ブラジル』といったところ。
日立中央研究所所長のとくとくとした発言を読もう!

カーテンの向こう側から飛び出した幽霊、ブラジルの場合。



日本という国の内部の、無理を極めきったような日常のただ中で、あらゆる階級闘争が鋭角化していく。
悪魔に取り憑かれた少女のお腹に、ミミズ腫れとなって浮き上がる「へるぷ みー!」の声無き叫びようだ。(←『エクソシスト』)
ともかく、私なりに思うことあって、近所の古本屋に行って『仮面天使』の4巻を購入した。
すでに絶版になったマンガ本だが、「個性とは階級闘争で説明しきることができる」という主張を、正面から力強く肯定するような作品だ。
こういう作品が、本当に少なくなったと思う。しかも、絶版だ。
アフタヌーンやモーニングでも、この種の作品は読めなくなった。
「コミックパーク」で一部を試し読みできるので一応紹介しておこう。

『仮面天使試し』


--☆---



ボーガスニュースさんから、
『橋下知事、こんどは公演の砂場で激論---幼児の目にも涙も』
のニュースが。
……タネを明かせば、ボーガスさんのいつものネタ記事なわけですが。
(^_^;)

幼児VS大阪府知事某ハシモト

少なくとも大阪では、個性とは階級闘争で100パーセント説明できるな。
親がこんなのに投票するから、子どもたちがえらいめに。
レドラム!
レドラム!
シャイニングゥ〜。


 



『火垂るの悲劇』と高校生VS府知事(2008.10.26)




「貧困の悲惨さが自然の法則ではなく、我々の社会制度によって引き起こされているとしたら」
  〜チャールズ=ダーウィン〜


「ホタル、なんですぐ死んでしまうん?」
  〜映画『火垂るの墓』〜


「大多数の男性は、ちょうどこの正反対を教えられてきたのではないでしょうか。彼らは想像力を抑圧し、なにか女々しい、子どもじみた、益のない、そしておそらくは罪なこととして拒絶することを学んできました。
想像力をおそれるように、と教わってきたのです。それを訓練することを学ぶのではなしに」
  〜アーシュラ=K=ル=グウィン『夜の翼』〜


「誰かが何とかしてくれるなどと思えなかっただろう。そんな世の中だったとしたら、どうして今まで自分にはそれが訪れなかったのか、説明できないからだ。つまり、誰も何もしてくれない世の中なのだ……そう結論づけているように見えた。その結果が「自分は今のままでいいんスよ」という言葉である。典型的な自分自身からの排除だった」
  〜湯浅誠『反貧困』 〜



激論のきっかけは、私学への助成金28億円削減プランだった……。
FNNニュースから、

高校生VS大阪府知事某ハシモト


======================
高校生
「大阪の財政を良くすることは、わたしたちが苦しむことなんですか?」、 「ちゃんと税金取っているなら、教育、医療、福祉に使うべきです。アメリカ軍とかに使ってる金の余裕があるのなら、ちゃんとこっち(教育)に金を回すべきです」
と涙ながらに訴えると、
橋下知事
「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」
と切り捨てた。
======================

(^▼^;)……。
税金を教育、医療、福祉に使うのは大阪府知事の仕事じゃないと。
貧乏人同士、自助努力でなんとかしてください、とのことらしいです。


======================
高校生から
「それはおかしいです!」
と意見が出ると、橋下知事
「それはじゃあ、国を変えるか、この自己責任を求められる日本から出るしかない」
と反論した。
======================

(;゚ ロ ゚) ……。
自己責任を求められる日本つったって、おまえら、リスクはぜんぶ貧乏人におっかぶせてるだけじゃんか。
何が自己責任だ、格差社会のただ中で、貧乏人の家庭に生まれた、

この子らにどんな責任があるっちゅうんだ。

むしろ、大阪府知事、あんたの責任だろ!
日本から出るしかないって、だれが出るか。
つーか、ハシモトの気に入らない考えを持っているからって、なんで出ていかなくちゃいけないの?
高校生の彼らも大阪府民(選挙権がないのがじつにかわいそう!)なわけだ。彼らが気に入らなければ、知事さんよ、あんたが出ていくべきだろ。それがすじだ。
なので、日本からも大阪からも出ていきません。かわりに、

日本を蛙、じゃない、変える!

大阪府下の高校生諸君、まずは、大阪府知事の首をすげ“替える”ことから始めようや。
ヾ(*'-'*)
さて。
知事とのバトルのあと、高校生たちはこう語った。

「悔しいです」
「傷ついている人たちの気持ちなんて、まったくわかってくれてないという感じで」
「結局、自分が悪いみたいな感じで言っていたので、腹が立ちました」

まったくだ。
もうな、すべての未成年者たちよ、団結せよ!
子ども革命だっ。


--☆---



話、かわって。
ブログ『愛・蔵太のもう少し調べて書きたい日記』さんのところで、
[映画]映画『火垂るの墓』で高畑勲監督が伝えたかったこと(アニメージュ1988年5月号から)

という記事を見つける。
引用からの引用。

======================
はじめて原作を読んだとき、これは神話だな、と思ったんです。『神話』とは何か、ぼくもよくわからないので、いい加減なものですが、とにかく神話性のある物語は、同じ人物、同じ筋だてに様々な意味や肉づけを与えることができるんですね。どんなことをしても、簡単にはこわれてしまわない強さを物語自体がもっている。とまあ、この物語の扱い方が読者それぞれの思い入れやイメージとちがっていた場合の弁明を先にしておきたいんです。
======================

