「カッパのかーやん」が出版された時の巻

埋め立てられた池の底で、スルメのように干からびて眠りつづけるカッパの物語。この物語同様に、デスクの引き出しの中で眠りつづける私の原稿。その名は「カッパのかーやん」というのです。
百枚を越えるこの長編原稿を、私はどうすればいいのでしょう?
「出版社に持ち込めばいいのだ」
と、下の息子。
テレビを見たままオカキをポリポリむさぼって、人ごとみたいにあっさりと言い放つのです。
まあ、確かに人ごとなのだが……、にくらしいやつだ。
出版社に原稿を持ち込んで、出版してくれと、ジカダンパンするだと?
それができるくらいなら、とうにやっとる。
私は、そんなに図々しいタイプではありません。 
ふーん、そういうことにしておきましょか、という目で息子は見ています。
「編集者の人が、オニみたいにイジワルな人やったら・・・、コワイやんかー」
「お母さん、赤毛のアンのこと、よく言ってたやん。赤毛のアンの出版にまつわるドラマ。赤毛のアンを思いだしや」
そうか、「赤毛のアン」出版のいきさつを、私は今こそ思い起こさなければならないのかもしれません! アン・シャーリー、今日も私はあなたに勇気づけられなければならないのかもしれません。
「赤毛のアン」のモンゴメリは、何回も突っ返されていたのです。三回も出版社に送って突っ返されて、諦めてトランクに入れて屋根裏に置いていたのでした。ああ、失意のモンゴメリ!
そして、ある日、モンゴメリは、原稿を処分しようとトランクを開けました。処分する前にもう一度と原稿を読んだのです。ところが古紙ゴミになるはずのその原稿を、作者の彼女自身が面白くて、読むのをやめられなかったのです。それで、彼女は、もう一度出版社に送ろうと決心するのでした。この傑作は出版されないことはないと信じて……。
そしてその後の「赤毛のアン」がどういう運命をたどったか、もちろんみなさん、ご存じですよね!
私は、心の中で、「アン、アン、アン、そうだ、今こそ、赤毛のアンよ」と、繰り返しました。
「でも、持ち込みって、どうするのかなー」
「お母さん、知り合いの編集者の人がいるやんか。聞いてみたら」
「そやねえ」
電話をかけてみると、
「それは、電話してから郵送したほうがいいわよ。いきなりきたものは、忙しいこともあって、つい置いといてしまうもの」
(うーん、そんなものか)と思いました。
「よし、電話をしよう」
自分で自分を奮い立たせて、受話器を取り上げます。かけてみたら、児童書の係の女の人が電話を取ってくれました。(なんと運がいいんやろ)
「あなたの本の筋書きは? 枚数は?」
筋書きを話して、「106枚です」と言うと、
「じゃ、読みますから、送ってください」
(やったあ!)
そして1月の中ごろ、
「読ましていただきました。私はいいと思います」
「ええっ、ほんとですか! ありがとうございます」
「でも、うちは、満場一致じゃないとできないので、もう少し、そう三カ月ほど待っていただけますか」
「はい、よろしくお願いいたします」
満場、とは、私の作品のために、編集会議を開いてくれるということなのでしょう。だけど、満場一致ということは、大変なことなのだと思います。
そして、三月になって四月になって……。でも、返事がありません。
「編集会議は五月か六月か! それとも、会議で、一人二人が『面白くないない』などと言うたんやろか!」
それでも、ひょっとして、遅くなっているだけかも分からない、との気持ちもあります。中途半端、落ち着きません。
ところへ、五月の連休あけに、待ちに待った電話がかかってきました。
「出版させていただくことになりました」
「そうですか」
としか、言葉が出てきません。
「それで、直していただくところもありますが」
「はあ、分かりました」
電話を置いても、ぼうっと頭が、かすんだようになっています。
次男が、
「お母さん、しょうないやんか。あんまり、がっかりせんと」
「えっ、なに言うてるの。受かったんよ。出版してくれるんよ」
「沈んだ声出してるから、あかんかったんかと思った」
というわけで、めでたしめでたしになったのです。
*「カッパのかーやん」(新日本出版社)は、1996年11月20日出版されました。

2001年11月11日  店長 溝江玲子

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