======================
「そうではないんじゃないでしょうか。成功したんじゃないかと思います。成功したにもかかわらず妹が死んでしまうというところに、この物語の悲劇性、ひいては神話性があると思うんですが。
======================

ははあ。
映画『火垂るの墓』が、他の反戦アニメと一線を画して、悠々と普遍性を獲得しているのは、こういうところにあったのか。
こちらのブログ主さんは、高畑勲御大のおっしゃっていることをまったく逆の意味に解釈してらっしゃるが、解釈は人それぞれ、と言っても、高畑監督は「全体主義よりはいっそ妹を殺すほうを選ぶ」

なんてことは言ってませんよ。

余計なお世話かもしれませんが。



--☆---


『破壊屋』さんのところで、
「西洋人から見た『トトロ』」のお話が。
親子でお風呂に入ったら性的虐待を連想してしまうなんて、西洋人も大変だなあ、とはこちら側の文化圏に暮らしている私の意見。
「えっ!おまえんとこの国じゃあ、親子でいっしょに風呂に入ってんの?」
「えっ!ふつう、いっしょに風呂に入んないでしょ?」
こういう驚きがあるのも、映画の良いところだと、私も思う。

 




銀河バイパス建設の行政執行します(2008.10.20)




「占星術は、途方もないナンセンスが何千年も生きながらえていることの貴重な証人である」
 〜ダグラス=アダムス『銀河ヒッチハイクガイド』 〜


「重要なのはイメージだと。ですから、民主党のなすべきことは、民主主義の遺物をきれいさっぱり投げ捨てて、テレビを通じて候補者を健康増進薬のように売り込むことだ、とウォルドマンは述べています。そうすれば、真の民主主義が実現するというのです。今日では、選挙の争点を上手に「操作」する方法を……」
 〜ノーム=チョムスキー『チョムスキー、アメリカを叱る』 〜


「人々が判断の道具を持つことを学ばずに、希望を追うことだけを学んだとき、政治的な操作の種が蒔かれたことになる」
  〜 スティーブン=J=グールド〜



本造りに煮詰まったと自分を甘やかしては、ネット遊び。
ブライアン=デ=パルマの最新作『リダクテッド』の予告編が、youtubeにあがっていた。
予告編。


次。
ナオミ=クラインが語る「ショックを利用した民営政策」
……身に覚えのある話。
字幕あり。
>

……などと、部屋に閉じこもってネットで動画を見ている間に、火星人が地球に襲来していた。
場所は、

新自由主義で経済がガタガタになっていたころのアルゼンチン!



金もなければ仕事もない、となれば、火星人と言えどもストリートピープル。
http://www.uplink.co.jp/mercano/story.html
↑大まかないきさつはこちら。


火星人はもちろん、銀河ヒッチハイカーはみな持っているという宇宙一のミリオンセラー『銀河ヒッチハイクガイド』
しかし、地球人はその存在すら知らないという。


そんな人類が無理を極めたような日常をすごす地球に突然、飛来した宇宙大船団。
それは、

銀河☆第2京阪用地に行政代執行を行うためにやって来たお役人、

ハシモト某知事、もとい、ヴォゴン星人たちだった!

銀河バイパスの建設工事のため、建設予定地の地球を2分で破壊します!

ぎゃあああああ!!


2分後、幼稚園児たちが育てた収穫前のサツマイモや落花生のように、無残に排除される地球!

=========================
司法判断を待たなかった理由について、府は「10年3月末に予定されている第2京阪の全線供用開始に間に合わなくなるため」としている。
=========================

なのだそうです。
なお、銀河系世論では「どっちも悪い」論が吹き荒れているのだそうです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20081016/p1
以上、脈略はまったくなく、手当たり次第にyoutube動画特集でした〜。
おまけに、「某大阪知事の醜悪さ」(笑)。




 



明日、列車の走らせかた(2008.10.17)




「フリードマンが支持する経済政策は、多くの途上国に危機的な状況を生み出してきました。最近の四半世紀をみれば、彼の政策を取り入れた国の経済成長率が急激に低下したことがわかるでしょう。非常に良好な成果を上げている国々(中国、韓国、台湾)は、フリードマンが擁護するルールを破ることで、それを成し遂げてきたのです。(略)一方、新自由主義のルールを厳格に守った国は、経済成長率が急激に低下して、他のマクロ経済の指標もことごとく悪化してしまいました」
 〜ノーム=チョムスキー『チョムスキー、アメリカを叱る』 〜


「大統領のエボ=モラレスが、ボリビアの天然資源を国有化しようとしたとき、彼は権威主義的で独裁的、民主主義の敵対者だと(アメリカに)非難されました。国民のおよそ95パーセントに支持されたことが、問題だったのでしょうか。アメリカには民主主義について独特の考え方があります。それは「アメリカの言う通りにしなさい」というものです。アメリカの言う通りにする国は民主的であるか、民主的であるとみなされますが、自国民の望む政治をする国は、民主的ではないのです。一般の人々がこのことに気づかないのは、恐ろしいことです」
 〜ノーム=チョムスキー『チョムスキー、アメリカを叱る』 〜


「すなわちそれは、ブッシュの側について世界の私物化の信奉者となるか、そうでなければ彼に敵対するものとして爆撃されることを意味する。
つまりアメリカ帝国は外交の代わりに軍事的至上権の強化を選択した。その結果は、軍事費支出の増大と、それに伴う多国籍軍需産業の爆発的な増大である」
 〜ジャン=ジグレール『私物化される世界』 〜



アメリカいいなりで、新自由主義のルールをくそまじめに守ったあげく、未曾有の経済大破綻をきたした数年前のアルゼンチン。失業者があふれかえるわ、自殺者が出るわ、組合は分裂するわ、治安が悪化するわ、病気になるわ、健康保険に加入してないから病院にも行けないわ、だからさらに病気になるわ、その他もろもろの市民共同体大崩壊の現実と、そこから立ち上がる人々、未来への希望(←ここ重要)を見事に描いた映画、
『今夜、列車は走る』のDVD、発売決定。
12月5日だ。
予告編



映画で描かれた経済大破綻の後、アルゼンチンはどうなったか。
新自由主義とも国際通貨基金(IMF)とも手を切って、ベネズエラ、ボリビアなどの周辺諸国と連携し、

社会主義的要素を取り入れた経済システムを導入、結果、経済は劇的に回復。

げげえ! 社会主義のシステムだとぉ!
資源を独占する自由、投資家の権利を無限に保障する自由、一部の特権階級がそのときそのときの都合で“適正”価格を決める自由、奴隷労働を競争と強弁する自由、が侵害されるとアメリカ・日本などの新自由主義陣営は怒り狂っているわけだが、怒ろうがわめこうが、国が滅びるよりはマシだよな。
アルゼンチンの国民は、もう、あんな辛い目は二度とごめんだって。
いや、よくわかるよ、その気持ち。
公的資金を投入するだけしか策のなくなった新自由主義陣営に比べて、ラテンアメリカのベネズエラやアルゼンチンやブラジルやボリビアは経済を短期間に立て直した……だけではなく、医療、老人福祉、教育などなどにべらぼうな予算を投入。
なぜそんなことをするかというと、ベネズエラの、アルゼンチンの国民がそれを望んでいるから。
日本の大多数の国民と、願いはいっしょ。
だが、残念、国民の望む社会のあり方が同じでも、「痛みに耐えて構造改革」などと宣言したどこかの国とは

政府が違う。

ドえらい違いなのだ。
今や、ラテンアメリカ左派連合は、中国などとも手を結んで、世界規模の新しいネットワークを構築し始めている。どーん。
真面目な話、こりゃあ、

アンチ新自由主義陣営が、世界を救うかもしれない。

アメリカ合衆国に骨の髄まで依存している日本は、どうなるんだろう。
マスゾエ某厚生労働省は参院予算委員会で、

「政府は『100年安心プラン』という言葉を使ったことはない。100年ほど先の見通しを持っていただけ」

と発言。
……100年安心と言っていなかったら、どうだっての?
(^_^;)
このマスゾエ発言を受けたアソウ首相は

「100年安心と思っている人は極めて限られた人という感じ」

と、これがまるでひとごと。
まさしく、「あっ、そう」。
そりゃ確かに、100年先どころか、明日の生活を不安に感じて多くの国民が生活しているわけだが、

一国の最高責任者として、ちょっとは恥じてもいいんじゃないかなあ、この事態。

(^_^;)
頼みの経団連はというと、安い賃金でとことん働かすことのできる(←ここ最重要)移民を受け入れることで、人件費の上昇を究極まで抑えるシステムを提言。
つまりあれだ、ワーキングプアと呼ばれる人々をどんどん増やすことで、大企業と財界にソンが出ないようにしようというわけ。正気とは思えんな。
あーあ。
……だから言っただろ、だめだって。
(^_^;)

「おめぇ、前歯がなかったら、トウモロコシ喰うのに苦労すっぺ!」
(↑映画『ブルース・ブラザース』、グッド・オールド・ボーイズのリーダーの叫び)

やんやともてはやされてノーベル賞経済学賞まで受賞したミルトン=フリードマンのシカゴ学派理論で世界経済は大崩壊。
すると今度は、新自由主義を批判し続けていたポール=クルーグマンがノーベル経済学を受賞したわけだが、いったいぜんたい、

ノーベル賞もどうなりたいんだか。
(^_^;)
『橋本健二の読書日記』さんのところでは、こんなうがったご意見が。

================
経済学賞は、正確にいうとノーベルの遺言にない「ノーベル記念経済学賞」だが、金融派生商品に関する理論を理由に受賞したショールズが、ヘッジファンドを破産させたといういのも有名な話である。新自由主義の総帥で、金の亡者としても有名なフリードマンも受賞者である。
 しかし2001年のスティグリッツと、今年のクルーグマンは、米国でブッシュ政権批判を繰り広げている米国人の受賞という点で、ちょっと注目していい。とくにクルーグマンなど、はっきりとオバマ支持を打ち出している人物である。これは、政権交代しろというノーベル財団の米国に対するメッセージとも読める。
================

「政権交代しろというノーベル財団のメッセージ」って(笑)。
(^_^;) おもろい。



 




男からの脱出(2008.10.14)




「おじさん、わたしがいちばん頭にくるのは、この人たちがどんなに物知らずかということでもなく、どんなに大酒飲みかということでもないんです。それよりも、この世の中のすてきなものはぜんぶ、自分たちか自分たちの先祖が貧乏人にくれてやったものだとする、この人たちの考え方が気にくわないんです」
 〜カート=ヴォネガット『ローズウォーターさんあなたに神のお恵みを』 〜


「アメリカの主張するところでは、「公共財」は存在しえない。市場だけが、分配、価格、食料、住居、学校建設、医薬品等々の決定を下す。20億以上の人間が極端な貧困状態にあるって? この状態を除去できるのは経済成長のほかにはなく、これは、貿易と市場を最大限に自由化することによってのみ達成される。それまでは貧しい者たちが自助努力するだろう(!)」
 〜ジャン=ジグレール『私物化される世界』 〜


「ぼくは今さらながら疑問を抱いた。彼女たちはみな、逃亡奴隷なのだろうか? 全員がここに来ることを希望したのだろうか? 全員が自由を求めていたのだろうか?
もちろんそうだ」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『パワー』 〜


「だからと言って、男には何もできないというわけじゃない。女たちを助ける一番いい方法は、男たちに働きかけることだ。これは本当に骨の折れる仕事だ---男の頭ってやつは、コンクリートブロックみたいに硬いからな」
 〜マイケル=ムーア『アホでマヌケなアメリカ白人』 〜



ジェンダーSF研究会が発表した2007年度の海外翻訳部門の大賞は

『ようこそ女たちの王国へ』に決定。

タイトルは素晴らしいので、気にしていたんだけどまだ未読。
(^_^;)
タイトル買いしてみるかな。
この宇宙のどこかに女たちの王国があるなら、性転換してそっちで暮したいわ。
女性に翼があったなら。
猫に翼があるのはル=グウィンの絵本だ。
火星人メルカーノがアクセスしているかもしれないから、言わずもがなを念押しをしておくと、猫というのは、この地球上でもっとも美しく、抱っこするのに手ごろな哺乳類だ。
女性というのは、人間のかたわれ。人間には性別というものがあって、男と女に別れている。
寿命が長く、丈夫で、流線型のデザインをしているほうが女性。
体を張るしか能のない足の臭いほうの生き物が男性。完全な少数派だ。
また、『インターネットにおける「右傾化」現象に関する実証研究』によると、
「ネット右翼」的な層の特徴は、男性が多い、掲示板「2ちゃんねる」の利用頻度が高い、「マスコミの情報は偏っていて信用できない」とする傾向が強い、「炎上」に許容的」

という生き物でもある。
基本的に役に立たない生き物だが、それだけじゃない。人類以外の何万種にも及ぶ生物を絶滅させ、戦争に明け暮れ、地球をこんこんと暖め、実際の商品ではなく「売れそうだ、株価が上がりそうだ」という情報を商品化してしこたま稼いだり、一夜で文無しになったりする。
また、おなじ人間である女性を殴る。蹴る。ひどいときには殺してしまう。
ちなみに、私の性別は男性だが、誰のことも殴ったことがない。

女性に殴られたことは山のようにある。
(^_^;)
だけど、その数倍も、男性に殴られてきた。
男は女性よりも殴るのが好きなんだ。
問題を建設的に解決していこう、という気がないのだ。
ちなみに、私が女性の立場だったら、私みたいな男はスリコギでめったうちにするだろう。当然だ。
女性たちが『アメリ』にうっとりとしているあいだに、男どもは『タクシードライバー』に共感し、女性たちが『ゲド戦記』を読んでいるあいだに、男どもは『甲殻機動隊』の草薙素子フィギアにうつつを抜かしている有り様だ。
そういう私だって『江古田ちゃん』よりも『カラスヤサトシ』派だ。
(^_^;)
男どもに任せていたら、地球はもうすぐ砂の惑星になってしまうだろう。


--☆---



男どもが、またやった。

数十兆円の金融資産が、煙のように消えちまったと騒いでる!

そらそうだわな。はじめっから実態がないんだもんな。
いい商品を作る気がない、どころか、そもそも商品が存在しないんだからな。
珍しくテレビを見ていたら、経済評論家さんが、

「システムが社会主義化して、どんどん公的資金を投入するようになって、世界経済がダメになった」

と言っていた。
げぶし!

わしら貧乏人の血税をおまいらの博打の失敗の穴埋めに使ったのは、誰だって話だ。

ニューリーダーとか勝ち組とかセレブとか、現代の英雄気取りで、実態のない金融商品をもてあそんで、実態が無いがゆえに結局行き詰まった挙句、
「このままじゃあ世界がひっくりかえるよう」と

世間に助けを求めておきながら、なんちゅう言い草。

曲がりなりにも資本主義なんだろ? 自己責任なんだろ? 公的資金なんてものにすがるなよ。
フリードマンが泣くよ!

公的資金なんてものに頼らず、潔く淘汰されなさいっ。

まあ、無理だよな。
市場経済を自由化したりしたら、経済システムは一日も持たずに崩壊するはずだ。
“新自由主義の暴風から市場を保護”しなくてはならない! これは、現実であり、資本主義システムが抱える大きな矛盾だ。

巨大化した資本主義システムは、自分のケツを拭こうにも手が届かない。

いわゆる大多数の負け組が、糞にまみれながら、やつらのケツを拭いてまわる。

もう、やめだ!やめだ!

来世は女性に生まれて、社会主義の星で暮すわ。
次に会うならアナレスで。

 

 



絶叫劇場 死ぬまで待てない!(2008.10.12)




「彼女がわたしにむかってしたことといえば、こちらがつんぼになるほど、この手の出世物語を聞かせることだけだった。このすばらしい新世界で出世したと彼女が思っている人々とは、つまり強制労働や破壊や殺人の術にたけた者ばかりだった。わたしはそのような分野で働くことが出世したことになるとは思わない」
 〜カート=ヴォネガット『母なる夜』 〜〜


「しかもこれから状況はますます悪くなる。いまの会社にどういう福利厚生制度があるにせよ、それはだんだんになくなっていく。年金もなし、社会保障もなし。子どもに老後の面倒を見てもらうことは期待できない。彼らは自分たちの生活で手いっぱいだからだ、まとまった休暇をとろうなんて考えないほうがいい。帰ってきたときには職を失っているかもしれないから。あなたは消耗品なのだ。権利なんて何もないのだ。組合? 何それ?」
 〜マイケル=ムーア『おい、ブッシュ世界を返せ』2003年〜


「想像できますか、アメリカで最も信頼されている人間に、アメリカ人でありながら、猫がくわえてきたなにかのように扱われるところが!」
 〜カート=ヴォネガット『死よりも悪い運命』 〜



アメリカ合衆国で「金融救済法案」が可決されたというのに、株価は下がるいっぽう。
ポール=クルーグマンが予測した『実に恐ろしい事態』がとうとう現実のものになってしまったノストラ大魔王の2008年。
まあ、勝ち組のみなさんは、マネーゲームで失敗したら公的資金投入、年金をぱちりまくり、消費税値上げ、公共事業の乱発、老人医療の値上げ、その他もろもろのコンボ技でどうにでもできるんだからな。

国際競争力を上げないと国が滅びる

儲けが出たら、それは連中のぽっぽに。
そりゃ、「小さな政府」は、いつまでたっても「財源がない」だろうナ。
(^_^;)
で。
どうすんでしょうね、この事態。
(^_^;)
アソウさんは世界恐慌の危機より、民主党攻撃に手がいっぱいのようだし、その民主党の財政再建案も、ほとんどトンデモという……。

(^_^;)
民主党、選挙前に「自民党野党部」の本性まるだし。

暗いわ〜、未来は暗いわ〜。
そんなおりも、おり。

我らがマイケル=ムーア

が、「ウォール街の混乱のおさめ方」をご教示下さっております。


======================
皆の衆!

400人のアメリカの最裕福層、そう、「たったの400人」が底辺の1億5千万人を全部合わせた以上の財産を持っています。最裕福400人が全国の資産の半分以上を隠匿しているのです。総資産は正味1兆6千万ドルになります。
======================


以下、見出しだけ。
1.
【ウオール街で、承知の上で今回の危機到来に加担した者を犯罪者として起訴するため、特別検察官を任命せよ】
2.
【救済経費は富裕者が自ら負担すべきである】
3.
【緊急救済すべきは住居を失う人々だ。8つ目の住宅を建設する連中ではない】
4.
【あんた達の銀行や会社が我々からの「救済金」を少しでも受け取れば、我々はあんた達の主人だ】
5.
【規制は全て回復しなければならない。レーガン革命は死んだ】
6.
【失敗が許されないほど巨大なものは存在も許されない】
7.
【いかなる会社重役も、従業員の平均賃金の40倍を超える報酬を受け取ってはならず、会社のための労働への妥当な給与以外にはいかなる「落下傘」も受け取ってはならない】
8.
【連邦預金保険公社を強化して、国民の預貯金にとどまらず年金と住宅の保護のモデルとせよ】
9.
【深呼吸をし、落ち着いて、恐怖に日々を支配させないことが誰にも必要だ】
10.
【民衆の「国民銀行」を作ろう】

個人的には、「失敗が許されないほど巨大なものは存在してはならない」という言い回しが印象に残った。
コイズミ改革のスローガン、「小さな政府」は、

「大きな多国籍企業」の綴り間違いにしか過ぎなかった。

我々が必要としているのは、小さな企業、助け合いの暮し、だ。
だから、ムーアの提言の最後は、「民衆の国民銀行を造ろう」になる。





さよならポール=ニューマン(追加)(2008.10.8)




「保守主義者が常に愚かであるとは限らないが、愚者の最たるものは必ずや保守主義者である」
  〜ジョン=スチュアート=ミチル〜


「アメリカの白人は、低賃金単純労働者を確保するため、アフリカから黒人を連れてきて奴隷として働かせるという荒技を考えました。しかし残念ながら明治時代、すでにアメリカでも奴隷は解放されていました。がっかりした明治政府は、日本人を奴隷化することにしたのです。それがつまり教育です」
  〜パオロ=マッツァリーノ『反社会学入門』〜



「もし、いまの時代にイエスが生きていたら、われわれはおそらく致死注射で彼を殺したでしょう」
  〜カート=ヴォネガット『追憶のハルマゲドン』 〜



「しばらく前、人生とは何だろう、とマーク(←息子)にたずねたことがあります。わたしはまったく手がかりをつかんでいなかった。マークはこう答えました。「父さん、われわれが生きているのは、おたがいを助けあって、目の前の問題を乗りきるためさ。それがなんであろうとね」」
  〜カート=ヴォネガット『追憶のハルマゲドン』 〜



全世界を巻き込んだ金融不安から3歩進んで、世界経済崩壊の危機が迫ってまいりました。
いよいよでございます。

「痛みに耐えて構造改革」成果の収穫の日が。

みんな、ここまで、本当によく頑張ったもんな〜。
勝ち組になりたくて、いっしょうけんめい、地球資源と人間共同体のつながりを破壊して廻ったもんな。
働いて働いて、成績を上げようとし、さまざまなことを考え、またせっせと働いた。

英雄は、ここにいるみんな。

新自由主義だの、コイズミ革命だのを、ありがたがって、賛同して、押し上げて、「実態経済からかけ離れたマネーゲームなんかにせいをだして、あとあとえらいことになるぞ」という警告を無視し、---つうか抵抗勢力とか呼んで敵視して、この社会の仕組みを「市場経済・略奪天国」に変えてしまったのな。
いやいや、お見事。
狼は生きろ、豚は死ね。
わかるよ、その気持ち。
ロッキーのテーマが聞こえてきそう。あれは、聴いているだけで血が沸き立ってくる。

♪認められたのです 人間狩りが♪
♪なお、くだらない人間、つまらない人間は♪
♪狩られる側に廻ってもらいますので あしからず♪
♪つまらないかそうでないかを決める♪
♪素敵な審査員をご紹介しま〜す♪
(byオーケン)

シェークスピアという、えろう昔のおっさんの作った劇に『ハムレット』というのがあるんだけど、そこに、人類最初の呪いについての言及がある。
劇のなかで、ひとりのおっさんが、こう言うんだ。

 「人類最初の呪い
  兄弟殺し!」

ワシ、最近になって突然、このおっさんの言っている言葉の意味が

胸にすとんと落ちた。

さーあ、ロッキーのテーマがどんどん大きく聞こえてきたぞ。
さあ、毎日をだらだらのんびりと過ごしていたいだけのわしらが、どうして、ロッキーのテーマを聴く羽目になったのか。
ビル=トッテンの『ウォルマートの抵抗』という短い記事なんか、わかりやすいので、これを読んでもういっかいよく考えてみよう。
従業員をただ同然でこき使う「自由」を守るために、ウォルマートはがんばります!
ロッキッ♪ ロッキッ♪ ロッキッ♪ 

(10/8に追加)
あれえ?
タイトルにポール=ニューマンと書いているのに、ポールニューマンのポの字にも言及しないままアップロードしてしまいました。 ポール=ニューマン死去のニュースを扱おうと思って日記を書いているうちにまったく別の日記になってしまったんだな。
(;^-^ゞ
え〜。
(;-_-ゞ
詳しくは、町山さんのブログから『クール・ハンド・ルークの笑顔を忘れるな』あたりを読んでいただくといいかと。
アメリカ人もこんないい映画を作っていた時代があった。






暴君ファンタジー劇場2イシハラの逆襲(2008.10.6)




汚職が定期的におこなわれると、それは重大な結果をもたらす。つまり、長期的には、市民と国家との間に不可欠の信頼関係が損なわれる。この意味で汚職は、先に述べたように、国家の弱体化のもっとも根本的な原因のひとつとなる。(略)一言でいおう。リベラルなグローバル化が繁栄する基盤となった諸原則の名において対策がとられたにもかかわらず、略奪者たちの偽善はわが世の春を謳歌している。
それと連動して汚職がはびこる」
  〜ジャン=ジグレール『私物化される世界』〜


「生き残るのは、最も強い種ではない。
最も賢い種でもない」
  〜チャールズ=ダーウィン 〜


「頂点、権力が位置する場所には、盲人が腰を下ろしている。自分の目を少しずつ曇らせてゆくことによってのみ仲間の上に立つことができる、そんなふうに世の中ができているからだ」
  〜シオドア=スタージョン『たとえ世界を失っても』〜


「共産主義は、産業革命で分散するまでの部族や拡大家族がやっていたように、産業化された国家でも、人々の世話、とりわけ子どもや老人や障害者の世話がうまくできるようにと、カール・マルクスが考え出した経済体系です。
私は思うのですが、もしかすると共産主義の悪口をあまりいわないほうが賢明かもしれません」
  〜カート=ヴォネガット『追憶のハルマゲドン』 〜



近代日本の三大暴君のひとり、某都知事のイシハラさんが、すげえこと言ってますね。
ある意味、『蟹工船』よりもひどいという、この発言。

「ネットカフェ難民は新しい風俗だ」

====================
東京都の石原慎太郎知事は3日の定例会見で、ネットカフェ難民について「一つの新しい風俗。ネットカフェは1500円だが、山谷は200円、300円で泊まれる宿がいっぱいある。(ネットカフェ難民を)大変だ、大変だというのは、メディアのとらえ方もおかしいんじゃないか」と述べた。
====================

!Σ( ̄□ ̄;)……。

200円、300円で寝泊まりできる場所なんて、イシハラさんのファンタジー脳内以外のどこにもないよ、というのはおいておいたとしても。
2000万円の税金使ってガラパゴス島で豪遊する男が、

ネットカフェでの寝泊まりは、ぜいたくだと言うのね。

すごいわ、ほんと。
人間って、どこまで残酷になれるのか、と。
戦中の軍部みたい。
(^_^;)

弾が切れたら敵を絞め殺せ、腕が折れたら蹴り殺せ、脚ももげたらかみ殺せ、歯も折れたらニラミ殺せ

と叫んでいた戦時中とかわらんよ。
「私の部隊は全滅しました!」
と上官に報告したら、
「お前が生きているではないか!」
と切り返されるアレな。
(^_^;)

「すかんぴんであります!」
「300円残っているではないか」

わっはっは!
1500円持っているお前は、21世紀型の新しい風俗に言ってこい!(←ネットカフェ)
わっはっは!
いよいよ、大聖堂の冷たい床の上でルーベンスの絵を見ながら凍死するまで、許してもらえないんだな、この国では。
(^_^;)
(勝ち組の)君のためにこそ死ににいく、負け組いっかんの終わり。

勝ち組さまが投機に失敗して未曾有の大損をこいだら、負け組の税金を投入。
いっぽう、負け組がちょっとでもヘタこいだら、「自己責任」「ネットカフェはぜいたく」……。
損失は社会化、利益は個人(←勝ち組限定)に。
これぞジャック=ウエルチ勝利の方程式。
(^_^;)
夢も希望も失った人々が、いっそ死刑にしてくれと発作的に無差別殺人事件を起こす。

日本国内における、これが「人の暮し」です。

ワ〜。すてきだわあ〜。
最近、私の脳内に奇妙な他人が居座って、わけのわからんことを言うようになった。
↓こんなやつが。

└|∵|┐ トツゼンデスガ カセイジンデス

C= C= C= C=└| ∵|┐ カクメイヲ サガシニ イコウ

あわわわわわ。

『ぜんぶ、フィデルのせい』!!

いまのところは狂った妄想だけど、これもちょっと怪しくなってきたんだよね!

『(元)登校拒否系』さんのところで、こんなショッキングなお知らせが。

ぎゃああああ! ワシの妄想が正夢になるかも〜!
満月の夜、デビルマン軍団が集合する〜!
しかし、暴力反対。 暴力革命なお反対。
続きは『マッドマックス』ということだけど、できれば『エヴァとステファンと素敵な家族』でよろしく〜〜〜〜ウガうぐ。





暴君ハシモト・ファンタジー劇場(2008.10.4)




「剣や杖や何か男根を象徴をするものによる殺害という形で善が悪を退治するという、現在、多量に出回っているいわゆる英雄ファンタジーは、テクノロジーが魔術に取って代わり、希望的観測がかなうようなまやかしの中世的過去の中で安直な欲求充足を与え、不快感を回避すること以外には何も考えていないように思われます」
 〜アーシュラ=K=ル=グウィン『世界の果てでダンス』〜


「なんという混み方だ! 必要もない連中が車に乗るからだ!! 馬鹿どもに車を与えるなっ!」
  〜『美味しんぼ』海原雄山〜


「おまけに、ほら、その画面のダサくてみっともないこと、まともな美的感覚があったら使えたもんじゃない」
 〜『美味しんぼ』山岡と運動図〜



全国学力調査の結果公表に反対する市町村教育委員会を「関東軍よばわり」するいっぽう、大阪府下の私立学校経常費助成削減を打ち出し、私立小中高校の5割が授業料を値上げしなくてはならないような事態をまねくことになった張本人、「ハシモト新喜劇」劇場に新しいお笑いのネタが。

某ハシモト府知事の光市弁護団懲戒請求発言に賠償命令の判決!


まあ、殺人犯の弁護をしたので懲戒、という発想がそもそも目茶苦茶なわけで、某大阪府知事は控訴するらしいけど、このひと、ほんとに弁護士なのかなあ。
(^_^;)

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素朴な敵愾心や嫉妬心を煽り、「安心して攻撃できる公認の敵」への憎悪をかき立てる橋下氏の扇動方法は、古来使い古されてきたものだが、オーソドックスなだけに強力で持続性もある。
 先の大阪府知事選では、大阪で長年続いた与野党と府庁と財界・圧力団体(創価学会・有力労組・解同など)の談合政治に対する鬱屈が地滑り的な橋下大勝につながったが、現実の橋下府政は財政再建を口実に弱者切り捨てを敢行し、面倒なことはすべて市町村に丸投げする一方、大型開発や既成の利権(その中には右傾大衆が憎悪する「同和利権」も)には手をつけず、関西財界と中央官庁のパペットになりつつある。
==================

「自分に反抗するものは、ぜんぶ悪!」
……裸の王様というか、幼児性暴君というか、方法論が某コイズミ氏とくりそつなわけだけど、人気もあるんだよねえ。
こういう他愛ない主張を繰り返すだけの暴君を支持する国民性に、ちょっと興味があるわ。
なんにせよ。
ハシモト府知事の“関東軍”的劇場型の戦いは続く!


--☆---



漫画界の暴君といえば。
もち、海原雄山。
(^_^;)
『美味しんぼ』102巻で、とうとう史郎と雄山が和解するんだとか。
私は栗田ゆう子さんのファンだったけど、どうして雄山と士郎を和解させようとするのか、理解に苦しむ。
親子の和解が、二人の幸せに繋がるのだ、と栗田さんは考えているようだが、はっきり言って、それ

二大政党制と、その時その時の都合でおこわなれる大連立で日本の政治はうまくいく、という発想と同じくらい

間違いだから。
(^_^;)
どんな理由があろうが、作ったメシが不味いなどという理由でちゃぶ台ひっくり返してパートナーさんを殴るような、雄山のような人間は

地獄に落ちればいいのだ。

パートナーさんが承知していようが、世界的な陶芸家だろうが、美食倶楽部を経営してようが、そんなことは関係ないね。
ヒトとして、こいつは、だめだ。
つーか、至高のメニューというもんがどれほど美味かは知らないが、海原雄山と席同じゅうして食べたら、ぜんぜん食べた気がしないと思うよ。
(^_^;)
お粥を食べたたとき、

箸の先が何ミリ以上濡れてたら礼儀作法失格!とか、あほか。

『美味しんぼ』の感想1〜100巻をみっちりアップしてくれているブログを見つけたので、御紹介しておきます。
こちらは、

「栗田ゆう子毒婦説」

を採用しているわけですが。
(^_^;)
栗田さんは、士郎と手を組んで、食通絶対主義的土着的民族主義の海原雄山を打倒すべきです。
今からでも遅くはない!
あ、ぜんぜん違う話ですが、山岡士郎はMacユーザーです。





基本的人権の自明性の明快さ(2008.9.29)




「カール・C・ブリカムは、生まれつきの知能を測定できるとされたテストで低い点をとった南欧や東欧からの移民の排斥を主張しながら、「現在の自分たちの知的能力を保ったり、高めたりするために講じられるべき方策は、もちろん化学によるもので政治的便宜主義によるべきでない」と主張した」
  〜スティーヴィン=J=グールド『人間の測りまちがい』 〜


「これらの数字は、あわれな女性たちの頭上に大槌のように振り下ろされた。(略)心学者たちは女性に魂があるかどうかを疑ったことがあるが、それから数世紀後、一部の科学者たちは女性たちに人間的知性を認めることを拒否しようとしていた」
  〜スティーヴィン=J=グールド『人間の測りまちがい』 〜


「故意の欺瞞の場合におけるのと同じように、偏見はしばしば実にひどい表現をされるのだが、気づかれずに影響を及ぼすということ。また、科学者たちは汚れなき真理を追究していると信じていること」
  〜スティーヴィン=J=グールド『人間の測りまちがい』 〜


「誰かが何とかしてくれるなどと思えなかっただろう。そんな世の中だったとしたら、どうして今まで自分にはそれが訪れなかったのか、説明できないからだ。つまり、誰も何もしてくれない世の中なのだ……そう結論づけているように見えた。その結果が「自分は今のままでいいんスよ」という言葉である。典型的な自分自身からの排除だった」
  〜湯浅誠『反貧困』 〜



ロボット小雪が端的に喝破したように、いまの社会のあり方は完ぺきに間違っている。
なぜわかるかというと、それがわかるからだ、というお話。
……。

『想像力はベッドルームと路上から』さんから、
「基本的人権は自明か?」

という問いかけがあったらしく、はてなナントカでちょっとした議論になっているようだ。

======================
「生存権」にしろ「社会権」にしろ、あるいはその他の様々な権利にしろ、過去多くの先人達がひとつひとつ丁寧に積み上げてきた『意味』があるからこそ、現在においてここまでの『強度』を持ちえたのではないでしょうか。ならば「自明」「当たり前」と言うからには、そこまでの意義や価値、文脈を万人が共有している必要があるのではないですか?

僕は今の社会において、そこまでの『意味』が万人に共有されているとは思えません。ですから、それらの「権利」に関して「自明」や「当たり前」という言葉を使うのは適当ではない、と考えます。
======================

ほお。
そのような問いかけに対して、『過ぎ去ろうとしない過去』さんから、感動的なお返事が。つーか、反論が。

======================
アメリカの公民権運動のきっかけのひとつに、あの有名なローザ・パークスの事件があったわけです。ところで、ローザ・パークスはバスの席を立たなかったとき、彼女は白人と黒人が平等であることを誰にでも明確に説得し得る論拠を持っていたわけでも、あるいは、もし運転手が白人と黒人は平等でないことを論理的に説明すれば、納得して立つ用意があったが、運転手がそれをしなかったから立たなかったわけでもありませんでした。黒人と白人が平等である、それが自明であると信じていれば、自分や社会にとって都合がいいという打算でさえありませんでした。彼女にあったのは、ただ、黒人と白人が平等であるという、その明白な事実にたいする確信であって、それが彼女を席に座りつづけさせたのです。
======================

ここから憲法の話に。

======================
つまり憲法は人権規定を書かねばならない。なぜなら憲法は人権の保障を目的としているから。何故憲法は人権の保障を目的としなければいけないか。人権は保障されなければならないから。なぜ人権は保障されなければいけないか。人間には人権があるからです。それは自明だからです。たとえば、この自明性が崩れるとどうなるか。人権?まあそれっぽいことも書いとこうということになって、明治憲法みたいなものが出来上がる。
======================

「明治憲法みたいなものが出来上がる」!!!

あわわわ。ものごっつ説得的!
(^_^;)
「本当の本当に大切なことは、理由があってはいけない」、か。
なるほど。
「本当の本当に大切なことは、理由があってはいけない」ことの理由が、すっごくわかった気がします。
こっから先は、P=K=ディックかドストエフスキーの問題意識に接近していくことになるんだろうなあ。


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